扇ノ山、孤高の旅 ~加藤文太郎の足跡を追って~

実施日:2025年7月18日(金)
山 域:但馬の山(兵庫県美方郡新温泉町)
参加者:中安

どうしても行かなくてはならないところがあった。兵庫県美方郡新温泉町の浜坂だ。大正から昭和にかけて活躍し、社会人登山家の魁となった不世出の登山家、加藤文太郎の生まれ故郷だ。新田次郎の代表作「孤高の人」のモデルとなった人物でもある。実在の加藤文太郎の著書「単独行」も多くの岳人に読み継がれている。
私が加藤文太郎を知ったのは、中学校一年生の時の国語の先生から、「孤高の人」という小説を紹介されたのがきっかけだ。話せば長くなるので結論から言うと、この小説が私を山登りに導いたのである。
「孤高の人」にも「単独行」にも浜坂の町は随所に登場する。文太郎ファンにとってはまさに聖地である。ぜひとも行ってみたいと思っていたのだが、十九歳までは兵庫県西宮市に住んでいたにもかかわらず、その後現在まで浜坂へ行く機会はなかった。六十代も後半となり人生の終着点が見えてきたので、元気なうちに是非行っておきたいと思った次第なのである。
早朝、車中泊用の軽貨物車にひとり乗って自宅を出る。中部横断自動車道から静岡を経由して豪雨の中、新東名高速道路から名神高速道路、中国自動車道、舞鶴若狭自動車道をかっ飛ばして、まずは豊岡市立植村直己冒険館に立ち寄る。植村直己は加藤文太郎の影響を受けた冒険家だ。見ないわけにはいかない。私も高校時代、植村直己の影響を受けた登山家だ。私は植村直己の冒険家としての実績よりも、その人柄、生き方に強い魅力を感じる。加藤文太郎とともに私にとっては青春のヒーローだ。
さて、次は湯村温泉の夢千代館だ。吉永小百合主演の映画「夢千代日記」の舞台となった温泉街の中にある。ここだけの話だが、私は吉永小百合の大ファンである。昭和のノスタルジックな気分に浸かり、ついでに温泉にも浸かる。海上集落から黄昏の海上林道を登り、上山高原の立派な避難小屋を偵察し、水とのふれあい広場駐車場に車を停めて車中泊する。
翌朝は、車の屋根を叩く大音響で目が覚める。外は暴風雨である。1時間ほど様子を見るが暴風雨は収まる気配がない。雨具を着け完全武装で扇ノ山へ立ち向かう。と言っても、登山口から道はなだらかで息も切れない。しかし、ブナ林の樹冠が風で揺すられる轟音で、山は大合唱を奏でている。
ブナの美林はいつまでも続き、雨は小降りになって来た。登山道は丸太や板で補修されており、よく整備されている。相当の人が入っている形跡はあるのだが、今日は誰も居ない。いいぞいいぞ、これが加藤文太郎の著書「単独行」に頻繁に登場する扇ノ山だ。加藤文太郎が花子との結婚式の前日に登った山だ。感動がじわじわと胸に迫って来る。
呆気なく扇ノ山山頂に到着すると、そこには二階建ての豪華な避難小屋があった。積雪期のために二階にも入口があり梯子が設置されている。次回はぜひバックカントリースキーで来てやろうと思う。気分はもう加藤文太郎である。
避難小屋の二階はまるで展望台だ。雨で展望が全くか効かないのが残念だ。下山道ではヒキガエルが私を出迎えてくれたが蹴飛ばしてやった。小ズッコ小屋まであと僅かの所で二ホンジカに遭遇する。逃げるどころか私を見て近寄って来る。シカに「じゃあな。また来るよ」と言って、その場を立ち去る。シカは名残惜しそうにいつまでも私を見詰めていた。結局、扇ノ山で人間には一人も出会わなかった。
海上林道を歩いて水とのふれあいの広場に戻ると、風は収まったが雨は依然として強く降っている。少し肌寒いほどだ。広場の水場で泥だらけの雨具を洗う。まだ午前十時である。時間はたっぷりある。これから浜坂の町へ下山して、加藤文太郎の足跡を追う旅は続く。
まずは浜坂漁港のマル海渡辺水産の食堂で食した日替わりランチが恐るべきや、税込み千百円で驚異のボリューム。刺身や煮魚や但馬牛をたっぷり堪能してなんだか得をした気分。外に出て交差点の信号を渡ると、アカマツ林の中に新田次郎の「孤高の人」文学碑がある。石碑には小説の一文が彫られており、脳裏に記憶のある文章なので泣けてくる。
そして今回の旅のメイン、加藤文太郎記念図書館の訪問である。図書館の建物のデザインが素晴らしく、険しい北アルプスの山脈を連想させるものだった。二階が加藤文太郎の展示室となっており、貴重な遺品や写真をまじかに見ながら、私の登山人生を振り返る。図書館に私の著書を寄贈したら、館長から「孤高の登山家加藤文太郎」という超ローカルなマンガ本をいただき、大感激である。
その後、炎天の下で、加藤文太郎と妻花子が出会った宇都野神社の長い石段を登って参拝し、城山園地の遊歩道を二キロ歩いて加藤文太郎顕彰碑に辿り着く。びしょ濡れだった衣服もその頃にはすっかり乾いていた。
この日は、浜坂の澄風荘という民宿に宿を取る。オーナーが「加藤文太郎山の会」の会員なので、なにか面白い話が聴けるかもしれないと期待して、今回の車中泊の旅で唯一お金を払っての宿泊だ。期待どおり宿の女将さんに、加藤文太郎と花子のお墓まで案内していただき、加藤文太郎の生家にも同行していただいた。女将さんに案内してもらわなければ、お墓も生家も私には発見できなかった。夕食の海賊焼きは圧巻であったが、ここでは説明を割愛する。さて、山梨からわざわざ加藤文太郎の足跡を追って訪れたことを知った女将さんは、お土産として浜坂名産の焼きちくわを帰り際にくださった。浜坂に来て本当に良かった。
翌日はひとり浜坂県民サンビーチへ。加藤文太郎が泳いだであろう海だ。私は山男のくせに海水浴が好きだ。浜には誰も居ない。砂浜の彼方には碑文にも書かれている観音山が聳えている。
正午を回ったころ、左足の親指をクラゲに刺されて激痛にのた打ち回る。一時間ほど車中で休むと歩けるようになったので、温泉に入ってから映画「夢千代日記」の冒頭シーンに出て来る余部鉄橋を見学に行き、宮津まで飛ばして車中泊する。暑くて眠れない。暗いので天橋立は見えなかった。
翌日は敦賀経由で東尋坊を訪ね、道の駅禅の里の日帰り温泉で閉館ぎりぎりまで涼んでから車中泊、なんとか暑さは凌げた。
翌日、中安家は代々曹洞宗なので、曹洞宗総本山の永平寺へ行かない訳にはいかない。永平寺で身も心も浄めてから飛騨の高山経由、安房トンネルを抜けて甲府に帰宅する。
かくして、五日間の「孤高の旅」は終わった。生きているうちに行けて良かった。一週間後、痛む左足親指の黒い点をほじくると、一ミリほどの棘が出て来た。クラゲの棘であった。
(中安)



 

2025年07月18日