白馬山麓スノーハイキング
実施日:2022年2月11日(金)~13日(日)
山 域:北アルプス・白馬栂池
参加者:宮下祥道、横山秀敏、小泉益男、勝俣和子、羽田政人、中安正議
御坂ニュース12月号「白馬山麓でスキー&スノーシューハイク(府大山小屋ベースであんこう鍋)」という山行計画の記事があり、参加者を募集していた。1月15日、今年の新年会の席で、担当の中安会長に「メンバーの空きがあれば参加したい」旨話してみると快諾を得た。その時すでに勝俣和子さんからは参加の意思表示を受けていた。
後日、小泉益男さんから会費を預かりに行った時に「栂池でスノーシューハイクに参加してみないか」と誘ったところ、「いいね!」と、即答があった。
その足で、羽田政人さんの会社に行き事務所で都合を伺うと、やはり奥さんが「行って来たら」と勧めてくれて、「じゃあ行こう」と参加が決まった。
このことを和子さんに連絡しようと携帯に電話をするが繋がらない。和子さん宅へ行ってみると、丁度ご主人の晴正さんが外出から戻って来た。「和子は今、不動湯を手伝っていていないけんど、不動湯は山の中なので携帯が繋がらない。本人には俺から話しておくよ」とのことだった。その夜和子さんから電話があり、「お父さんも行って来なさいと言っているから参加します」との返事。かくして「ブレーメンの音楽隊」状態で五人の参加が集まった。早速中安会長に電話する。「五名参加します」中安会長大感激。
羽田さんが会社の11人乗りのワゴン車を出してくれることになった。まさに運転手付きのレンタカー、そして3密の解除。羽田さんにすべてお任せすることとなった。
出発前日、富士吉田は大雪で、一日中道路の除雪作業で、出発当日も肩や腰に痛みを感じる。
当日は、朝七時に和子さんを迎えに行き、羽田さんの会社へ向かう。前夜までの降雪で富士河口湖町は38センチメートルの積雪。中央自動車道の心配もあったが、白馬方面は降雪量は少ないらしい。
羽田さんは既に早朝三時からひと仕事終えていた。聞くところによると、新聞配達の車が都留市内でスリップ、脱輪のため動けなくなり、羽田さんの会社にレッカー要請があったそうだ。
宮下さんを迎えに行き富士河口湖町の小泉さん宅に着くと七時三十分だった。中安さんに富士河口湖町を出発した旨を連絡し、中央自動車道諏訪SAで合流することとした。九時四十五分頃合流し、打ち合わせ後、中安さんの車の先導で一路白馬山麓へ向かう。安曇野ICを降り、十一時三十分、道の駅はくばで若干の食料等を買い入れ、そして酵母パンニッキで二日分の朝食用パンを購入し、隣接するそば屋で昼食を済ます。そば屋の窓の真正面には、白馬村のラージヒルとノーマルヒルのジャンプ台が見える。
入口の三メートルの高さの階段は雪で埋まっており、さらに羽田さんが踏み固めてくれたので、小屋へは入り易くなっていた。しかし、小屋の屋根には二メートル以上の雪庇が張り出しており、ビクビクしながら入室する。
和子さんは早速小屋の掃除、宮下さんは荷物整理、小泉さんは凍結しているトイレの復旧作業、羽田さんと私は雨戸が開くように小屋のベランダの除雪をした。中安さんが荷物の搬入を終えたところでやっと一段落、中安さんが挽き立てのコーヒーを淹れてくれてひと息つく。中安シェフは早速夕食の準備に取り掛かる。その間、皆でビールで乾杯、本日の労を労いながら明日の好天を祈る。小泉さんの差し入れてくれた赤と白の手作りワインで、同じく手作りの燻製をつまみに食す。一人一個ずつパックに入れられた中味は、サーモン、シシャモ、ホタテ、レバー、ハム、チーズ等、それぞれ二個。一種類ずつ食べて丁度二泊分だ。一度に食べるのがもったいなくて、半分残した。そして今夜は鍋料理だ。当初あんこう鍋を予定していたが、大雪のため日本海への買い出しを見送ったため、あんこうを入手できず、ベイシアで仕入れた食材でブリの味噌バター鍋となった。味噌、バター、ニンニク、ショウガ、豆板醤、ブリ、ワタリガニ、長ネギ、白菜、しいたけ、ブナシメジ、豆腐等が入った栄養タップリの豪華版だ。その晩は、ビール、赤白ワイン、焼酎、ウイスキー、日本酒と、飲み物も豊富だった。和子さんが不動湯のおばさんたちと作ったというモツ煮も美味しかった。
夜の十一時まで、若かりし頃の山の四方山話にふける。若干年の若いメンバーが二階のロフトに寝て、年寄メンバーは一階の電熱マットの上でシュラフにくるまって寝る。
翌朝、夜明け前、五時十一分だったのを憶えている。ズシン、ドンという大音響で目が覚めた。屋根の上に積もった雪が、暖房で小屋の上部が暖まったためか、屋根から滑り落ちたのだ。跳ね返った雪が壁に当たり、大地震のようだった。皆気付いていたようだったが誰も起きない。
七時過ぎに起床、中安シェフは料理の最中だった。朝食は、モーニングコーヒーの後、昨日買った酵母パンといちごジャム、きゅうりとレタスのコーンサラダ、それに特性のスープパスタ、ミルクで作ったホワイトソースだ。本当に自宅では味わえない、豪華な手の込んだ朝食だ。食器の片付けの後、和子さんが昼食用のおにぎりを握ってくれた。
府大小屋を後に栂池スキー場へ向かう。中央駐車場も第二駐車場もすでに満車。駐車場を探すこと十五分、やっと第三無料駐車場に車を止める。ゴンドラリフト乗り場まで五百メートルほど歩き、順番待ちの列に並ぶ。四十分待って乗車し二十分で栂の森の山上駅に着く。すでに十一時を廻っていた。ロープウェイが動いていないので、栂の森第二ペアリフトに乗って高度を稼ぐ。リフトを降りたところで私の腹の調子が悪くなり、尾根を少し越し廻りこんで雪の中で大キジを打つ。十分間皆を待たせてしまった。中安さんはスキーを付けてスイ―と林道まで滑走して見えなくなった。我々は林道までつぼ足で歩いてからスノーシューを付ける。
早大小屋を過ぎ、林道のヘアピンカーブになった所からの白馬三山の眺めが素晴らしいという。そこまで急な斜面を頑張って登る。時計を見ると十二時だ。林道に出たところの平坦地で昼食とする。
朝握ってきたおにぎりを頬張る。大変美味。宮下さんが持って来てくれた干芋が、これがまた甘くて美味しい。皮が剥けないミカンを皮ごと食べるが、これもまた美味しい。
約一時間、記念写真を撮りながら、白馬三山と後立山、妙高戸隠の小谷村方面、さらに松本市方面を一望する。空は飽くまでも蒼く、雲ひとつない晴天、絶景を満喫する。
我々五人は林道の途中から林間の開けた所をショートカットし、ゴンドラリフト駅まで下る。かなりの急斜面だ。新雪の中、短い距離だったが転げながらスノーシューの醍醐味を味わった。
府大小屋に着いたのが十五時三十分だった。中安さんは一時間以上前に到着し、ストーブを点けて部屋を暖め、コーヒーを淹れて待っていてくれた。
十六時、買い物と入浴に出掛ける。宮下氏と小泉氏は疲れたので寝ると言って小屋番として残る。国道一四八号に出ると大渋滞、近場のベイシア白馬店で買い物を終え、白馬駅まで行かずに引き返し、倉下の湯へ行くと、ここも大混雑。中に入ると大声で意味の分からない会話をする団体(外国人?)に巻き込まれ、赤さび色の露天の湯舟の中には躰を沈みきれない。一分も湯舟に浸かっていられなかった。でも流石中安さんは、目を閉じて悠然と首まで湯に浸かっている。府大小屋に着く頃にはすっかり日が暮れていた。ヘッドランプと雪明りを頼りにトレースを外さないように注意して小屋に戻ると、中は暖かかった。中安さんは早速シェフに変身し、料理に取り掛かる。
今夜は、中安シェフ曰く、特性スパイシーチキンカレーだ。十四種の香辛料がミックスされたネパール風カレーだ。部屋中に香辛料の香りが充満する。この間、我々はビールで乾杯。シェフも料理を中断して一緒に乾杯。昨日残しておいた燻製をつまみに焼酎とウイスキー、料理用のワインまで飲む。前夜に引き続き山の四方山話に盛り上がっていると、カレーライスが出来上がる。辛いけれど美味しい。どんどん飲み物も進む。中安シェフが片づけを終えて「さあ、飲むぞ」と言って日本酒の瓶を見るともう空。中安さんは私の差し入れた日本酒を楽しみにしていたようだ。日本酒はどこにこぼしたのか。すみません。横山の腹の中です。中安さん、がっがり。私が差し入れた日本酒は、結局私が全部飲んでしまった。時の経つのも忘れて話に夢中になっているといつしか午前零時を回っていた。和子さんと中安さんは白河夜船でうとうとしていた。中安さんがギターを持って来ているのを思い出し、眠っている中安さんを強引にお越しギター演奏をお願いする。初めの曲は「小さな日記」、中安さんの奏でるギターと歌声に聞き入り、リクエストを重ねるうちに小泉さんが持参した御坂山岳会編集の歌集「山の歌」を取り出す。そして皆で大合唱。とうとう二十四曲すべて歌い終わったのは午前二時を過ぎていた。
昨今の山小屋やテント場ではとても味わえない、山の中の一軒家でしか出来得ない、まるで五十年前にタイムスリップしたような一夜であった。
結びに、車の提供を快く応じてくださったばかりか、仕事が多忙の中、早朝からの睡眠不足で疲れているところを往復の長距離運転かつ安全運転に努めていただいた羽田さんと、府大小屋でのすべての料理と食料の買い出しを引き受け、登山ガイドと接待をしてくださった中安チーフリーダーに、心から深く感謝申し上げます。
(横山秀敏)