妙高山、驚異の14時間行動
実施日:2024年8月3日(土)
山 域:頚城山系 妙高山
目 的:夏山・個人山行
参加者:中安
焼山、火打山、妙高山は頚城三山と呼ばれ越後の名山に数えられている。昨年、火打山へ登った時、美しい高層湿原と豊富な高山植物の魅力に憑りつかれ、来年は絶対に妙高山に登ろうと思っていた。
金曜日、仕事が終わってから職場からそのまま出発し、甲府昭和インターから中央道、長野道、妙高高原インターを経由して21時に笹ヶ峰駐車場に着く。駐車場は八割がた埋まっていたが、登山口ゲートに一番近い場所に止めることができた。そして車中泊。ぐっすり眠ったため、起きた時には明るくなっていた。寝過ごした。
登山口ゲートで入山料五百円を投函して入山する。黒沢橋までは長い木道歩きだが、気が張っているせいか時間は感じなかった。途中鮮やかな朱色のタマゴタケを発見したが、5本しかなかったので採らなかった。黒沢のせせらぎが聞こえてくると、ブナの大木が私を見下ろして、「頑張れよ」と励ましてくれる。
十二曲りの急登は昨年経験しているので、恐るるに足らず。オオシラビソの樹林帯を落ち着いて登れば訳なく富士見平に到着する。ここは火打山と妙高山との分岐点だ。今回は進路を右に取って妙高山を目指す。
分岐から少し下ると視界が突然開けて、広大な高層湿原が眼下に現れる。そこは、ハクサンフウロ、シナノオトギリ、ヨツバシオガマ、オオバミゾホオズキ、ナンブアザミ、クルマユリなどの高山植物が咲き乱れており、まさに地上の楽園である。特に湿原に咲く白いワタスゲは幻想的でさえある。時の経つのも忘れて、木道をルンルン気分で歩く。やがて、青い変てこりんなドーム型の屋根が見えて来た。黒沢池ヒュッテではないか。
大休止を取って、いざ大倉乗越へ。持病の左膝が傷み始める。腰にも痛みがあり、両足が痺れてきた。しかし、ここで引き返す訳にはいかない。痛みを誤魔化して歩くことには慣れている。まだ大丈夫だ。
大倉乗越に立つと眼前に妙高山の威容がはだかる。その頂へ至るには、一旦長助池分岐まで下らなくてはならない。この道が難航した。雪解け跡の道にはネマガリタケが絡みつき、歩き難いことこの上なし。おまけに強い日差しを浴び熱中症寸前だ。長助池分岐の木陰を捜して大休止する。
ここから標高差四百メートルの登りだ。大したことはない。しかし、登り始めると左膝に激痛が奔る。腰痛どころではない。左足を曲げないように注意しながらゆっくりと歩く。すると今度は両脹脛の痙攣だ。足の親指も痙攣している。ひとり呻き声をあげて立ち尽くす。どうする? 行くしかない。頂上は目前だ。こんな絶体絶命の状況でも、道端に咲く薄紫色のヒメシャジンの群落にうっとりしてしまうから不思議だ。
岩場が見えてきた。そして道の傾斜がなくなった。痙攣も収まった。甘酸辛苦渋の末、やっと妙高山北峰に着いた。しかし、ここは最高峰ではない。休まずに最高峰である妙高大神南峰を目指す。
南峰は快晴であった。トウヤクリンドウが咲いていた。山頂の石にしゃがみ込むと暫く立ち上がる気力もない。ひたすら体力の回復を待つ。今来た道を引き返すと思うと気が重くなる。余力を振り絞って、三脚を立てて我が雄姿を撮影する。
左膝をかばいながら、できるだけ岩を掴みながら体重を足にかけないようにして下る。ただし、止まらない。これが生還の秘訣だ。
長助池分岐を少し過ぎた水場で大休止し、冷水で首筋を冷やす。膝が痛いうえにとにかく暑い。状況は最悪だ。大倉乗越までの登りは地獄であった。来た時の数倍も時間を費やしたような気がする。
黒沢池ヒュッテ前のベンチには登山客が大勢いたが、今から下山する者はいない。皆、黒沢池ヒュッテの宿泊客だ。「これから下るんですか?」と登山客に問われて「ヘッドランプあるから大丈夫です」と答えたら、相手の目が点になっていた。
十二曲りの手前で男女六人パーティーを追い越す。まだ下山する人がいたので、ちょっとほっとした。このパーティーも相当バテているようだ。
黒沢橋あたりで日が暮れる。まだ薄暮なのでヘッドランプを出すには至らない。だが、足元が暗くて時々木道を踏み外してズッコケる。すっかり暗くなった頃、前方に登山口ゲートの灯りが見えてきた。時刻はすでに19時20分を過ぎていた。なんと、今日は14時間行動である。最近は体力の低下により4~5時間の山行しかしていなかったので、今日の山行は驚異的な記録である。自分で自分を褒めてやりたい。ところで、私の後続の六人パーティーはヘッドランプを持っているのか、ちょっと心配だ。
漆黒の杉野沢林道を車で飛ばし、乙見山峠を越えて白馬村落倉の府大小屋に到着する。疲れていて晩飯を食う気が起きない。シャワーを浴びてそのまま横になると朝になっていた。疲労困憊した身体を癒すため、ひとりで日本海の能生海水浴場へ行ったら、熱中症になった。
(中安正議)