N E W S

荒川北沢〜白根縦走〜大門沢

実施日:2024年8月11日(日)〜13日(火)
山 域:南アルプス
参加者:高柳達志(L)、金丸祐司(L)他2名(S, K)
行 程:[1日目]5:30奈良田駐車場→(バス)→6:00野呂川発電所バス停→7:00弘法小屋尾根取り付き→8:00北沢取水施設→15:20 Co.2100テンバ[2日目] 6:00 テンバ発→6:45八本歯沢出合→8:00北岳山荘ポンプ施設水場→9:15北岳山荘(稜線)→10:40北岳山頂→12:10北岳山荘→12:50中白根山→14:20間ノ岳→15:30農鳥小屋(金丸Pは北岳山頂ー白根御池ー広河原で下山)[3日目]5:30 テンバ発→7:45農鳥岳→9:00大門沢下降点→11:45大門沢小屋12:40→15:35南アルプス林道→16:30奈良田駐車場

 

沢を繋いで高山を乗越す。夕暮れの谷で焚き火と語らう穏やかな宴会。学生時代に北海道の日高で覚えた沢旅を、南アルプスでやりたいと思っていた。赴任して3年目、山梨で沢に行く仲間ができた。当初、3回乗越す4泊の長大な山行を構想したが、調整のすえ、2泊3日うち沢1泊の行程に落ち着いた。
1日目。2:30に迎えにきてくれたSの車に乗り込んで奈良田へ向かう。駐車場で前泊している金丸Pによればすでに路駐が始まっているから、駐車できるか心配だ。というのも、僕が高校時代の部活の同期らと飲むために前泊できなかったのだ。上野で10年来の再会に強かに飲んだあと、広小路の雑踏の中を急いで列車に乗り込んだ。翌日の沢での宴会を想像すると愉快なことこの上ない、準備は万端にしてきた。かいじ号が甲府に着いたのは23:37。睡眠時間は1時間と少し、学生以来の強行軍だ。車を出してくれたSに感謝。
路駐スペースはすぐに見つかった。準備をしながらバスを待つ。バスは5台体制で、それでも立ち客があった。野呂川発電所バス停で降りたのは、私たちと他に1パーティ(2人)だった。しばらく林道を歩き、Co.1250で入渓。堰堤は左側のロープを手がかりに通過した。弘法小屋尾根取り付きの手前で出会った釣り人によれば、北沢は釣れないという。しかし釣り人の言うことだ、不安になることはない。
暑さと重荷に喘ぎながら弘法小屋尾根を登った。2泊以上の山行は初めてだというSはすでにつらそうだ。Co.1500付近で北へトラバースして取水施設に至る。この道は取水施設管理のための道なのだろう、手すりや階段が整備されていた。
取水施設の上に来ると北沢の水量は一気に増えた。早速釣りを開始する。毛鉤をほんの試しのつもりで流したら早速釣れる。あとでいくらでも釣れるだろうとリリース。今回テンカラ初挑戦のSに手ほどきすることを優先する。なに、あとでウブな岩魚が入れ食いだろう。
金丸Pの二人はエサ釣りで丁寧に釣り上がっていく。二人で6匹の釣果。25cm程度の食べ応えのありそうな岩魚である。私の毛鉤には近寄ってくるが食わない。スレているのか?Co.1600ほどまで釣り上がったが、結局テンカラは釣果ゼロだった。K曰く、胃内容物から大きなフキバッタが出てきたというから、もっと大きな陸上昆虫を模した毛鉤を使うべきだったのかもしれない。


Co.1700辺りはゴルジュ状になる(写真1)。Co.1800から沢は開け、明るくなった。石灰岩、チャート、泥岩の巨礫が頻繁に小滝を作っているが、水際を巻いたり登ったりしてロープを出すことはなかった。しかし岩がヌメヌメで、足元には神経を要した。
Co.1900に平らなテンバ適地があったがCo.2100まで上げることにした。Co.2100左岸でテンバを探すが、なかなか平らな場所がない。結局、緩く傾斜しているが、刈り払いが最低限で済む場所にタープを張った。連結巨大タープを張ってみれば十分快適だ(写真2)。いそいそと火を起こし、炊事に取り掛かった。カラカラの薪に火はすぐついた。日本酒5合、ビール2L、ミョウガ・大葉&オクラを混ぜ込んだ冷やしうどん、トマト、白米、牛肉、そして岩魚。マシュマロもある。さぁ宴会だ。
夕暮れ、夜叉神峠越しに御坂山地の東側が見える。沢を吹き抜ける風が煙を運んでいく。満腹の腹に骨酒を注ぐ。日没、夏の大三角形、天の川。焚き火を眺めながら吶々と話し、物思いにふける。金丸さんは焚き火脇で寝音を立てている。僕らが寝たのは20:00をすぎたごろだっただろうか。


(写真2)北沢のテンバ
2日目。お茶とパスタを食べて出発。傾斜のあるゴーロをグイグイ登っていく。Co.2200の滝は右岸のバンドを通過した。八本歯沢出合で沢は開けるが、平地はなかった。出合で左に行き、二本程度沢が分かれ全て左に行くと源頭に至った。マルバタケブキの咲くノガリヤス草地にベニヒカゲとクモマベニヒカゲが舞っている。北岳小屋の取水ポンプがある細流付近で休止、水を汲んで、しばし沢風に汗を乾かす。
旧北岳小屋の石積み跡を通り、踏み跡を辿って稜線へ上がる。水場への降り口付近にザックをデポして身軽になったSと私は散歩気分だ。金丸さんは体調がすぐれないようで、動きが遅くなっている。ゆっくりと山頂を目指した。途中、登山道上に足輪をつけたライチョウの群れが悠々と現れた。晴れた日にここまで近づけたのは初めてのことだ。
山頂はそんなに混んでいない。しばらく休み、記念撮影をして、広河原へ下山する金丸Pと別れた。北岳山頂付近で、南アルプス固有種のタカネツトガを撮影できたことが密かに嬉しい。
残りの行程は2年前に歩いた縦走ルートだから気楽だ。ザックを背負うとまだまだ重いが、ただ足を動かしていれば間ノ岳へと至る。間ノ岳でガスが出てきた。Sの体力を気遣いながら歩く。話し相手のいる高山歩きは楽しいものだ。ハイマツの実を食べているホシガラスをよく見た。ガスが流れるなか、起伏のある広い尾根に巨岩が点在する氷河地形を歩いていると、どこか別の惑星に来たかのような気がする。
濃いガスで距離感覚が覚束ない間に農鳥小屋へと到着した。時折パラついたものの、結局雨がまとまって降ることなく、テンバを設営し、炊事。いつもの雑炊とおかず数品。19:00ごろには寝ただろう。
3日目。お茶とパスタを食べて出発。今日はSに前を行ってもらう。西農鳥へ着実に登っていく。道が南側へ回り込むと、塩見岳、荒川三山、赤石岳、太平洋へと連なる赤石山脈を一望にして、歓声を上げる。朝日が刻む山肌の陰影が美しい(写真3)。


(写真3)農鳥岳へ向かう縦走路
農鳥岳で休んだあと、下山を始める。大門沢下降点で高山植生と別れ、長い降りに取り掛かった。ザレた急な道である。Sは重荷に膝が痛くなってくる。シラベとトウヒの針葉樹林が濃くなると、大門沢小屋はもうすぐだ。
小屋につくと、驟雨。小屋のテント下で軽食をとり、しばらく様子をみるがすぐには止まない。雨具の装備を固めて降り始める。沢沿いのルートから樹林内へ入れば、広葉樹の樹冠に遮られた雨滴は優しい。雨具を解いて歩き続ける。雨でドロドロになった道はよく滑る。僕が一度盛大に滑って泥だらけになった。
いつの間にかに雨は止んでいた。取水施設の吊り橋を渡るとゴールは近い。林道を歩き、南アルプス林道へと至った。なかなか奈良田へと着かない道歩きに辟易しながらも、トボトボ歩いて車まで、ゴール。
一目散に奈良田温泉へ、3日分の汚れを流す。無事山行を終えられたことに安堵。焼肉で翌日からの仕事の英気を養って、帰路についた。
(高柳達志)

2024年08月11日

立山、剱岳縦走

実施日:2024年8日4日(日)~5日(月)
山 域:北アルプス
参加者:羽田、青木、他1名
行 程:[8月4日]扇沢→室堂→浄土山→雄山→別山→剱沢キャンプ場[8月5日] 剱沢キャンプ場→剱岳→室堂

 

昨年から憧れの剱岳に登る計画を立て、いよいよ実行に移す時がきた。
扇沢から黒部ダム、天気は上々だ。黒部ダムの迫力と景色にすでに圧倒されるなか、乗り継ぎ室堂へ、ここで水を補給しいざ出発。
1日目は立山三山を登る予定、立山三山は、浄土山、雄山、別山だと予習済み。
浄土山を越えて、一の越山荘に到着すると、すごい人、雄山は渋滞。山頂で700円を払い、お祓いとみんなで万歳三唱をする。3000メートルを超える場所での万歳三唱は圧巻である。
別山を超え剣沢キャンプ場に到着。いち早くビールを飲む。早めに就寝。
 2日目、2時30分起きで剱岳に向けて出発、かにのたてばいに少しビビる。早い時間なので渋滞もなく山頂に到着。天気も良く絶景だ。
少し暑さを感じながら、剣沢キャンプから室堂へ。
室堂でゴハンを食べようとしたら、観光客が多すぎて食べれず。黒部ダムでダムカレーを食べようとしたら、閉店時間。最悪だ。
大町の雷鳥という定食屋があったが、見た目がヤバい。昭和だ。しょうがなく入るが、これまた味は絶品だった。
憧れの剱岳、良い山行となった。
(羽田隼人)

2024年08月04日

鞍掛沢〜乗越沢〜日向山

実施日:2024年8月3日
山 域:南アルプス
参加者:高柳達志(L) 、他3名(AL,M1,M2)
行 程:6:20矢立石駐車場→7:40尾白川林道終点→7:50尾白川入渓→9:20鞍掛沢出合→11:30乗越沢出合→13:00鞍掛山コル→14:50日向山→16:20矢立石駐車場

 

崩壊した林道を終点まで歩き入渓点へ。すでに気温は高く沢が待ち遠しい。沢への下降はフィックスロープがあるが急で危ない。降りきると朝日を受けた尾白川が、眩しいほどの煌めきとともに迎えてくれた。
 3x4m滝は右岸巻き。夫婦滝は右岸のスラブをLがロープを出して登る。残置スリングあり。湿ったざらつく岩肌のフリクション感覚がわからず、中ほどの段差で苦戦。戻れないので側面のリスにハーケン+スリングで手がかりをつくった。ハーケン残置、悔しい。上部もツルツルでずりずりと登った。右岸にフィックスロープ付きの巻道があり、M1はさっさとそちらを登っている。さらに後続パーティーもそちらを登り、まさに登ってきた滝壺に歓声をあげながら飛び込んでいる。なんだかなぁ。M2はプルージックとゴボウ、ALはビレイで確保して登った。
 鞍掛沢に入ると手頃な滝がコンスタントに現れ、ほとんど水流を浴びながら楽しく直登。途中瀞で泳いだり滑ったり飛び込んだり。M2がメガネを落としたが、M1が潜水して拾い上げた。瀞はエメラルドグリーンに澄んだ水をたたえ、真っ白な花崗岩の河床が夏の日差しを反射する。見上げれば雲ひとつない青空。ハングした滝の下で水に打たれ、滑り、泳ぐ。水との戯れに時間を忘れる。ハング滝は左岸を巻いた。
 乗越沢出合の直前の小滝で、前を行っていたM2が左岸中ほどで登れなくなる。ALが水流の中を行けば問題なかったので、Lがロープをフィックスしゴボウで登らせた。ALは岩にしがみつくM2のおもしろ動画が撮れたと言って余裕綽々だ。
 乗越沢の出合を少し通り過ぎてしまった。出合で長めの休憩。出合の10m滝は左岸を巻いた。20mナメ滝はLとM2は右岸ルンゼ状を登った。ALとM1はナメの中央を登ってきた。つづく小滝は全て水流の中を登った。最後のナメ滝8mは左岸を巻いた。アザミが痛い。
 徐々に水が伏流するようになり源頭手前で水汲み休止。コルまでのツメはルートファインディングを間違えて苦労している記録を散見したので注意して登ったが、明瞭な踏み跡があったので迷わなかった。ザラつく足元で笹を掴みながら登り、コルに到着。沢を離れると暑さは容赦なく、汗が噴き出る。鞍掛山に登る元気は無くなってしまった。
 コルを吹き抜ける風に汗を乾かしたあと、下山を始め、緩やかな尾根を快適に歩く。日向山までの登り返しで暑さに喘いだ。ピーカンの日向山は人もまばらだった。快適な登山道を降りてヒグラシの声が聞こえる頃に登山口についた。尾白の湯で汗と汚れを流し、盛夏の沢登りは充実感と共に終わった。
(高柳達志)

2024年08月03日

妙高山、驚異の14時間行動

実施日:2024年8月3日(土)
山 域:頚城山系 妙高山
目 的:夏山・個人山行
参加者:中安

 

焼山、火打山、妙高山は頚城三山と呼ばれ越後の名山に数えられている。昨年、火打山へ登った時、美しい高層湿原と豊富な高山植物の魅力に憑りつかれ、来年は絶対に妙高山に登ろうと思っていた。
金曜日、仕事が終わってから職場からそのまま出発し、甲府昭和インターから中央道、長野道、妙高高原インターを経由して21時に笹ヶ峰駐車場に着く。駐車場は八割がた埋まっていたが、登山口ゲートに一番近い場所に止めることができた。そして車中泊。ぐっすり眠ったため、起きた時には明るくなっていた。寝過ごした。
登山口ゲートで入山料五百円を投函して入山する。黒沢橋までは長い木道歩きだが、気が張っているせいか時間は感じなかった。途中鮮やかな朱色のタマゴタケを発見したが、5本しかなかったので採らなかった。黒沢のせせらぎが聞こえてくると、ブナの大木が私を見下ろして、「頑張れよ」と励ましてくれる。
十二曲りの急登は昨年経験しているので、恐るるに足らず。オオシラビソの樹林帯を落ち着いて登れば訳なく富士見平に到着する。ここは火打山と妙高山との分岐点だ。今回は進路を右に取って妙高山を目指す。
分岐から少し下ると視界が突然開けて、広大な高層湿原が眼下に現れる。そこは、ハクサンフウロ、シナノオトギリ、ヨツバシオガマ、オオバミゾホオズキ、ナンブアザミ、クルマユリなどの高山植物が咲き乱れており、まさに地上の楽園である。特に湿原に咲く白いワタスゲは幻想的でさえある。時の経つのも忘れて、木道をルンルン気分で歩く。やがて、青い変てこりんなドーム型の屋根が見えて来た。黒沢池ヒュッテではないか。
大休止を取って、いざ大倉乗越へ。持病の左膝が傷み始める。腰にも痛みがあり、両足が痺れてきた。しかし、ここで引き返す訳にはいかない。痛みを誤魔化して歩くことには慣れている。まだ大丈夫だ。
大倉乗越に立つと眼前に妙高山の威容がはだかる。その頂へ至るには、一旦長助池分岐まで下らなくてはならない。この道が難航した。雪解け跡の道にはネマガリタケが絡みつき、歩き難いことこの上なし。おまけに強い日差しを浴び熱中症寸前だ。長助池分岐の木陰を捜して大休止する。


ここから標高差四百メートルの登りだ。大したことはない。しかし、登り始めると左膝に激痛が奔る。腰痛どころではない。左足を曲げないように注意しながらゆっくりと歩く。すると今度は両脹脛の痙攣だ。足の親指も痙攣している。ひとり呻き声をあげて立ち尽くす。どうする? 行くしかない。頂上は目前だ。こんな絶体絶命の状況でも、道端に咲く薄紫色のヒメシャジンの群落にうっとりしてしまうから不思議だ。
岩場が見えてきた。そして道の傾斜がなくなった。痙攣も収まった。甘酸辛苦渋の末、やっと妙高山北峰に着いた。しかし、ここは最高峰ではない。休まずに最高峰である妙高大神南峰を目指す。
南峰は快晴であった。トウヤクリンドウが咲いていた。山頂の石にしゃがみ込むと暫く立ち上がる気力もない。ひたすら体力の回復を待つ。今来た道を引き返すと思うと気が重くなる。余力を振り絞って、三脚を立てて我が雄姿を撮影する。


左膝をかばいながら、できるだけ岩を掴みながら体重を足にかけないようにして下る。ただし、止まらない。これが生還の秘訣だ。
長助池分岐を少し過ぎた水場で大休止し、冷水で首筋を冷やす。膝が痛いうえにとにかく暑い。状況は最悪だ。大倉乗越までの登りは地獄であった。来た時の数倍も時間を費やしたような気がする。
黒沢池ヒュッテ前のベンチには登山客が大勢いたが、今から下山する者はいない。皆、黒沢池ヒュッテの宿泊客だ。「これから下るんですか?」と登山客に問われて「ヘッドランプあるから大丈夫です」と答えたら、相手の目が点になっていた。
十二曲りの手前で男女六人パーティーを追い越す。まだ下山する人がいたので、ちょっとほっとした。このパーティーも相当バテているようだ。
黒沢橋あたりで日が暮れる。まだ薄暮なのでヘッドランプを出すには至らない。だが、足元が暗くて時々木道を踏み外してズッコケる。すっかり暗くなった頃、前方に登山口ゲートの灯りが見えてきた。時刻はすでに19時20分を過ぎていた。なんと、今日は14時間行動である。最近は体力の低下により4~5時間の山行しかしていなかったので、今日の山行は驚異的な記録である。自分で自分を褒めてやりたい。ところで、私の後続の六人パーティーはヘッドランプを持っているのか、ちょっと心配だ。
漆黒の杉野沢林道を車で飛ばし、乙見山峠を越えて白馬村落倉の府大小屋に到着する。疲れていて晩飯を食う気が起きない。シャワーを浴びてそのまま横になると朝になっていた。疲労困憊した身体を癒すため、ひとりで日本海の能生海水浴場へ行ったら、熱中症になった。
(中安正議)

2024年08月03日

笊ヶ岳 日帰り

実施日:2024年7月28日
山 域:南アルプス
参加者:羽田
行 程:老平→桧横手山→布引山→笊ヶ岳ピストン

 

梅雨も明け、真夏の照りつける日差しの中、山梨百名山四天王の中の最後の山、笊が岳へ行ってきました。
早川町雨畑からのコース、雨畑が標高500メートルなので、最初の林道から滝汗です。
廃屋を過ぎ、吊り橋を渡り、今にも崩れそうな橋を渡ります。渡渉のポイントで水を補給、非常に暑いので多めに補給しました(ちなみに昨年来たときは水量が多く渡渉できずここで敗退)。山の神までのジグザクの急登を超えるとウインチ、ワイヤが散乱しています。
ワイヤなどは、習字の碑が有名な土地なので、石も運び出すのに使っていたのか。
桧横手山から布引山までは、本当に辛い。ガレ場でタカネビランジを発見、ガレ場の上で、登山者とすれ違う。少し話してみると、なんと地元の人で、笊ヶ岳日帰りのパワフル女子、山梨百名山99座目だと、御坂山岳会にも勧誘。
笊ヶ岳手前の登りは、今までが辛かったので楽に感じます。
山頂に到着、聖、赤石など絶景だ。ゴハンを食べ、小笊にも行こうと思っていましたが、富士山方面はガスで小笊がガスの中なので下山することにしました。一気に下山し、渡渉ポイントでドボン。最高に気持ちいい。
無事下山し、ヴィラ雨畑で入浴、貸し切り状態で最高でした。山梨百名山も残り2座となりました。秋の紅葉シーズンで100座目か。
(羽田隼人)

2024年07月28日

第77回富士登山競走スタッフに参加して

実施日:2024年7月26日(金)
山 域:富士山
目 的:富士登山競走スタッフ
参加者:中安、柏木、金丸、青野

 

4時35分。まだ日の出前の薄暗いセブンイレブンに到着。4:50分待ち合わせだが少し早く着いたので、駐車場の車輪止めに腰掛け、夜明けの空を堪能していた。すると突如目の前にかなりの勢いで車が現れ、轢かれるかと思った。中安さんだった。刺激的なスタートを切ったその日は快晴で、富士山を数時間で駆け上がる超人を間近で見られることを楽しみに中安さんの車に乗り込んだ。
今回の任務は昨年度同様、八合目の吉田口須走口の分岐点で、選手が間違えて須走口へ下りてしまわないように吉田口へ誘導すること。選手より早く目的地に着きスタンバイをしないとならない! と、内心間に合うかドキドキしながら登山をスタートした。植物の名前を教えてもらいながら楽しく登っていった。
順調に歩みを進めていたが、なんと八合目最初の太子館でトップの選手が我々を追い越していった。風のように走りぬけていった姿は圧巻であった。
また、この日の一番の思い出は白雲荘にて起こった。白雲荘では山小屋の若い女性スタッフたちがチアリーディングの如く、選手を名前で呼びながら応援していた。そこにいた一般の登山客もみんな一致団結して選手たちを応援し、そこはまるで競技場か球場のような一体感があった。そんな中、隣に座っていた金丸さんが突如立ち上がり、徐に下の登山道に向かって叫んだ。「中安さん頑張れ~!!!! 中安さーんっ!!」すると、自然と周りから「中安さん頑張れ~」と金丸さんの声援に続いて若い女性の声援が! みな、選手の応援と勘違いをして、一緒に中安さんに声援を送ってくれた。意図せず白雲荘にいた人々から中安さんを応援する声が響いたのだが、本当に面白くて大爆笑してしまった。黄色い声援が中安さんに届いていたのか確認はしなかったが、中安さんと金丸さんのやり取りは漫才の如く面白かった。
無時に八合目の分岐点に着いてからは、終始選手への声掛けに徹した。困難に立ち向かい挑戦する姿は本当に素敵で感動的であった。その姿にとても刺激をもらい、大変貴重な経験となった。
下山開始が例年より遅くなったので、暗くなる前に! 雨が降る前に! と黙々と下山した。つらい下山を乗り越え五合目をあとにしてスバルラインを下る最中、車中のカーステレオがまた疲れた身体を癒してくれた。中安さんがいつもこのCD(涼宮ハルヒの憂鬱)を聞いていると伺い、失礼だとは思いながら笑わずにはいられなかった。とにかく癒された。そして中安さんに信玄アイスをご馳走していただき、美味しくペロリとたいらげた。心地よい冷たさと甘みが身体にしみ渡った。
私もこれからも困難に立ち向かい色々なことに挑戦していこう! と思えた、初めての富士登山競走スタッフ。また来年も参加しようと思えた、そんな素敵な経験となった。
(青野恵子)

2024年07月26日

7月・月例山行 東沢釜ノ沢東俣~甲武信岳(沢登り)

実施日:2024年7月14~15日
山 域:奥秩父山系
参加者:金丸祐司、髙栁達志、他3名

 

今回月例山行として計画したが、髙栁君のみの参加であったため、職場のメンバーにも声掛けしたところ、3名が加わり5人となった。5人となるとタープも1つでは足りないので、ビバークタープLを追加購入した。
天気は雨予報、強くはならないようなので決行することとした。コースは釜ノ沢東俣遡行~西俣下降を考えていたが、天気が良くないので沢下りはやめ一般道を下ることとした。
(1日目)
朝7時万力公園に集合し、2台に分乗し登山口へ。どうせ濡れるからと、小雨交じりの中を出発。鶏冠谷出合で沢支度を整える。ホラノ貝ゴルジュを見学後、先に進む。旧道は比較的整備されており、途中のへつりで2人水没したものの、魚留滝までノーザイルで順調に進む。


魚留滝は左から登るが、出だしが登りにくい。初心者がいるためロープを出し確保する。この上には待望の千畳のナメが現れる。きれいなナメが続き、いい感じのところだ。続いて両門滝。ここは左岸の赤印をたどり上へと登ってみるが、あまり良くない。注意して見渡すと下流の滝と樹林の間に踏み跡が見える。一旦戻り、金丸が念のためロープを付け踏み跡を進むと、やや足場は悪いものの滝上へ出た。ロープを固定し直し、後続はスリング+カラビナで通過した。15時、この先の広河原でテン場を探す。いくつも良い場所があると記録に書いてあったので1740m付近まで歩き、一番良さそうな所へ少し戻って本日の宿とする。
 天気が悪いので、タープの中央で焚き火をすることにした。2.9m×3.6mのタープ2つを連結すると、8人は寝られそうな大きなスペースが出来あがった。雨で流木は濡れていて、一度火が消えてしまったが、何とか火を着ける。煙がタープの間から抜けていい感じだ。今回は魚が釣れない沢なので、牛角肉、チーズ、ベーコンを炙って食べた。20時就寝。


(2日目)
朝4時頃、雨が強く降り目が覚める。6時頃まで降っていたがやがて弱まり、その後は小雨となった。5時起床。各自で用意したカップ飯やカップラーメンを食べ、濡れたタープをたたんで7時前に出発。
しばらくして階段状大ナメ滝。下段を左から巻き、上段も巻こうとしたがあまり良くない。金丸が一旦沢床へ降り、確認すると上段は滝の左を登れそうなので、みんなで引き返す。ルートファインディングを見誤ると大きな労力や危険が伴うので注意が必要だ。
その先の木賊沢出合にある滝は最初が難しそうなので、左岸の巻き道を偵察する。しっかりした踏み跡は右側の木賊山方向に続いているので引き返し、上部に見える赤印へ登ってみるがあまり良くない。髙栁が滝の右側をノーザイルで登り滝上のビレーポイントへ出たので、ロープをフィックスし、後続はオートブロックをセットし登った。髙栁君ナイスだ。
ビレーポイントから上も急峻で気が抜けない。滝は上部で2つに分かれており、その滝の間の樹林をしばらく登り、左側の滝上に出て一安心。もう稜線に近いがまだ水が流れている。小滝を登っていくと藪漕ぎなしで10時、稜線に飛び出し、そのまま休まず甲武信岳へ向かう。
山頂では少々展望も開け、一部雲にかくれていたが富士山も見えた。下山は木賊山経由で刃渡尾根から近丸新道を選んだ。昔鉱山があったらしく、白い鉱石やトロッコ道があり、意外に良いコースであった。15時に駐車場に下山。山梨市の温泉「はつはな」で汗を流し解散した。
 梅雨の中雨予報であったが、ナメ歩きや滝登り、焚き火など、沢登りを楽しむことができた。次は釣れる沢に行きたい。
(金丸祐司)

2024年07月14日

楠川渓谷 沢登り

実施日:2024年7月14日
山 域:北アルプス 白馬村
参加者:中安正議
行 程: 7:24白馬村落倉・京都府立大学山岳会山小屋→8:10新楠川発電所(楠川渓谷入渓)→9:48新楠川発電所→10:26府大山小屋

 

 

7月13日、前夜の御坂山岳会の月例会で帰りが遅くなり、当日朝になって荷物の準備をはじめ、白馬へ向かう。途中、松本のカモシカスポーツに寄ってベアールの補助ロープ30mを買う。夏のファア・メンバーズ割引10パーセントに加え、ペイペイクーポン10パーセントポイント付与で実質20パーセント割引だ。これだけで、今回の山行の目的は達成された。
それはさておき、午後に京都府立大学山岳会山小屋に着いた。小屋は草に覆われていた。草刈りをしないと小屋は1年で廃墟と化してしまう。早速、草刈りの開始だ。ちなみに私は、労働安全衛生規則に基づく刈払機取扱作業者の資格を有している。小屋に常備している刈払機の取り扱いはお手のものだ。あと、チェーンソーによる伐木作業と集材機の運転の資格もある。なにもここで林業を始める気はないのだが。
さて、1時間ほど草刈りをすると、腰が痛くなった。養生しなければ明日の山行に支障をきたす。よって、岩岳の湯へ浸かって腰の回復を促す。大きな浴槽に満たされた褐色の湯の中で両手両足を伸ばす。お客は私以外誰も居ない。快感である。
7月14日朝、小屋から歩いて楠川渓谷に向かう。道すがら、オオバギボウシ、トリアシショウマ、コバイケイソウの花に目を奪われる。タマゴタケも1本発見する。今日は果敢な沢登りといきたいが、実は岩魚釣りが目的だ。新楠川発電所に着くと堰堤の下で釣り人一人発見。しかし、上流へ向かう気配はないので、私はさらに上流へ向かう。発電所の梯子をアクロバチックに下り、楠川渓谷に入渓した。実はここでかなり苦戦した。
昨日まで降り続いた雨のため、楠川はかなり増水していた。遡行意欲が一気に失せる。なら、岩魚釣りだ。と意気込んだが、釣りの支度にてまどう。渓流に仕掛けを振り込むが、なかなかうまくいかない。狭い渓流では4.5メートルの仕掛けは長すぎるような気がする。


根掛かりの回収にイライラしながら、時間だけが経過していく。そのうち、雨粒がポツポツと石を叩き始めた。「しまった。雨か」と、思う間もなく視界が霞み始めた。本降りの雨である。雨具を着てまで岩魚釣りはしたくない。引き返すことにする。今回、石川さんからいただいたビクも、新しく買ったタモも、全く役に立たなかった。
小屋に着いてから周辺を確認すると、昨日の刈り残しが目に付く。やることがないので、雨の中、再び草刈りを始める。作業を終えてシャワーを浴びて、小屋の二階の窓から外を眺めると、林道の反対側の駐車スペースにまだ刈り残しがあることに気が付く。このことが気になって、夜も眠れない。
翌朝、また草刈りに勤しむ。草刈りエリアは、どんどん広がっていく。混合油2リットル一缶が空になった。草刈りとは、やり始めるとやめられなくなるものなのだ。造林業者が、「ここまでしなくても」と言うくらい丁寧な下刈りをする気持ちが分かるような気がする。
結局、この三日間、山小屋周辺の草刈りに没頭していただけであった。


(中安正議)

2024年07月14日

笛吹川水系ナメラ沢

実施日:2024年7月6日
山 域:奥秩父
参加者:髙栁達志
行 程:7:10雁坂トンネル駐車場8:00→8:40沓切沢橋→9:20中ノ沢出合→11:00二俣12:00→(同ルート下降)→13:30中ノ沢出合→14:10沓切沢橋→14:50雁坂トンネル駐車場

 

マイ・ザイルを購入し、まずは簡単な沢にということで、ナメラ沢へ。
駐車場のわきで懸垂下降と仮固定の方法を確認した。沓切沢橋まで林道を歩く。雁坂越えをするのかわからないが、夏道歩きの人も数人見かけた。ここまでで汗だくになった。
沢に降りて遡行開始。最初の滝は左岸をよじ登った。時々現れるきれいなナメはなるべく水流を歩きながら楽しんだ。
ゆっくり歩いたから生き物も目に付いた。沢沿いにはいろいろなアブがいる。おそらく沢にたまった倒木を利用しているのだろう。あまり見かけることのないネグロクサアブを見つけた。ずんぐりとした大きな体に比して小さな頭のアンバランスが印象的だ。朽ち木の間の土の上をしつこく歩き回っていた。産卵場所を探していたのだろうか?


二俣まであっという間についた。昼食をとり、しばらく休憩する。日差しが一時強くなったが、すぐに薄曇りになった。
これより上に行っても面白くないと聞いていたから、引き返すことにした。滑らないように注意しながら降りる。斜度のあるナメ滝と、最後の滝ではザイルを出して左岸を降りた。沓切沢橋に上がったところで本降りの雨になった。
有名な場所だからか2パーティに会った。気楽な沢歩きだった。
(高柳達志)

2024年07月06日

大菩薩山系 日川支流 曲り沢(沢登り)

実施日:2024年6月29日
山 域:大菩薩山系
参加者:金丸祐司、他3名

 

前回の伝丈沢に続き、職場の仲間に初級沢登りを企画したところ3名が手をあげた。前日に強めの降雨があったが、簡単な沢なので増水がちょうどいい感じになった。


景徳院駐車場に7時に集合し出発。他の2人組パーティーも曲り沢に入るという。しばらくは作業道を歩く。30分ほどで作業道終点。ここで沢支度を整え入渓。天気は曇りでやや寒い感じだ。特に悪場は無いので、積極的に流心を歩く。ナメあり、小滝あり、シャワークライムを交えながら登るので、思いのほか楽しい。日帰りなので荷物も軽く、順調に進む。
11時前に稜線へ出た。懸垂下降などのロープワークをした後、ゆっくり昼食をとる。1時間ほど休憩をとり、なだらかな稜線を下る。左手に80年生のカラマツがあるはずなので、注意して歩いたが分からなかった。


下りも順調に進み、14時前に景徳院駐車場に到着。陽が差しとても暑く、山の中でうすら寒かったのがウソのようだ。今日参加した一人は、ハーネスなど登攀具を購入してきたとのこと。登攀具を貸したもう一人も購入するそうだ。沢屋さんが増殖中である。
(金丸祐司)

2024年06月29日

甲府近郊の山、湯村アルプス 湯村山~法泉寺山~八王子山~天狗山

実施日:2024年6月22日
山 域:甲府市北部の山
参加者:中安正議
行 程:13:20湯村山→14:00法泉寺山→14:30八王子山→15:00天狗山→15:44湯村塩澤寺→16:05緑が丘陸上競技場

 

土曜日の午前9時起床、気怠い朝を迎える。昨夜は飲み過ぎた。寝床の横には脱ぎ捨てられた衣服が散乱している。どうやら風呂にも入らずに寝たらしい。昨夜帰宅途中で時計を見たら12時を廻っていたことは覚えている。
昨日行った店は甲府駅南口の山小屋酒場「久仙」。旧広河原山荘の管理人塩沢久仙さんの御子息顕慈さんが、この4月にオープンした店だ。塩沢久仙さんには生前、大変お世話になった。息子さんの顕慈さんの料理の腕前も定評がある。洗練された食材を提供する粋なお店だった。甲府に来られたときはぜひ訪れていただきたい。という訳で、美食に舌鼓を打ちながら、キープしていたウイスキーボトル1本を空けてしまった。
まあ、そんな話はどうでもよい。この堕落しきった身体を浄めなければならない。そうだ、山へ行こう。幸い我が家は山裾にあり、家から歩いて山に行くことができる。車を運転しなくてよいので二日酔いでも問題はない。我が家の西側には、湯村山、法泉寺山、八王子山が聳える。これら山なみの裏には、まだ登ったことのない天狗山が鎮座するという。行ってみよう。この甲府市北部の低山を私は勝手に「湯村アルプス」と名付けた。
正午がとっくに過ぎてから行動を開始する。まずは近所の行きつけのパン屋(栄や)に寄って、昼食用のパンを三個買う。ここのパンはとても美味い。一個は待ちきれず、すぐに食ってしまった。
緑が丘の体育館脇から湯村山へ取り付く。ラジオをかけながら歩く登山者とすれ違い、むかつく。私は山の静寂感が好きなのだ。ラジオはやめてほしい。
湯村山から本格的な登山道となる。この道は、クロスカントリースキーのコーチをしていた頃、よく選手たちのトレーニングに使ったので、状況は熟知している。夏は蜂がいるので注意が必要だ。
四阿で休憩し、甲府盆地の眺望を楽しみながら昼食のパンを食べる。そこから僅かで八王子山だ。八王子山の山頂からは富士山を拝むことができる。八王子神社にお参りして、天狗山に向かう。白い花崗岩の尾根を下ると天狗山への分岐点に至る。とても不明瞭な分岐だ。看板がなければ知らずに通り過ぎてしまいそうだ。


滑りやすい急斜面をひたすら下る。こんな下りのどこに天狗山があるのだろうと思っていると、突然こんもりとした高さ4メートルほどの石積みが現れた。そこが天狗山だった。樹木に覆われてまったく展望はないが祠があり、なにか神聖なところらしい。
そこからまたヌルヌルした急斜面を下ると、舗装道路に出た。そこから住宅街を下って行くと、見慣れた湯村の街中に入った。
もう3時間以上歩いている。足と腰が痛い。どこかに腰かけて休みたい。丁度、緑が丘陸上競技場で陸上競技の試合が行われており、スタンドに腰かけて観戦している振りをして、休む。百メートル10秒88の快走をまじかで見ることができ、ちょっと得をしたような気分になる。陸上競技場から湯村アルプスがよく見えた。


(中安正議)

2024年06月22日

6月・月例山行 大岳山

実施日:2024年6月22日
山 域:奥多摩
参加者:榑林、渡辺(直)、齊藤

 

当初は月例山行を南アルプス深南部の加加森山にしようと考えていた。原生林が広がっており、苔の森が美しいと聞いたことがあったからだ。しかし、まず場所が遠いし、また、テン泊することを考えると、月例山行としてはハードルが高いなと考え直した。ということで、気になっていた奥多摩三山(大岳山、御前山、三頭山)のうちの大岳山をチョイスした。
朝5時に家を出発し、大岳山ケーブルカーの滝本駅を登山口として7時に登山を開始。ケーブルカーが運転を始めたが、我々はケーブルカーを使わずに下から歩く。まずはケーブルカーの終点の御岳山駅を目指す。御岳山駅までは、そこそこの登り勾配の舗装路を歩く。じんわりと暑かったが、背の高い木々がたくさんあって、多少は和らげてくれている。


始発駅から終点駅までは林道歩きだったが、終点駅に来ると急に宿やお土産店、食事処が立ち並ぶエリアになった。静かな林道を歩いて標高を上げたところで、急に賑やかになったので、不思議な気持ちだった。(それまで登山客ですらすれ違わなかったのに、)ここに来ると登山客もいるが、登山客ではない一般観光客の方々ともすれ違うようになり、ガラリと雰囲気が変わった。程なくして、登り工程のおおよその中間地点である御岳山の武蔵御嶽神社に着いた。
神社にお参りをしてぶらぶらしていると、絵馬が目について少し内容を眺めてみた。飼い犬とのお願いごとが書かれているものが多い。直樹さん曰く、奥多摩はおいぬ様への信仰が厚く、ここもその一社なのだそう。どうりで見かける一般観光客の多くが飼い犬を連れているわけだ。いつも思うが直樹さんは物知りだなぁ。
神社から大岳山までは観光地の雰囲気が薄くなって、登山感が増した新緑の森林歩きだった。登り行程では、鍋割山経由で大岳山を目指した。
大岳山の手前では大嶽神社という神社があった。我々は中間地点の武蔵御嶽神社でお賽銭を納めてしっかり詣でたので、ここでは手を合わせるのみでさらっと頂上を目指そうとした。ところが、榑林さんが足を止めた。「本殿と拝殿と分けられていて立派な神社だ!ちゃんとお賽銭も納めよう」とか何とかで「ザックを開けたり閉めたり忙しいな」と言いながらもやり直されてた。めっちゃ笑った。私は手間がかかって面倒なので最後まで手を合わせるのみだった。神様はきっとお賽銭を納めなくても優しくしてくれるはず!


大岳山山頂に着くと、それまで見られなかった富士山が現れた。360度展望ではないけど、富士山方面の景色が遠くまで綺麗に見られた。
山頂で食事をして、下山を開始した。登り行程では御岳山の武蔵御嶽神社を経由したが、下山工程では、ロックガーデンと呼ばれるエリアを経由することにした。ただ、ロックガーデンは鞍部になっていて、もう一度200mほど登り返す必要がある。直樹さんはロックガーデンに以前行ったことがあるらしく、登り返すのも大変だということで、今回はパスされるらしい。ということで、私と榑林さんのみロークガーデンを経由した。


ロックガーデンはしっかりと整備された自然園で、苔むした清流エリアだった。滝のしぶきを浴びたり、清流に沿って歩いたりと、随分と涼しくなって、気持ちの良い苔の森歩きだった。登り返した後は、直樹さんと合流し、淡々と下山路を詰めて山行を終えた。
下山後の温泉はつるつる温泉に立ち寄った。入館した後に知ったが、このつるつる温泉は大岳山御岳山の登山口起点の一つのようで、すでに激混み状態。体洗い場も立って列をなして待っている状態だった。もっと調べておいて別の場所を選んでいればよかった。
今回の月例山行の大岳山は、観光地として色々と見所のある魅力的な山だった。東京の山にはほとんど行ったことがなかったが、観光&山行の一石二鳥のお得さを感じたので、また別の山にも行ってみたい。
(齊藤)

2024年06月22日

奥秩父 伝丈沢~八幡山(沢登り)

実施日:2024年6月15~16日
参加者:金丸祐司、髙栁達志、ほか5名

 

職場で沢登り体験会を企画したところ4名が手をあげた。高柳君も情報を聞きつけ参加、お手伝いに私の知人も加わり、総勢7名で伝丈沢に行くことになった。一週間前の天気予報は雨が強く降るとの予報だったのでいくつかパターンを考えたが、だんだん予報が好転し当日を迎えた。全くの未経験者は3名、事前にハーネスやヘルメットなどを貸し出しておいた。
午前7時にエルクに集合し、2台に分乗し出発。伝丈橋の駐車スペースには車がなく、沢には誰も入っていない様子。沢支度を整え8時半入渓。しばらくは堰堤があり作業道を歩くが、最後の堰堤を越えてから積極的に沢の中を進む。陽が射し込み明るい沢で気持ちがいい。未経験者がいるので途中のナメ滝ではロープを出す。その他に難しいところはなく、やがて10時半大滝に到着。これまでは大滝を左岸から登っていたが、一般的には右岸のようなので偵察に行く。確かに右岸からのほうが登りやすいので、上部15mにフィックスロープをセットし1人ずつ登る。


大滝から上は1時間ほどフリータイムとし、各自自由行動。釣りをする人は5人いるので、上下に散らばって釣り始める。毛針の高柳君が先行し、餌釣りの4人がその後を各自思い思いに釣る。釣らない女性2人は日向ぼっこでのんびりしている。13時半に二俣に集合。高柳君は5匹、私は4匹など、合計で15匹とまずまずの釣果だ。左俣を30分ほど歩くと二俣となる。宿泊適地を求め少し下って14時、荷物を下ろす。


まずはみんなで設営だ。タープ、テント2張を張る。その後は焚き木を集め。焚き木は豊富にある。14時半から釣り人3人は釣りへ。残った女性2人は串作り、男2人は岩魚をさばく。小さい岩魚もていねいにさばき、皿へ刺身を盛り付ける。17時宴会開始。久しぶりに食べる岩魚の旨いこと。今回は刺身用に6匹、塩焼き用7匹、小さめの2匹は骨酒に。胃袋は酒と醤油で煮てつまみに。残ったアラは味噌でアラ汁に。岩魚を堪能した後は、牛角肉、チーズ、ベーコンを串に刺して炙って食べる。楽しい時はあっという間に過ぎ21時就寝。
夜半1時頃起きると雨、2時頃からは強く降り出した。タープ3人のうち両端は半分濡れた。6点をしっかり固定すればよかったと反省。明け方雨は小降りになった。
(2日目)
午前5時起床。まだ雨が降っている。お茶を飲んだ後、各自で用意したカップ飯やカップラーメンを食べる。濡れたタープ・テントをたたんで7時出発。1時間ほど登ると滝が現れる。左側を巻き気味に登り、念のためロープを20mフィックスする。各自ロープにフィリクションノットをセットし登る。その上の滝は左側から、上部5mは中央部を、念のためロープで確保し登る。滝を越え水が枯れる手前で水分補給。源頭部は藪を漕ぐことなく、すんなり稜線へ出た。
稜線はシャクナゲが群生し、不明瞭となりシャクナゲの藪漕ぎを強いられる。目印をたどり9時半、今回の最高点となる八幡山の頂上に到着。狭いので各自記念写真を撮り、休まずに通過する。この先はシャクナゲが濃く、分かりにくい所が多々出てくるが、注意深く探すと目印がポツンポツンと繋がっている。行っては戻り、必死に目印を見つけて、何とか先に進むことができた。このシャクナゲの藪漕ぎは1820m地点まで、2時間近く続いた。その先は歩きやすくなり快適に進む。30分ほど歩き、11時40分チョキの山頂へ。晴れていて暖かく、濡れた体にそよ風があたり気持ちが良い。服を乾かしがてら1時間ほどのんびり休む。ここから30分登山道を下り、作業道を30分、林道を1時間歩き、14時半、車へ戻った。帰りの途中、草津温泉で汗を流し、17時エルクで解散した。
荒天予報であったが、概ね天候にも恵まれ、岩魚、焚火も堪能し、初めての沢登りは良い思い出になったようだ。
(金丸祐司)

2024年06月15日

富士山 ~富士宮口から単独日帰り~

実施日:2024年6月1日
山 域:富士山
参加者:内山章

 

富士山は我々にとって馴染み深い山であるが、冬季のような厳しさを追及するのと違った残雪期ならではの趣がある。
富士宮口五合目までの富士山スカイラインは5月13日から時間による交通規制が解除され、行動時間が制約されなくなったこと比較的天気が良さそうなことからピンポイントでこの日を選んだ。
7時20分、富士宮口五合目の宝永入口から登山開始、霧雨なので合羽のズボンは履かなかった。ズボンは濡れたが途中で下山者と会話し、「6時の時点で九合目から上は晴れていた、ハイドレーションは凍ってしまい使えなかった」とのこと。
9時20分、八合目、この間霧雨~小雨、多くは夏道を行くようだが敢えて雪渓に入り直登する者もいる。こちらはもちろん後者。食糧を口にしてサングラスと手袋を着用、ピッケルを出す。雪渓に入ると雪は締まっておらずズルズル滑るので早々にアイゼン着用。晴れたり曇ったりガスったり。
11時45分、富士宮口頂上、頂上直下に雪はないが少し下まで雪渓はしっかり繋がっていた。目的とは言え標高差およそ400メートルのうんざりするぐらい長い単調な登高。この間、夏道に見える登山者に負けないスピードを維持するのはかなりキツかった。再び食糧補給して剣ヶ峰へ。
12時15分、剣ヶ峰、写真撮影や景色を堪能したあと下山開始、薄手の手袋では指の感覚がなくなってしまった。
12時45分、富士宮口頂上から下降し雪渓を下る。アイゼンを滑らせながら調子よく下る。シール登高のBCスキーヤーに遭遇、「シールだけで大変ですね」の問いに「いや~楽しいですよ」だそうです。
13時50分、元祖七合目、八合目で夏道に移らなかったのでこれは雪渓を下り過ぎ。ブル道をたどったり少しロスした。アイゼンを外す。
14時5分、新七合目で三たび食糧補給。14時55分、富士宮口五合目帰着。


追記
インターネット上でルート取りによっては登山口のバリケードを通過することなく入山できるという複数の情報が見られた。先々シーズンの経験では同ルートでも多少の後ろめたさを感じながら入山したが、今シーズンここに限っては注意喚起なども見当たらなかった。自分としては、―富士登山における安全確保のためのガイドライン(主に夏山期間以外における注意事項)―を解釈して臨んだ。
(内山章)

2024年06月01日

九州遠征

実施日:2024年5月31日~6月2日
山 域:九州の山
参加者:羽田隼人
行 程:1日目 由布岳、久住山
2日目 阿蘇山、祖母山
3日目 韓国岳

 

知り合いが熊本に予定があるので一緒に行かないかと誘ってくれたので、九州の山に行くいいチャンスだと同行することに。知り合いは昼間予定があるので、その間に私はレンタカーを借りて様々な山を巡る計画にしました。
木曜日の仕事をだいたい終わらせて、羽田から夕方の飛行機で熊本へ、レンタカー店閉店ギリギリの20時に熊本空港に到着、レンタカーを無事ゲット、今回は早割で予約したので4日間で15,000円と格安。ホテルに荷物を置き、さっそく熊本の街へ、熊本といえば馬料理です。木曜の夜は三村というお店に、馬刺し、馬焼きなどを堪能、特に馬焼きは絶品でした。
*金曜日 登山1日目
予報通り朝から雨、大分県湯布院町へ、由布岳の正面登山口に到着混雑しているとのネット情報だが、朝早い雨の平日、ガラガラで無料駐車場にも駐車でき、先行者は1組の様子。緩やかな登りから樹林帯に入っていく。


さっそくミヤマキリシマだ。雨に濡れるミヤマキリシマもきれいだ。山頂付近はまあまあの風雨、東峰と西峰があるがここは無理せず東峰のみの登頂。
下山し湯布院の温泉へ、エメラルドブルーの温泉に浸かり濡れた体を癒す。午後の遅い時間ほど天候が回復する予報なのでカレーうどんで昼食とりながら天気とにらめっこ。雨が止んだので次の山、久住山に向かう。
久住山登山口に到着は午後2時。下山している人もたくさんの中、登り始める。最初はコンクリートをひいた登山道、なんだこれは。九州は日没も遅いので時間の心配はないが足早に登っていく。雨は完全に上がったので気分は上々。あとはガスが晴れてくれれば。山頂付近に到着すると晴れ間が見えてきて展望も良好でした。足早に下山しホテルへ。
*土曜日 登山2日目
朝から快晴の2日目、まずは阿蘇山。仙酔峡から中岳のルート。山頂のミヤマキリシマは素晴らしかったです。移動して、祖母山に、ここは緩いのぼりなので気持ちよく走ることができました。山頂からは九州の山を一望です。
*日曜日 登山3日目
最後の山は、韓国岳。ほとんど私はお酒を飲まないのですが、前日に飲んでしまい軽く二日酔い。しかしお天気もよく気持ちいい登山。硫黄山、新燃岳がモクモクしていて地球の躍動が感じられました。
三日間、九州満喫の楽しい山行でした。
(羽田隼人)

2024年05月31日

富士吉田市民スポーツ祭り バスハイキング 入笠山

実施日:2024年5月26日
山 域:南アルプス 入笠山
参加者:渡辺直樹、中安正議、石川敬子、鈴木文代、柏木正明、羽田政人、羽田早衣子、横山秀敏、齊藤康平、金丸祐司、舟久保元孝、内山章、勝俣和子 他一般参加者64名、総勢77名
行 程:富士吉田市役所7:40→9:05八ヶ岳PA→10:00沢入り駐車場10:20→11:20法華道→11:40マナスル山荘→12:45入笠山13:50→14:30山彦荘14:55→入笠湿原→16:05沢入駐車場16:15→17:20双葉SA→18:20富士吉田市役所

 

 

去年の市民バスハイキングは梅雨に入ってしまい当日は雨となったので、今年のバスハイキングは梅雨入り前の5月最終週での開催となった。幸い高曇りで途中ぽつぽつと雨が降り心配したが本降りとはならず、ほとんど濡れることなく1日の行程を終えることができたので胸を撫で下ろしている。
沢入駐車場に着いてトイレ休憩には長蛇の列、参加者に女性が多いのでトイレ休憩は余裕をもって行う必要がある。朝の準備体操は慣れたところで横山さんに主導してもらう。


スタートして10分もたたないうちに1人が遅れ始めた。当人は「置いていって欲しい」とのことだがそういうわけにもいかず、会員3人が付き添いVIP待遇となって登山を続行することになった。様子を見るにこの人は両足に痙攣を起こしており、山頂には行けないかなと思っていたが、遅れてへばりながらもなんとか山頂に辿りついてひと安心。
マナスル山荘ではギターとサックス、ベースの演奏会が開かれていて休憩中にのどかな時間が流れていたが、マナスル山荘から山頂までの岩場ルートの急登に参加者はこたえていた。しかし、疲れていても山頂に着くとみなさん笑顔になっていたのでよかった。


天空には青空が見えていたが、富士山や北アルプス方面は雲で隠れており、残念ながら360度の大展望とはいかなかった。ゆっくりと昼食を摂り、全員で記念撮影を行い、下りは傾斜の緩い岩場迂回ルートへ。
行きは最短コースとなるように樹林帯の中を登ったが、帰りは余裕があったので獣害防護柵に囲まれた花畑の中に入り、高山植物を鑑賞しながらジグザグ道を下る。楽しみにしていた入笠湿原のスズランは、今年は開花が遅れており、まだ蕾であった。


入笠湿原からは来た道と同じ道を下る。来る時には気が付かなかったが、よく見ると道の周りは手入れの行き届いた見事なカラマツ人工林だ。
先頭と最後尾はかなりの間隔が開いたが、全員無事に沢入駐車場へ下山した。行程的には1時間ほど遅れて富士吉田市役所に帰着し、市民バスハイキングは無事終了した。なお、帰りのバス車中で参加者の一人から御坂山岳会への入会申込みがあった。また、別の参加者が御坂層74号を一冊購入した。
バスハイキングでは毎年、バス車内に手袋、帽子、スパッツなどの忘れ物が多い。いまだに所有者の現れない忘れ物もある。今年こそは忘れ物のないようにと、解散時に口を酸っぱくして参加者に呼びかけた。参加者が降車した後、入念に車内を点検し、今年は大丈夫だと自信を持って打ち上げ会場に臨んだ。1時間ほどしてバスの運転手から電話があった。1号車の後部座席の隙間に、現金の入った財布の忘れ物があったと言う。なんか、止めを刺された心境だった。
(渡辺直樹)

 

2024年05月26日

笊ヶ岳

実施日:2024年5月25~26日
山 域:南アルプス
参加者:髙栁達志 他1名
行 程:[5/25]硯島小学校跡5:50→6:20硯の里キャンプ場尾根取付き→10:201828m三角点→15:502500m地点C1 [5/26]5:00C1→5:20小笊→5:40笊ヶ岳-7:50布引山→12:00広河原→14:15老平駐車場

 

老平登山口駐車場はすでに満車で小学校跡のグラウンドに車を停めた。老平集落を見下ろしながらキャンプ場へ舗装路を歩き、ランカン尾根に取付いた。
尾根をひたすら上る。炭焼き窯の石積みが残る薪炭林、檜の分収林の人臭い山を歩く。檜林はブッシュが濃い。ナラのほとんどはナラ枯れ被害を受けていた。
地形はわかりやすく、ピンクテープも時々あるので迷うことはない。大金山への尾根と合流する1350m地点までフラスを出したミズナラが見られた。1828三角点までの尾根上にミズナラの巨木が数本あり、それらはまだ穿入を受けていなかった。ここまでくると天然の森といった様子だ。
1500m前後でブナが目立つようになり、林床はイワカガミが目立った。1700m前後でシラベなどの針葉樹林となり、あとはテンバまで亜高山の森を徐々に上がっていく。途中細い尾根もあったが緊張するような場所はなかった。
岩場にクモイコザクラが咲いていた。小笊と笊ヶ岳の間のコルでの幕営を当初考えていたが、雨が降ったら嫌なので早めに2500mほどで見つけた平地に決めた。雑炊を食べて就寝。読書しながら横になったが、18:30には寝たはず。防寒着を十分に持ってこなかったので寒かった(フリースと薄いダウンジャケットのみで、下半身が寒い)。
3:00過ぎには起床したが寒すぎて動きが鈍く出発は5:00に。樹林の間から朝焼けが見えて眺望の期待が高まるが、山頂に近づくにつれてガスが出てくる。小笊と笊ヶ岳の凸部はハイマツ。山頂に立つとアルプス側は綺麗に見えていた。富士山側はガスだがコーヒーを淹れながらしばらく粘る。日差しが強くなるについてれガスは薄くなっていき、雲海に浮かぶ富士山が見えた。山頂には誰もこず、独り占め。山で夜を過ごしたのは私たちだけだったようだ。
1時間以上のんびりしたが下山を始め、気持ち良い樹林を歩きながら布引山を通過し、ガレでアルプスの最後の眺望を惜しんで奥沢へ降る尾根に入った。あとはひたすら降りて広河原まで。急かつ単調で、登るにはうんざりしそうな道だ。1700mほどからカラマツ造林地となって打ち捨てられた搬機やウィンチがあった。ナラはほとんどなくナラ枯れもなかった。途中すれ違ったのはいずれもトレラン風情の人たち。奥沢の渡渉は岩伝いに。斜面を切り取った道の跡を歩いて廃屋に到着。
途中の壊れかけた橋やガレ上の道は結構危ない。ランカン尾根よりよっぽど危険ではないだろうか。程なくして軽トラが通れるくらいの道になって駐車場までぷらぷらと歩いた。villa雨畑でくつろいで帰った。
(髙栁達志)

 

2024年05月25日

5月・月例山行 立山バックカントリースキー

実施日:2024年5月18~19日
山 域:北アルプス
参加者:中安正議、青木信子
行 程:[5月18日]5:30富士河口湖町→6:40甲府→9:25扇沢駐車場→11:40室堂→14:00室堂山国見岳コル→14:50天狗平山荘(泊)[5月19日]天狗平山荘7:30→7:43室堂→9:30一ノ越10:40→11:20室堂→12:50黒四ダム→14:00扇沢駐車場→20:00甲府

 


国内の生産活動を中心となって支える人口のことを生産年齢人口という。その年齢は15~64歳と定義されている。私は今年65歳。労働力の中核として経済に活力を生み出す人々の指定席から退場させられたということだ。もはや私は、老年人口と呼ばれる指定席に移動を余儀なくされたのだ。
それでも私は、週5日間フルタイムで働き、若者たちに負けてなるものかと歯を食いしばって頑張っている。なのに周りの人々からは「中安さん、暇そうですね」とよく言われる。なぜだろうか。
それはさておき、年々体力が落ちていくことは否めない。そう遠くない日に、山に登れなくなるような気がする。それまでに、登りたい山には登っておきたい。「山は逃げない」と巷では言われるが、「山は逃げる」のである。登れるときに登らないと、山は逃げて行くのだ。
どうしても登りたい山は幾つもあるが、そのうちのひとつが立山だ。二十歳の頃から毎年のように通っていたが、ここ十年ほどご無沙汰である。私の青春の思い出が散らばっている山だ。どうしても行きたかった。
月例山行として御坂山岳会会員に呼びかけたところ、一人ひっかかった。青木さんだ。バックカントリースキーは一人ではつまらない。自分の滑っているところが撮れないからだ。今回は二人なので大撮影大会が敢行できる。楽しみだ。
大町からアルペンルートを利用して室堂へ向かう。片道6,540円。高い! でも、立山は登らなくてはならない山だ。仕方がない。
ロープウェイから眼下のタンボ平を窺う。雪が少なくブッシュが露出している。これではスキーではなくただの藪漕ぎだ。明日、ここを滑るかどうしようか迷う。
アルペンルートでスキーを携行しているのは我々二人だけだった。あとは観光客、外人ばかりなので海外登山に来たようだ。観光客はケースに包まれた我々のスキーに興味津々だ。
室堂には十分過ぎるほど雪がある。どこを登るかよりどりみどりだが、室堂山へ登ることにする。青木さん、さすが女性らしく上下とも鮮やかなピンクのスキーウェアだ。雪山に映える。これから彼女のことをパー子と呼ぼう。
喧噪の室堂ターミナルからいきなり静寂の雪原を、シールを効かせて登る。快適である。雪は程よく締まっており、快晴の青空の下に光り輝く雪が美しい。
室堂山と国見岳の間のコルから滑降を開始する。とても気持ちが良い。ターンするたびに体が浮き上がる感じだ。ハイマツ帯に入ってからは限りなき斜滑降。下り過ぎると天狗平まで滑れなくなるので注意が必要だ。


天狗平山荘に着くと、小屋のオーナー佐伯賢輔氏が迎えてくれる。彼とは45年来の友人だ。暫く見ないうちにすっかりお爺になっていた。待てよ、彼と私は同い年だっけ……。
着いていきなり大ジョッキの生ビールを飲み干し、すっかり酔ってしまった。その後、ロング缶2本を立て続けに飲んだ青木さんには敬服する。


夕食後、夕陽を見に小屋の外に出る。日本海を望む富山平野に紅の太陽が沈んでいく。まさに、奇跡の黄昏である。高い交通費を払って来た甲斐があった。三十分ほどの大自然の演出に感銘する。
翌朝、超豪華な朝食後、小屋の車で室堂まで送ってもらう。空は高曇りだ。今日は取り敢えず一ノ越まで登って雪の状態を見てから、タンボ平に滑るかどうか決めることにする。まだ、タンボ平には未練がある。タンボ平を滑れば、トロリーバスとロープウェイの交通費3,900円が浮くからだ。
一ノ越への登りは、パー子、いや、青木さんがどんどん先に行ってしまう。お爺はマイペースで登って行く。一ノ越直下で雪がなくなり、スキーを担いで登る。一ノ越から雄山への道には雪が全くない。でも、岩だらけの道をスキー靴で登る気もしない。
一ノ越から東一ノ越を観察する。雪は少なく夏道が露出している。この道を1時間半、スキーを担いで歩くのはいやだ。それよりも途中の雪渓が難所のようだ。東一ノ越へ向かった二人パーティー、滑りを見るとかなりの上級者のようだ。しかし、雪渓のトラバースで動きが止まっている。難航しているようだ。アイゼンを持って来ていない我々には無理のようだ。
やはり、タンボ平を滑るのはやめて、室堂に戻ることにする。命あっての物種だ。3,900円がなんだ。一回飲みに行くのを我慢すれば済むことではないか。


室堂へ向かう斜面で雷鳥に遭遇する。雷鳥が進行方向の横断を終えるまで暫し休憩。雷鳥の生息域を撹乱しては申し訳ない。そしてまたパラレルターンの繰り返し。楽しいことこの上なし。室堂の手前斜面は傾斜が緩く、ルートファインディングが難しい。ガスっていれば雷鳥沢に迷い込みかねない。


室堂に着いてから、スキーを脱いで遊歩道をミクリガ池まで散策する。池は完全に雪に覆われていて、ぜんぜん池じゃなかった。
アルペンルートのロープウェイを下車した黒部平で、一ノ越からタンボ平へ向かった二人組に再会する。彼らに状況を訊くと、
「何とか滑って来たけど藪漕ぎでした。行かない方がよかったですよ」と答えた。やはり、タンボ平はもっと雪のある時期に滑ることにする。来年リベンジだ。そう思うと胸がわくわくしてきた。


黒四ダムでちょっと昼寝をして、扇沢の駐車場に戻る。周辺はすっかり初夏の様相だ。長野のラーメンチェーン、テンホウの大町店で野菜炒めとラーメンと餃子をたらふく喰う。体も心も満腹だ。ただの山登りとはちょっと違う、バックカントリースキーのこの充実感は何なのだろう。
(中安正議)

2024年05月18日

80歳記念山行「燕岳」

実施日:2024年5月15日~17日
山 域:北アルプス
参加者:石川敬子

 

残雪の山に登りたくて4~5年GW前後に続けて燕岳に登ってきた。割合登り易く適度に残雪が有り、燕山荘で一泊してのんびりするのが楽しみでもある。平日に行く仲間はほとんどいないし、一人の方が自分のペースで行けるから気楽でもある。早起きが苦手なので行動前日に駐車場で車中泊も一人だと出来る。
一昨年は中房線道路が崩壊していて通過に時間が掛かり、出発が遅れかなりハイペースだったが小屋に着くのが遅くなった。昨年は家を出るのが遅くなったにも関わらずのんびりし過ぎて、またも小屋に着くのが遅くなってしまった。今年はもう最後にしようと思ったので、駐車場車中泊でゆっくり行くことにした。
5月15日、午後3時頃家を出てのんびり車を走らせる。薄暗くなって中房温泉駐車場に着いた。時間的に空いてる。夜中ふと目が覚めると車の屋根を叩く雨音、、、(えっ、雨? 嫌だなぁ、どうしようかな……)かなり強い雨音に気が萎える。予報では日中晴れるって言ってたよなぁ、とりあえず朝になってから考えよう。


5月16日、5時起床、雨は小降りだ。外を見ると出発する登山者の姿が見えた。やっぱり行こう!  支度をして登山口へ。傘をさすほどでもない。一年ぶりの登山道にはほとんど雪は無い。次第に雲が切れて青空になってきた。今日は時間に余裕が有るのでゆっくり行く。富士見ベンチ辺りから残雪が出てきたがアイゼン着けるほどでは無い。合戦小屋は営業準備中だが、トイレが解放されてるので有難い。
ここからは残雪多く傾斜もあるのでアイゼン着ける。でも来るたびに雪が少ないなぁ、と感じる。朝の様子では展望は期待出来ないと諦めてたが、合戦の肩に出るころから槍が姿を現し、残雪の山並がパノラマにつながる。雪の感触を楽しみながら、ゆっくり上がって行く。
あんまり早く着いてもやること無いし……、それでも、昼には小屋についてしまった。小屋周辺はかなりの強い風が吹いていて、楽しみだったテラスでの到着祝いビールは小屋の中で。山頂は行かなくても良いかなぁ……と思ったけど、小屋に居たらすること無いから飲んでばかりだし、と山頂へ向かう。
空は黒い雲が広がり始めている。山頂では時折突風が吹き、飛ばされそう。もう来ることは無いかなぁ~と、懐かしいかつての山行を思いだしながら山々を眺める。
帰路パラパラと霰が当たり急いで小屋に戻る。今日の天場はテント無し。夕食まで時間が有るのでハーフワインをちびちびやりながら過ごす。今日の宿泊者は8名。
5月17日、起きてビックリ! 外は猛烈な風と雪! 風に飛ばされてエビのシッポが成長してる。 朝食後、しばし様子を見るが一向に風は止みそうも無い。小屋の裏手はまともに風が当たるから、と小屋の中を通って横から出るように案内され、中で身支度を整え、意を決して外へ、ドアが飛ばされそうでそーっと抑えながら出る。他の登山者も後に続いた。
尾根に出るとハイマツに遮られ風当たりは弱くなった。空は厚い雲でほとんど展望は無し、霧氷が綺麗だ。合戦小屋迄降りてやれやれ。


碧空になり、暑いくらいだ。富士見辺りでアイゼン外す。登ってくる人達とすれ違うようになり、今日の小屋は賑やかそうだな、と。
12時頃駐車場へ戻った。日帰り温泉にの~んびり浸かり、有明荘で昼食を摂り帰路へ。
50歳で初海外キナバル山
60歳でアコンカグア山
70歳で信越トレイル全山テント泊縦走
等々、これで一応一区切り、のつもりなんだが、未だ80歳になって無いじゃん! と言われてしまったよ。 皆に言わせると80歳の誕生日を迎えるとガクッと来るよって、どうせ今年は誕生日が来れば、と思ってたんだけど。そう言われると……複雑!
80歳イベント第2弾
6/4~6/14豪華客船ダイヤモンド・プリンセスクルーズ11日間日本一周の旅。
憧れのクルーズへ(冥途の土産)。
(石川敬子)

2024年05月15日

春山合宿 鳥海山バックカントリースキー + 弥彦山

実施日:2024年5月3~5日
山 域:鳥海山、弥彦山
参加者:中安正議
行 程:[5月3日]6:40甲府→勝沼IC→中央自動車道→圏央道→東北自動車道→山形自動車道→月山IC→湯殿山IC→東北自動車道→遊佐比子IC→17:49鳥海温泉あぽん西浜(車中泊)[5月4日]5:00あぽん西浜→5:30鳥海ブルーライン大平口ゲート8:00→:8:40大平駐車場→13:10御浜小屋13:45→14:40大平駐車場→16:00あぽん西浜(車中泊)[5月5日]5:20あぽん西浜→9:26弥彦神社駐車場→9:50ロープウェイ山麓駅→10:00弥彦山山頂→11:00弥彦神社駐車場→14:30マリンドリーム能生→白馬→21:05甲府


すっかり鳥海山の魅力に嵌まってしまった。ゴールデンウイークに鳥海山へ行くようになって4年目となった。日本海を眼下にして滑る鳥海山の大斜面は、一度経験するともうやめられない。この素晴らしい体験を御坂山岳会の会員にもぜひ味わっていただきたいと思い、春山合宿と銘打って会員に募集を掛けた。誰ものって来なかった。残念ながら今年も単独となった。
行きは、東北自動車道経由で鳥海山を目指す。途中、月山山麓を通過するが、今回は月山には登らない。月山も良い山だが、下りの延々と続く斜滑降には面白みがない。それに比べ、鳥海山のオープンバーンは魅力的だ。パラレルターンの連続でスキー冥利に尽きる。月山の頂を横目で見て遊佐に向かう。
遊佐町の鳥海温泉あぽん西浜の駐車場に車を止める。ここは車中泊に最適のスペースだ。歩いて5分、吹浦漁港からの海に沈む夕日にぎりぎり間に合う。美し過ぎて我を忘れる。


食事処とりみ亭名物トンタン麺と生ビールでご機嫌となり、温泉に浸かる。ここで、見覚えのある顔の人が、被り湯を浴びている。しかし、いまいち自信がない。その人の顔をじっと見詰めていると、気が付いたらしく私の顔を見て「中安さん?」と声を掛けて来た。
やっぱりそうか。我が山岳会の佐久間さんだ。三崎海岸の岩場へクライミングに来ているという。今夜は道の駅鳥海で車中泊だそうだ。山梨から六百キロメートル離れた鳥海山の麓にて裸同志で邂逅するとは、なんという偶然であろう。目的は違うが、これで二人となったので春山合宿は成立した。
翌朝、鳥海ブルーラインの吹浦口ゲートに、開門二時間半前から先頭に並ぶ。着替えたり、スキーにシールを貼ったり、待ち時間にやることはなんぼでもある。
例年だと鳥海ブルーラインは積雪のため鉾立口とは繋がらないのだが、今年は雪が少なく、すでに鉾立口まで開通している。大平の駐車場に車を止めて登り始めるが、雪が少なく今回は藪漕ぎを強いられる。最初の急斜面は、スキーを担いでアイゼンで直登する。緩斜面になってからスキーを履いてシール登行する。快晴無風、日本海の眺めが素晴らしい。しかし、最近、私生活でトラブル続きで心の中には暴風が吹き荒れている。


5月に入って降雪がないようで、雪面は黒く汚れてスプーンカット状になっている。昨年のような快適な滑降は期待できない。雪面に刺された竹竿を目印にして標高を稼いで行く。御浜小屋から上部の尾根には雪がない。スキーを担いで歩くのはいやだ。ここで引き返すことにする。
スキーを履いて滑り始めるとあっという間だ。鳥海ブルーラインが見えたあたりからの藪漕ぎには苦戦するが、無事駐車場に戻ることができた。道の駅鳥海に直行して遊佐の海鮮丼とやらを喰う。絶品である。


翌朝、目覚めると全身が硬直している。トイレまで歩くのも辛い。今日はスキーはやめて帰ることにする。高速に乗らず下道を行く。時間はたっぷりある。途中、前から登ってみたかった弥彦山に登る。当然ながらロープウェイ経由で喧噪の山頂に至る。日本海と新潟平野の絶景に感激する。能生でベニズワイガニを買って帰る。私はただの観光客と化していた。
(中安正議)

2024年05月03日

4月・月例山行 山菜採りとバックカントリースキーin白馬

実施日:2024年4月21日(日)
山 域:北アルプス
行 程:8:10白馬村落倉・府大小屋→8:30栂池ゴンドラリフト乗車→9:00栂池ロープウェイ栂池自然園駅→11:05天狗原→12:00栂池自然園→12:40栂池ゴンドラリフト山上駅→13:00栂池スキー場駐車場→13:30白馬村落倉・府大小屋
参加者:中安正議


4月19日の夕刻、甲府市徳行にある私の新しい職場から甲府昭和インター経由で中央自動車道に乗り、直接白馬へ向かった。4月の月例山行、担当の私の他参加者はゼロだ。孤独には慣れている。白馬村落倉の府大小屋に21時30分に着き、翌朝6時から小屋周辺で山菜採りに勤しむ。山菜採りは先手必勝、早朝でなくてはならない。
しかし、期待していたタラノ芽は出芽していなかった。例年この時期はタラノ芽が豊作なのだが、今年は1週間ほど出芽が遅いようだ。仕方なく、小屋の周りのフキノトウを摘んで天ぷらにする。これがビールに合って実に美味い。
7時30分に山菜採りを切り上げて小屋に戻るが、これからバックカントリーに行こうという戦闘モードに切り替わらない。今日は落倉自然園の水芭蕉を鑑賞して美味い蕎麦を食って温泉入って昼寝が正解だ。青空の下の白馬村は桜が満開、極楽気分で一日を終える。


さて、翌日は気合を入れてバックカントリースキーに突入モードだ。単独行は前日から覚悟を決めておかないと、なかなか当日腰が上がらない。今日は大丈夫だ。
ゴンドラリフト乗車駅の周辺には全く雪はない。駐車場も空いている。しかし、天候がいまいちだ。灰色の雲が垂れ込めて白馬連峰は窺えない。昨日登ればよかったと後悔する。
待ち時間なしでゴンドラリフトに乗り、ロープウェイも空いていて座席に座ることができた。高曇りの栂池自然園から成城尾根をスキーで登る。私より前を登る人影は2パーティーだけだ。後続には誰もいない。浅く不明瞭なシュプールを頼りにジグザグに登行する。微風が春の匂いを運ぶ。
途中一回の休憩を挟んで天狗原に到着する。五十代前半のころは1時間20分で登れたのに、今日は2時間5分もかかってしまった。おまけに目眩もする。年々体力が落ちていることを実感する。それとも糖尿病の症状の表れか。今朝、小屋で作った握り飯を2個喰って元気になった。


いつも乗鞍岳まで登る意気込みで来るのだが、なんやかんやと理由を付けては敗退している。今日は雨もぱらついて来たことだし、天狗原から引き返すことにする。雪は締まっており、下りは快調だ。
スキーで滑れるのはゴンドラリフト山上駅までだ。短い滑降であったが、それはそれで楽しかった。でも、足が痛くて階段が下りられない。乗鞍岳へ登れるのはいつの日になるのやら。
(中安正議)

2024年04月21日

エベレストBCとカラパタール登頂の旅

実施日:2024年3月31日~4月22日
山 域:ヒマラヤ山脈
参加者:鈴木文代(トレッキングツアーに参加)

 


令和6年3月31日、成田エアポートレストハウスに前泊する。明日は朝7時空港第1旅客ターミナルビル北ウイング4階のkカウンター前集合だ。一年前の春に申し込み、ようやくの実現となった。
4月1日成田発9時20分、ソウルの仁川空港にて 関空よりの2名と合流、客10名男性8名女性2名とツアーリーダーの松本の11名の旅の始まりです。
ネパールの首都カトマンズ・トリフヴァン国際空港に予定通り夕方15時30分着。時差は3時間15分遅い。この夜は専用車にて市内の高級ホテル、ラディソンへ直行。夜の空港前通りは人と車とバイクで道路は埋まり電線は引っ張り放題。蜘蛛の巣状態で物凄い喧騒、空気も悪い。ほとんど信号無し、どうして道路を渡るのだろうか。が第一印象でした。
30分ほどでホテルに着く。運転手は慣れたものでホテル着、現地時間の19時頃でした。明日は早朝2時出発、山の準備のトレッキング用の大きなダッフルバックと寝袋を渡された。このバックがこれからヤク達とのキャラバンの荷物となる。
4月2日ホテルを2時出発。これより5時間悪路の山道ドライブの果ての国内線ラメチャップ空港へ、朝食用のボックスに林檎、みかん、サンドイッチなど入っていたが暗くて食べる気に慣れなかった。
峠を幾つも越えたので車酔いの人が多かった。途中一度トイレ休憩をしてコーヒータイム、朝8時のフライトへ間に合うための早出だが皆5時間は辛い様だ。午前の天気が安定している内に飛びたいとのことだ。ラメチャップからルクラえは15人乗りの山岳飛行でプロペラ機。谷間を飛んで行くので少し揺れたが、山々の景色に見惚れていた、30分でルクラ2840mに降りた。別名世界一危険な空港と呼ばれている。谷より斜面を上り右に90度曲がり着陸する。4機止まれる。
明日からのトレッキングと高度順応のため村を散策しゆっくり過ごす。ルクラに嫁に来た日本人女性の店があると聞き皆でお買い物、ポケットに柿の種のお菓子の袋があったので彼女に渡したら大喜びしてくれた。
この夜ロッジにてこれよりの旅のガイドシェルパ、キッチンスタッフ計14名の紹介を受けた。連れるヤクは8頭とのこと。このチームはNHKBSプレミアムのグレートヒマラヤ撮影日誌の番組のシェルパ、ニマさんが率いるチームであった。何回も見ていたので、そのニマさんに会えて私は大感激、なんとラッキーなことでしょう。
トレッキング1日目4月3日、ルクラからモンジョ出発8時、5時間の予定。休みを入れて7時間10分かかり、これからが心配だった。長い鉄製の吊り橋を幾つも渡り、昔の吊り橋の上部に現在の吊り橋が渡されて、空中に二本の吊り橋を見上げる河原で写真タイム。ここで一句。
吊り橋の下の轟音雪解川
モンジョのロッジから小さな寺が見えた。
トレッキング2日目4月4日、モンジョ発8時ナムチェバザールへ3440m、谷沿いの道をジョサレ2840mをたどり世界遺産のサガルマータ国立公園に入る。入山料はここで払う。高度差600mの坂をゆっくり登りシェルパの里ナムチェへ。


大きな村、山肌いっぱいに家があり村の真ん中あたりに水場がある。三段になっていて洗濯している人が10人位いた。右側の川は水車で大きなマニ車が勢い良く回っていた。この日は4時間の予定で だいたい11時40分着だった。午後はゆっくりロッジで過ごしナムチェバザールのお土産を見にゆく。
今日の一句。
山岳の民の絨毯旅の荷へ
お土産にハンドメードの小鳥の柄の小さな絨毯を買った。毛糸帽600ルピー、EVERESTBC5365の刺繍あり。同室のKさんと色違いで買う。ナムチェまで来ると山の雰囲気が変わってきた。コンデリ山群6036mが背後に大きな白銀の山塊を現している。前方にはタムセルク7634mその先にカンテガ等々そそり立っている。
トレッキング3日目4月5日、ナムチェ発8時 ホテルエベレストビュー3841mを経てキャンズマ3600mへ。この日は朝から急な石段や坂を登って、ヒラリーとテンジン広場からエベレストを望む。パイロットの様な服装の二人の像の背後にヌプチェ左、右ローツェ、その中央奥にエベレスト。まだ遠いいが、よくわかった。右後ろに吊り尾根のクスムカン、タムセルク、カンテガ。少し離れてコーンの様なアマダブラグ6000m級の山々が高々と聳え、これよりの旅の道連れとなる峰々の序章である。絶景と共にエベレストビューホテルへ着く。全員で写真を撮りテラスにて紅茶とビスケットタイム。しばし優雅な気分でエベレストを望む。天気は毎日快晴、5時間の予定だったが11時50分キャンズマ着、この日の昼はうどんに天婦羅の大皿盛りに歓声上がる。
今日の一句。
エベレスト目指すロジの春暖炉


この夜から湯湯婆頂いた。寝袋の中は南国の様だった。
トレッキング4日目4月6日、キャンズマ発8時タンボチェ3870mへ。一旦ブンキテンガへ下り620m上り タンボチェへ登り2時間。だいたい予定通りで11時40分着。登山道脇の林に国鳥の虹雉がいた。トップシェルパが見つけて教えてくれた。私は何時もセカンドなので見えたが後の人は分からなかったようだ。日本のキジより色が鮮やかで金茶の背色の光沢が独特だと思った。
タンボチェは寺院のあるロッジで、着いてタンボチェ寺院を見学する。壁画の色が鮮やかで堂内を一回りする。高僧に旅の安全を祈ってもらう。お守りとして赤いリリアンの様な糸のネックレスを首に掛けて頂いた。お寺を出て左奥へ進むとエベレストが見える丘がある。1982年日本人として初めて冬期エベレスト登頂に成功し、帰路に遭難死した登山家、加藤保男の慰霊碑が立っている。
今日の一句。
縦走を優しくつつみ山笑ふ
トレッキング5日目4月7日、タンボチェ発8時パンボチェ3980mへ。早朝ロッジでは浄めの御香を炊く。杉の小枝の様な植物を燻らせ大量の煙を出す村中に流れる香の匂いを私は好んだ。今日の予定は3時間だったが2時間で10時にはパンボチェのロッジに着いた。昨日より110m高い村でこの村でも川で女性達が洗濯をしていた。
この村は定住村としては最奥の村だ。村の名前がややこしやです。高度順応もありゆっくりと過ごす。道の中央にマニ経を書いた岩が在ると左側を通ることになっていて、上下道ともぶつかることなく人もヤクも通り過ぎて行く。
パンボチェの村はアマダブラムへの分岐の地であり、右側はアマダブラムBCへの道標があった。この村からアマダブラムを見た時、昔読んだ本の一言 お母さんの首飾りの言葉が急に頭に浮かんだ。本の内容も誰が書いたも忘れていたこの言葉が山を見てこれだったんだと思い出し確信した瞬間だった。


この夜は蠍座と天の川を見た。目が慣れると天の川が長く長くなり反り返るのが大変だった。
今日の一句。
蠍座に刺されし雫天の川
パンボチェのロッジの窓には左にエベレスト。前方はアマダブラムの見える角部屋で最高だった。
トレッキング6日目4月8日、パンボチェ3980mからティンボチェ4410mへ。この日早朝ロッジの窓にエベレストの右側ローツェからの朝日と前方のアマダブラムのシルエット、彼方後方には朝焼けのコンデリ山群を拝み写真に収めた。
朝8時出発。広々とした河原で日本庭園の様な這松の高所をゆっくり歩きティンボチェへ。3時間20分でロッジチョモランマに着いた。ここは連泊の予定宿だ。私は高度順応がうまくいっている様で何ともないが、すでに何日か前から数人の男性が食事をうまく取れていない様だ。このロッジに連泊し、もう一段階の高所順応をする。
午後はロッジ村でゆっくりして明日のナンガソンピークに登るため身体を休める。ロッジ村の奥にローツェが正面に見える谷があり30分位歩いてみる 荒涼とした谷間の奥にその存在感を増していた。右側にはヒマラヤ襞の美しい二枚の岩壁が見える。カンレモと言う名前の山だ。
今日の一句。
荷役終へ草食むヤクの瞳かな


トレッキング7日目4月9日、連泊にてピストンでロッジ裏のナンガソンピーク5075mへザックなしで登る。その朝食の時衝撃が走る。仲間の一人の男性が高度障害のため、山をヘリコプターで降りるとの発表が御本人よりあり、苦しくも涙の別れとなる。同じ鈴木同士で仲良しだったので何か貴方のハンカチなりを私が持って登るのはどうですかと本人に小声で聞くと、涙をこぼして文代さんは本当に優しいねと首を横にしながら言って下さった。彼はフルマラソン30回以上完走した体力に自信のある人で私より二歳上でした。
朝食後私達は高所順応のための登山を開始する。 山頂へ立てば世界6位までの内の4峰が見えるとのことだったが、目標は4800mだ。その登山の途中で彼の乗ったヘリが飛び立って行き、山腹から大きな声で名前を呼びステッキを振り彼の無事を祈った。
この日の登山は目標の時間までに4880mまで登ることができたが、美しい絶景とは裏腹に又一人体調の悪い人が出てしまった。下山しての午後私は一人でロッジ村のメイン通りを散策しながら、人々の生活や畑や牛など見ながら吟行していた。
日本人ですか? と声を掛けられた。若い日本の女性だった。一人で世界を回っているとのこと、日本人に会いたかった。1ヶ月も日本語を話していないなどなど、私は3時のお茶にロッジえ招いた。シェルパのニマさんにもOKをもらい、ツアーリーダーの松本さんも快い返事をして下さり思い掛けないお茶会となり皆で色々の話をした。彼女のスリーパス三代峠を越えてカラパタールとゴーギョピークに登る山の話に聞き入る。シェルパと二人で、十数日で私達の倍くらい歩くとのこと。彼女と通信で繋がり、その後毎日彼女の上げる情報を聞きつつの登山となる素敵な出会いだった。
今日の一句。
春愁やヘリで下山の友送り
トレッキング8日目4月10日、ティンボチェ4410mからトゥクラ4462mを経てクーンブ氷河の末端の斜面を登り詰めロブチェ5030mへ。
この朝は一面の雪景色で真新なベールの山々を望みながらの出発となる淡雪は日が昇ると直ぐに溶け 埃おさえになった。クーンブ氷河の末端のモレーンを登りきると開けた峠に出る。ここはエベレスト登山で亡くなったシェルパ達の墓碑チョルテンが建ち並び五色に経文の書かれた祈じゅ旗タルチョが風に千切れんばかりに旗めいていた。ここはグレートヒマラヤ撮影日誌でも映っていた所なので感慨深い。
今日の一句。
春雷や五色の祈じゅ旗唸る丘
トレッキング9日目4月11日、ロブチェから最奥のロッジ ゴラクシェップ5100mへ。これより奥はロッジ無し。今日は長丁場なので朝7時出発。ゴラクシェップ着9時30分。ロッジで休憩を取りゴラクシェップ発10時10分。エベレストベースキャンプへ出発。予定では先にカラパタールへ登るはずだったが ベースキャンプへ先に行き、明日カラパタールへ登ることになった。エベレストBCへ向かって岩場の尾根を登り1時間半ほどでBCへ下る。下降点に11時45分着、下降点近くの岩場に雷鳥が二羽いたまだ白い羽にグレーが少し入っている様に見えた。思い掛けなくエベレストと雷鳥が写真に映っていた。EBCへの下り急坂を登り返すことを考えると一寸心配だった。二人のメンバーは明日のカラパタールに体力を残すため、下降点に残ることになった。


エベレストBCの奥には何百というテントが張られていた。手前には七大陸サミットクラブの大きなドーム形テントが二張り陣取っていた。落ちたら助からないという氷河の縁を歩き、写真を撮って早早に尾根の登山道に戻る。まだ昼を食べていなかった。シェルパがゴラクシェップのロッジからランチを運んで来てくれた。出会った岩場で食べる。13時20分頃だったが、お腹が空いていたので美味しかった。揚げパンのサンドイッチみたいな物だ。この後ロッジまで帰るのにへとへとだった。皆無言の行進で、ゴラクシェップ着16時。一つ目の山場を越えた。
今日の一句。
雷鳥の番エベレストは雲に
トレッキング10日目4月12日、いよいよメインのカラパタール5545m登頂へ。ゴラクシェップ5100mより 朝6時出発、予定では最奥のロッジ、ゴラクシェップにもう一泊だったがメンバーの体調を考え下のロブチェに泊まることになり、今日も長く厳しい登山だ。


いよいよカラ パタールへのアタック開始。ロッジの白い砂地の広場を過ぎて登りになる。登り出して10分、呼吸の仕方が分からない位苦しかった。何度も何度も小休止を入れてくれた。445m登るのに2時間15分、何度も心の中で4人の孫達の名前を繰り返していた。
やっとの思いで山頂に立つ。メンバーの一人は馬で頂上直下まで行った。山頂には真っ白な三角形のプモリ7149mが覆い被さるかの如く聳えていた。一人ずつ写真をシェルパに撮ってもらう。エベレストは正面からその核心部を見せてくれた。抜ける様な青空の中に。動画を撮りシェルパ全員とも記念写真を撮る。皆さんにコーヒーキャンディを配り乾杯とした。
8時45分下山開始、下りは嘘の様に楽だった。登頂の満足感溢れる笑顔で皆高揚していた。10時ゴラクシェップのロッジ着、顔を洗いランチを頂く。ランチを済ませロブチェまで下る準備をする。11時50分最奥のロッジ、ゴラクシェップを出発、ロブチェ着14時10分、ロブチェまでの下りは長いけど楽しかった。氷河の小さな流れの音を聞く余裕も生まれていた。
今日は8時間10分の長く中身の濃い1日だった。ロブチェのロッジに着いたメンバーの一人が体調悪化、ずっと咳をしていたがとうとう診療所に行くことになり、馬で2時間、ニマシェルパと二人で夕暮れの中を下る。診療の結果によってはここでお別れになるかもと言うことで心配だ。
今日の三句。
エベレスト真正面に風光る
馬で立つ山頂直下春惜しむ
氷河風ふと止み水の幽かな音


トレッキング11日目4月13日、ロブチェ5030m、8時出発 ペリチェを経てパンボチェへ13時45分着。ペリチェで昨夜診療を受けたK氏は 無事合流することができた。ペリチェで昼を食べた。この日はネパールの正月とのことでダルバートと言う地元のカレーをシェルパ達は右手で器用に頬張っていた。


食後パンボチェへ向かう。下りはゆっくり歩いても早い。トレッキング5日目と同じロッジに泊まる。その夜鍵トラブル発生。A氏の部屋の鍵が故障、合鍵も無くなんとしても開かない。とうとうドア横の壁板幅50センチを外して、シェルパが中に入って 中から開けた。小さなロッジなので大歓声が響いた。
今日の一句。
雪解川村の真ん中洗濯場


トレッキング12日目4月14日、パンボチェ発クムジュンへ朝8時出発。クムジュンは登りには通らなかった村。この村は大きく豊かな村であった。ヒラリー卿の作った小学校ヒラリースクールが村の中心広場にある。夕暮れになると広場の寺に灯りが点り、仕事を終えたゾッキョやヤクや馬達が広場に集まって来る。旅情深まる光景に心引かれる。人も家畜も過酷な環境の中で暮らし精一杯の一日が暮れてゆく。アマダブラムが夕焼けの残照の雲の上に薄紅の山頂を高々と望かせていた。
今日の三句。
糞燃の炉煙すこし目に染みる
山暮れてシェルパのスープあたたかし
旅人の暖炉は民の煮炊きの火
トレッキング13日目4月15日、クムジュンからナムチェバザールへ。旅も終盤になり予備日の調節歩きとなって来た。クムジュン村はシェルパ族の聖山、クンビラ5761m、山の麓にありネパールで最も古い寺院 クムジュンコンパがある。コンパは寺火災がなかったので古い経典がそのまま残っているとのこと。お参りする。本堂には雪男イエティの頭の皮と言われている物がガラスケースの中にあり、鍵が掛けられていた。
少年僧も大勢いる。お寺の庫裡では女性達がきれいな民族服で料理をしていた。正月三日の法要が行なわれるそうだ。その後通学路を登り峠に出る。ここで最後となるエベレストを心ゆくまで満喫すること一時間、タンボチェを経てナムチェバザールへ11時着。
今日の一句。
石楠花やシェルパ聖地の古刹なり


トレッキング14日目4月16日、ナムチェからベンガへ。予備日消化のため毎日少しずつ下りながらルクラに向かう。この日も11時30分にはロッジに着いた。小さな滝のある宿で新築したばかり。かつて三浦雄一郎も泊まった宿とのこと。夕方宿の裏庭で一緒に旅をして来たヤクの角にオイルを丁寧に素手で塗っている若い牧童の姿に感動した。百花繚乱の中を暮れてゆく。私のいち押しのシェルパ、ギャルゼンはインド隊の仕事で一足先にルクラへ下りた。昨日ナムチェに着いた時ステッキを振ったら答えてくれた。 あれが別れの挨拶となった。ギャルゼンは若い頃の主人に似ていた。
トレッキング15日目4月17日、ベンガからタドコシへ2時間35分の歩き。吊り橋を渡るにも人も動物も渋滞で、まさにベストシーズン橋を渡り切るとヒマラヤ桜の満開で地面にも花びらが沢山こぼれていた。午後桜草の写真を撮っていたら現地の少女が話し掛けてきた。分からなかったが優しい笑顔が私を癒してくれた。
トレッキング16日目4月18日、タドコシからルクラへ、ようやくルクラだ。今夜はこの旅の打ち上げパーティー、チキンゴロゴロのカレーに野菜、SEE you AGAIN の大きなケーキまで作ってくれた。日本の梅酒と地酒のチャン、シェルパのダンス皆で踊って楽しい夜だった。
4月19日、ルクラより朝の一便が4機出ただけで霧のため私達の三便は出ない。ルクラ滞在となる。この間ルクラには下山のフライト待ちの人々が溢れた。


4月20日、ヘリコプターかプロペラ機か情報錯誤、なんとか朝の二便に客の9名だけ乗れてツアーリーダーとシェルパのニマさんは次の便になった。私達はラメチャップ空港で1時間30分後に再会することが出た。次は5時間の山岳ドライブでカトマンズへ。埃と黄砂にまみれた山道をひたすら走る。
午後3時ホテルラディソン着、ようやくお風呂に入れる。明日はいよいよ帰国となった。夕食は街の日本食レストラン「こてつ」にて乾杯。
4月21日最終日、早朝イエティ―エアラインにて エベレストフライトへ参加、快晴のエベレスト山群をランタン谷の方角より、彼方にチョーユ―、ギャチュンカン、プモリ、ヌプチェ、エベレスト、ローツェ、マカルー、遥かカンチュンジュンカ、再確認の俯瞰フライト、復路は反対側の窓に寄り素晴らしい1時間のフライトとなった。
ホテルに戻り久し振りのリッチな朝食バイキング。 フライトメンバー達とテーブルを囲み話しても話しても話しきれない旅の思い出に2時間近くを過ごす。午後は市内観光、王宮や薄紫のジャカランダの咲く道をドライブしてカトマンズの丘にある古刹ショーエンブナートへ、2015年の地震の後、復興が進み全く新しさを感じさせないのは埃のせいか、不思議な風合いの建物群になっていた。
今回の山旅でお世話になった人々に動物に感謝し、4月22日に無事帰国できました。お婆ちゃんのエベレスト街道23日間の旅を終わります。


(鈴木文代)

2024年03月31日

3月・月例山行 シャルマン火打~放山バックカントリースキー

実施日:2024年3月1~3日
山 域: シャルマン火打スキー場~放山
参加者: 中安正議、渡辺直樹、石川敬子
行 程:[3/1] 8:00道志→9:30甲府→14:30白馬村落倉・府大小屋 [3/2] 9:00白馬村落倉・府大小屋→10:25シャルマン火打スキー場→11:20ゲレンデトップ→13:10放山→15:15ゲレンデトップ→15:55スキー場駐車場→16:40道の駅マリンドリーム能生→17:30サンテイン小谷(入浴)→19:00府大小屋 [3/3]9:50府大小屋→11:20栂池スキー場鐘の鳴る丘→12:10府大小屋14:40→18:00甲府→21:30道志


一年ぶりのバックカントリースキー、行くかどうするか? さんざん迷ったけど、ダメならゲレンデで遊んでよう、と思い参加することに。自然の中のスキーの魅力は私にとっては滑りより登る方にある。滑りは下手だから……、行きはよいよい帰りは怖い、の心境だ。
3月1日、朝起きたら自宅は銀世界! 昨夜寝るまでそんな気配全然無かったのでびっくり!! 湿った重い雪だ。中安さんに雪かきしてから行くので少し遅れる由連絡して9時近く甲府の中安宅に行く。中安さんの車で白馬の小屋へ。白馬村で酵母パンを買い、ジャンプ台を見ながらお蕎麦を食べる。
落倉の府大小屋は、駐車場から小屋までは踏み跡無し。200メートルのアプローチ、道を付けながら荷物を担いでひざ下くらいの雪の中をラッセルしてドッコイショ! 中安さんは部屋の用意、私はもう一往復、久しぶりの小屋はやはり快適! 料理長が「手伝いは邪魔!」と言うので食事が出来るまでのんびりできるのがとても良い!(笑)


3月2日、仕事のため朝到着の直樹君を待って彼の車で出発。来る予定の青木さんはコロナに掴まったとかで来れなくなった。
取り付きのシャルマン火打スキー場へ1時間ちょっと。道中は雪が降ったり止んだり、あげく吹雪だったり……。「これじゃ山に入るのは無理ですねー、直樹君のシール登行練習でもする?」なんて言いながらスキー場到着。山は濃いガスで展望無し。クワッドリフト1本乗ってゲレンデトップへ。入山口で「この天気では多分上までは無理だろうから行ける所まで」とパトロール隊員に伝える。「帰りも報告してください」と言われて山へ向かう。
濃いガスは相変わらずで風も強い。中安さんはどんどん先へ進んで行く。途中、樹林帯の中でシール着ける。尾根をトラバース気味に進み「いったい中安さんはどこまで行くつもりなんだ?」と心の中で呟きながら、緩い登りを中安さんの後を付いて行く。しばくすると雪も止んで風も収まってきた。少し青空も……? あれ~、この調子じゃひょっとして山頂行ける? 日も射してきたよ!
少し急な登りを終えると白くキラキラ輝く山頂が見えた! シュプールも足跡も無い。途中で数人とすれ違ったが山頂には登っていないようだ。今日の登頂者は我々のみ! 中安さん曰く「まさかこの天候で登れるとは思わなかった。やっぱ日頃の行いだね」と自画自賛。
青空の下で昼食休憩。火打山は雲で見えないが、日本海が雲の下に見える。歩き始めは到底無理と思ったが、天気回復で思いがけず山頂を踏めたので、やっぱり来てよかった。


下山は中安さんが気遣って優しいルートを選んでくれたが、雪が重く久しぶりの深雪に苦労する。転ぶと雪に埋まって身動きがとれず、復活するのに5分以上かかる。下るにつれてまたガスが出てきた。谷筋を進み雪に埋まった池を横断し、途中からシールを付けて登り返す。ここでアクシデント発生!
直樹君のシールに雪が付いてしまって「板に張り付かなくなった」と言って板を担いでツボ足で歩こうとする。しかし、腰までの雪では無理。見かねた中安さんが彼の板を担ぐ。直樹君はまともに歩いては進めないので、ストックを横にして這いずって進む事に……。ゲレンデトップに帰着すると、パトロールの人が心配してパトロール室から出てきた。途中まで、と言ってたのに遅かったからだろう。年寄りで大丈夫か? と思っていたらしい。中安さんが言わなくてもいいのに私の年齢を言ったので、パトロールの人が「エ~!」と驚いて、大袈裟にのけぞった。
 直樹君は少し遅れたが無事到着。私はゲレンデ滑走が膝に来て、右膝が悲鳴を上げる。下まで降りられるかなぁ~? やっとの思いで下へ。帰路カニを買うために大急ぎで能生の市場へ。ところが海が荒れて漁が出来ず昨日から解禁になったベニズワイカニは水揚げ無し、と聞いてガッカリ……。閉店間際だったのであまり良いのは残って無かったが、アンコウ鍋材料を仕入れて、途中温泉に寄り白馬の小屋へ戻る。三人はアンコウ鍋で夕食を囲み、お腹いっぱい!


3月3日、少し雲があるが晴れ。直樹君と中安さんは小屋からシールを付けてゲレンデへ歩いて行った。私は膝を用心して留守番。デッキの雪かきや車までの道を雪かきしたり……。二人はお昼頃戻ってきた。昨日の残り物で昼を済ませ、部屋を片付け掃除をして小屋を後にする。直樹君とはここでお別れ、気をつけて帰ってね。
薄暗くなって甲府に帰着。道志には9時半頃帰宅。 中安さん、直樹君お世話になりました。バックカントリースキーはそろそろ卒業かなぁ~。膝に良くないよ。帰宅後暫くは膝が痛かった。なんて言いながら、雪の安達太良山も魅力的だなぁ……と思ったりする、懲りない婆さんです(笑)。
(石川敬子)

2024年03月01日

2月・月例山行 硫黄岳

実施日:2024年2月11日
山 域:南八ヶ岳
参加者:内山章、渡辺徹臣、榑林秀倫、青木信子、羽田隼人
行 程:美濃戸口7:50→8:43美濃戸→9:30林道終点→10:36赤岳鉱泉→12:40赤岩の頭→13:25硫黄岳→13:55赤岩の頭→14:53赤岳鉱泉→16:08美濃戸→16:55美濃戸口→17:19八ヶ岳入口五差路


この硫黄岳登山は新年会の時に冬山入門として計画した。参加者は5名。
岩山が連なる南八ヶ岳の中にあって硫黄岳は凡庸なイメージがあるため単独で登ることは少ないかもしれない。だからといって登る価値がないかというと決してそうではない。今回の山行では硫黄岳の魅力を改めて認識することができた。
考えてみれば3連休の中日である。到着した時、ちょうど美濃戸口の駐車場は満車になってしまった。結果、内山さんが下の五差路に車を置いて走って上がって来てくれた。パーティ最高齢の人が。
奥の美濃戸まで車を入れるのを諦め、長い林道歩きから本山行は始まった。しかし天気は上々。見上げるとダケカンバの霧氷が輝き、我らの心を躍らせる。
先の月曜日は南岸低気圧で大雪だったが、それから六日程度経過している現在、林道の終了点から山道に入ってもトレースが安定している。雪の谷を登りながら、隼人君が「八ヶ岳ブルー」と言った。「八ヶ岳ブルー」か。私も聞いたことがある。厳密な定義はないと思うが、そういう言い方をするならば、もっと紺に近い、深い青色でなくてはいけないのではないだろうか。
赤岳鉱泉でアイゼンを装着。まだしばらく不要な気がしないでもないが、早目の装着を心がけることが大事だ。赤岳鉱泉を発つころには既に11時になっていた。
忌中明けで久しぶりに山に来た徹臣さんがやや遅れていたのでペースを下げたつもりなのだが、赤岳や横岳西面が次第に姿を現すと、どうにも気持ちがはやってくるのを抑えることができなくなってしまった。そして赤岩の頭に着いた時、そこにはまさに「八ヶ岳ブルー」の空の下に立つ隼人君の姿があった。
赤岩の頭は雪原を渡り、頂上直下の岩場を抜けた先に、標識がなければどこが頂上なのかはっきりしない硫黄岳山頂に到着した。時刻13時半。今日の硫黄岳は冬の八ヶ岳とは思えない穏やかな世界だった。
下山は積雪が程よく多く、程よく踏まれ、むしろ夏より歩きやすい道を、赤岳鉱泉を経て美濃戸、美濃戸口へ。さらにその下の車がある五叉路まで歩くのだが、この車道がむしろ歩きにくくて厄介であった。
長い旅だったが元気に下山できた。ただその後、もみの湯の熱々の露天風呂から出た時、体も頭もクラクラになってしまった。


(榑林秀倫)

2024年02月11日

冬山合宿 常念岳東尾根

実施日:2024年1月2~3日 
山 域:北アルプス
参加者:渡辺直樹(CL)、内山章、榑林秀倫、羽田隼人


昨シーズンから冬山を始めた羽田隼人が10月の鋸岳の月例山行の時に、今シーズンはテント泊で雪山に行きたいとお願いしたところ、渡辺直樹君がそれなら常念岳東尾根どうですか? と提案してくれて計画が決まりました。冬山テント泊、当初の計画だと1月3日、4日だったが天候が悪く1月2日、3日に変更になり、変更日程なら内山さんも参加できることになり4人で行くことになりました。
1月1日夕刻に起きた能登半島地震の詳細もよくわからない1月2日5時に世志自動車に集合し内山さんのハイエースで現地へ。途中運転を代わろうと思っていましたが、ウトウトしてしまい気が付いたらもう梓川SA近く、梓川SAで内山さんに運転代わりましょうか? と聞いてみたものの、もう近くだから大丈夫と。すみません寝てしまいました。
内山さんの運転で安曇野の日帰り温泉ほりでー湯の近くの登山口に到着、車は5台ほど駐車、今シーズンは雪がまだ少ないようで登山口には全く雪がない状況。雪のない登山道を大汗をかきながら登っていきます。

 

1500メートルを超えたあたりから少し雪がでてきましたが、途中の藪漕ぎの箇所の雪がなく厳しい藪漕ぎとなりました。藪漕ぎの先あたりで下山の方とすれ違い状況を聞くと、上は腰まで埋まってしまい山頂は諦めて撤退してきたとのこと。そんなに厳しいのかと4人で少し落胆。そうこうしていると今日のテント場予定地に到着。整地をしテントの設営をして、食料担当の榑林さんの美味しいご飯をいただき早々1日目は就寝しました。

2日目はまだ暗いうちの5時に出発、森林限界を超えたあたりでトレースがなくなり、先行者はここで諦めたのかと。ここからトレースなしを交代で進みます。明るくなりはじめ東の空からきれいな日の出が見えました。前常念の手前の厳しい岩場を内山さんが先行してくださり、ガシガシと進みます。ようやっと前常念に到着。前常念からの素晴らしい穂高連峰が疲れを癒してくれます。ここまでくればあと一息。風と雪がおりなす自然の風景シュカブラがきれいななか常念岳山頂までの稜線を進みます。山頂直下は雪が締まっていて歩きやすい感じでした。

いよいよ山頂に到着。槍ヶ岳もばっちり見え、北アルプスを一望出来ました。山頂は風があるので早めの下山。日の入りまでに下山できるか。下山はトレースがあるのでガシガシ下っていきます。テントを回収しさらに下山、雪が少なくなりスリップしそうな箇所も榑林さんがガシガシ下っていきます。
林道が終わり道路に出たとこで少しホッとしましたが、ここからの道路が長い。ようやっと車まで下山。ほりでーゆに入浴し、安曇野のお蕎麦を食べ、隼人と直樹の運転で富士吉田に帰宅しました。天候もよく最高の山行となりました。


(羽田隼人)

2024年01月02日

11月・月例山行 八ヶ岳・杣添尾根

実施日:2023年11月26日
山 域:八ヶ岳
参加者:内山章(CL)、榑林秀倫、齊藤


雪を期待しての月例山行「杣添尾根」の募集に参加表明のあったのは、私のほか渡辺徹臣さん、榑林さんの2名であった。徹臣さんは事情で残念ながらキャンセルになったため榑林さんと二人での計画となった。ネット情報により積雪が確認できたので予定通り冬支度を整え会に計画書を提出した。当日の前夜20時頃、LINEを確認すると齊藤さんから参加したい旨の連絡が入っていた。朝のうちのことらしい、どうもスマホの調子が悪く見落としていた。榑林さんからは「今月入会したばかりで是非参加して欲しい逸材」とのコメントが添えられていた。あわてて連絡を取り合い急遽登山計画書のメンバーを追加訂正した。
当日、朝5時過ぎに甲府南インター付近に集合し内山車で現地へ向かう。長坂インターを降り、野辺山付近にさしかかると電光掲示板の気温は0℃であった。コンビニに寄り車を降りるとさほど寒さは感じなかったが風があり雲が流れていた。海ノ口自然郷の横岳登山口駐車場まで路面凍結なども無く順調に移動できた。それにしてもシカが多い。立派な角を持つ個体も何頭か車道に現れた。駐車場には先客が1台停まっていた。ここでは雲は消えており好天が臨まれた。

 

さて、新人の齊藤さん、何と前々日に悪沢岳から降りてきたばかりと言う。そのような兵だとは知らず念には念を入れて新人のためと思いロープを用意してきたのだが、不要な荷は車に残置する事とした。
6:55登山開始、別荘地帯の樹林の中の遊歩道を進む。時折車道と交錯し、7:23東屋のある南八ヶ岳林道を跨いで山に入る。ここまでほとんど雪は無い。出発して1時間ほどで少しずつ雪を踏むようになり、若干凍結部分もあった。
2262m標高点付近で杣添尾根に乗ると完全な積雪となる。榑林さんからスパッツ着用の申し出があったが、新雪ではなくズボンの裾で十分ガードできていたので私はまだ着けないこととした。榑林さんはそれに倣いやはりまだ着けないこととしたようだが何か意地があるらしい。2500mを超えると所々視界が開け、雲上の富士山が見事だ。いよいよ眼前に横岳が迫ってきたところで雪質も良くなりスパッツを装着する。程なく展望テラス。陽光に照らされた素晴らしい景観、齊藤さんはアイゼンを着ける。主稜線が近づくにつれて傾斜が増し、ラッセルとはいかないが先頭を交代しながら高度を上げる。ところが齊藤さんが前に出ると、強い。本当に悪沢から降りたばかりなのか? 口には出せなかったがこちらは必死でした。
10:13主稜線に出てまず南方向へすぐの三叉峰へ向かい、次に北へ奥ノ院に向かった。稜線に雪はあまり無く、齊藤さんはアイゼンが邪魔になったようある。鉄はしごを2箇所通過すると目指す奥ノ院、先頭を齊藤さんに譲り10:45登頂。意外と穏やかで大休止とする。硫黄岳方向からの単独行者、本日唯一人の遭遇者があった。振り返ると三叉峰にもう1名の登山者が見えた。この素晴らしい雪山で、人気の八ヶ岳で、不思議と別世界のように静かだった。我々はというと、果たしてスパッツに防水透湿性素材を使う必要性があるのか、などなど議論したのであった。
下山は同ルートを辿ったので不安も無く、時間的にも余裕があった。高度を下げた樹林の中は溶けた雪が凍結しスリップしやすい。しかし、アイゼンを着けるのは煩わしいし潜るような雪ではない。榑林さんから早めにスパッツを脱ぐことの提案があった。ガムテープで補修し年季の入ったスパッツをいたわっての事だ。うすうす感じてはいたが榑林さんはスパッツに対しての深い造詣? 費用対効果についての不満?執着心? んー、何かあるらしい。
そうこうしながらもスピーディーに13:39下山完了した。下山報告を済ませた開放感で甲斐大泉温泉パノラマの湯を堪能したのである。


(内山 章)

2023年11月26日

お月見山行 大室山・加入道山

実施日:2023年9月30日(土)〜10月1日(日)
山 域:道志山塊
参加者:中安正議、内山章、榑林秀倫、渡辺徹臣
行 程:7:36登山口駐車場→9:33加入道山→10:53大室山→12:19加入道山→14:33登山口駐車場

計画して言うのは憚られるが、入会した時は「お月見山行」は新田次郎の小説で、「月に照らされた海岸線を見ながら歩く」の一節の印象が強く、またGoogleで「お月見山行」を検索すると御坂山岳会の投稿が上位に位置しているため、早期に名前に伴う行動をしなければならないと思う。
当初参加予定の紅一点の小泉さんが家の都合のため参加出来なくなり、4人でのむさ苦しい山行となる。道志の湯近くの登山口駐車場から3人で山行を開始、内山さんは遅れて来る連絡があった。
薄暗い杉林の登山道だが、勾配は均等で登りやすくペースを掴みやすい。東屋を通り過ぎ、淡々と高度を稼ぐが気温が低いため汗をかかない。
尾根に出る前の最後の急登をクリアして県境へ辿り着くと、加入道山山頂まであと300メートルの表示がある。
山頂の避難小屋は綺麗に掃除されて居心地が良く、本来はここで夜行してのお月見が良かったなぁと思う。一休みしている内に次第に雨が強くなり、久しぶりに雨具を使用することになる。
カッパを使ったのは昨年の本沢温泉以来で、以前あまりの臭さに眩暈がしたことがあったため、恐る恐る匂いを嗅ぎ、許容の範囲内である事を確認しながら袖を通す、無事であった。
加入道山から大室山へ向かう稜線は霧の中で、晴れていれば気持ちが良いことが想像できる。大室山へ続く長い木の階段と植生を保護する木道、整備され山梨県側ではまず見られない。
大室山山頂は平らな木立の中にあり見晴らしは無く、中安さんと内山さんを待つのも暇と思っていたところ、学生らしき20人ほどの楽しそうな男女が賑やかにしてくれた。
中安さんが到着、写真を撮り下山しようとしたところ、内山さんが到着し改めて写真を撮るが、気に入った写真がないせいか、中安さんは私たちの笑顔が続かなくなるまで撮り続け、まさに仏頂面となった写真を使うことになってしまった。
霧の中のつまらない下山だと思っていたが、突如中安さんの猪が屠殺されるような断末魔の悲鳴が聞こえた。足が攣ったそうだ。中安さんは、内山さんが後ろから話し掛けたから悪いと言って内山さんのせいにしている。内山さんに呪術の言霊の力があるとは知らなかった。逆らわないようにしよう。
4〜5回ほど中安さんの悲鳴を聞きながら楽しい下山は終了、道志の湯を堪能し懇親会のため石川さんの家へ向かった。


(渡辺徹臣)

2023年09月30日

9月・月例山行 焼岳

実施日 2023年9月23日(土)
山 域:北アルプス
参加者:渡辺直樹、羽田隼人、羽田騎士、渡辺剣岳、鈴木文代


9月月例山行は個人的に未踏だった焼岳へ。中の湯登山口は駐車場が狭く路駐覚悟になるとのことなので、沢渡駐車場に車を停めてタクシーで中の湯登山口へ向かい、焼岳登頂後上高地へ下山し再びタクシーで沢渡駐車場へ帰るという行程にした。
太平洋上に前線があるので山梨よりは天気がいいはずと思っていたが、向かう道中は曇りで少し不安になるも登山口では晴れ間も見え一安心。

 

樹林帯の中を登っていき開けたところに出ると遠くの岩肌に噴煙が見え、テンションが上がる。色づき始めた木々を眺めながら高度を上げていき、噴煙の近くを通りながら岩が温かいなと感じながら山頂へ。残念ながら途中ガスが上がってきたので山頂はガスの中。山頂近くで昼食をとっていると雲の切れ間に槍・穂高、下には上高地が見えたので、今回はこれでよしとする。
下山は鎖場あり梯子ありの長い道のりを経て上高地へ下山、河童橋に立ち寄りタクシーで沢渡駐車場へ戻って、帰路に着いた。


(渡辺直樹)

2023年09月23日

8月・月例山行 宝永山〜富士山

実施日:2023 年 8 月 6 日
山. 域:富士山
参加者:榑林秀倫、渡辺徹臣
行 程:富士宮口五合目6:58→7:13宝永山→11:23浅間退社奥宮→12:05 剣ヶ峰→14:19 富士宮口五合目
8月の月例山行だが、参加者2名と淋しい事になってしまったが、よく考えると富士五湖の花火大会や夏休
みで無理もない。榑林さんから、2人なので富士山頂まで行きましょうと提案を受け、混雑が予想されるので宝永山から御殿場口登山道から山頂を目指す事になった。
バスで移動中まではカッパを着て登る覚悟をしていたが、次第に青空が見え始め宝永山が見える頃には
快晴となり日頃の行い良さを感じた。宝永山まで登ると雲海が広がり人もほとんど無かったが、御殿場登山口に入ると何やら自衛隊の方が至る所に配置されており、訓練だと思ったら富士登山競走が開催されるとの事であった。

順調に登っていたが、登山競争の御一行様が通る度に道を開けなければならず、景色を見るところか道
が狭いのでランナーに轢かれない様にするので一杯で、楽しむ所では無くなってしまった。
あと少しで山頂だ、と思うのも束の間、今度は高速で降るランナーにも気をつけなければならず、大変な事になってしまった。何とか頂上に這い上り、お参りを済ませて火口が見えるところで休息、頂上には疲れ果てた自衛官がツエルトを被り寝ており、戦地さながらで異様な光景であった。剣ヶ峰に登った頃から霧が出てきたので、早々に降る事にした。下山道は富士宮口を使い、すれ違う人は異国情緒たっぷりの多国籍、日本人にしても色々なスタイルの方がいて見ていて飽きない。小雨に降られることもあったが、雨具を使用せずに下山することができた。

(渡辺徹臣)

2023年08月06日

7月・月例山行 伝丈沢 沢登りと岩魚釣り

実施日:7 月 8~9 日
参加者:金丸祐司、中安正議
山 域:奥秩父山系
7月の月例山行として沢登りを企画した。沢登りの楽しみは多々あり、滝の登攀、泳ぎ、ナメ歩
き、釣り、焚火、岩魚料理などなど。今回、釣り、焚火、岩魚料理を中心に多くの人へ楽しみを伝え
るべく、あれやこれやと考えていたが、結局中安さんと二人だけとなった。残念。
朝7時半に中安宅へ迎えに行く。天気は良くないので、日曜日は早めに下山したいところだ。相
談した結果、釣りに専念することし、八幡山登頂は断念することを選択。8時半に登山開始。林道から伝丈沢へと入る。しっかりした踏み跡をたどるので快適に進む。途中、炭焼き窯跡をいくつも目にした。中には直径5mほどもある大きなものも。2時間ほど歩くと、大滝下の二俣へ到着。少し下に宿泊適地があったので、引き返し泊まることとした。11時宿泊地着。タープを張り、焚き木を集めたら、いざ釣り開始。中安さんは知人から釣り道具を貰ってきたと気合が入っている。気合のわりになぜか餌は持ってきていないので私の餌を付け、中安さんは意気揚々と沢へ釣り糸をたらした。私も少し下流で釣り始める。早速小物がかかる。針がうまく外れなかったので、リリースは断念し、骨酒用としていただく。続いてまた1匹、今度は23センチと塩焼きサイズだ。中安さんの様子を見ると、糸が長いようで苦戦している。糸を短く調整して仕切り直し。その後また1匹、今度は27センチ、これは刺身用だ。その後中安さんの上
流で1匹、下流で1匹、いずれも23センチ。これで刺身用2匹、塩焼き用2匹、骨酒用1匹、計5匹釣ったので、竿を収める。食べる分だけ釣るのが原則だ。中安さんはその後も粘っていたが、結局ぼうずであった。渓流釣りは経験がものをいう。私も釣り始めの頃はなかなか釣れず、悔しい思いをした。
さて、焚き木の長さを揃え、太さ別に仕分けたら、着火。前日の雨にも負けず、ベニヤ板で仰ぐと、真っ白い煙の中に赤い炎が見えだした。火の番を中安さんに頼み、その間に岩魚の刺身を作る。さばいて残った頭や骨はアラ汁にする。下準備が終わったら、宴会の始まりだ。山の中で食べる岩魚はうまい。刺身を食べつつ、木の枝を串に削る。岩魚に串を刺し塩焼きに。牛肉の角肉やチーズも串に刺し燻す。小さめな岩魚を燻したら日本酒に入れ骨酒に。贅沢な食事をいただき、19時過ぎに就寝。19時頃降り出した雨は、夜半に強くなり、タープの中にも雨が降っていた。翌日、雨がほぼ止んだ6時に出発。7時20分
に車へ戻った。中安さんは気合いを入れて渓流釣りを始めるそうだ。次回は期待しています。
(金丸祐司)

2023年07月08日

富士吉田市民スポーツ祭り・バスハイキング

実施日:2023 年 6 月 11 日
山 域:霧ヶ峰高原 車山~八島ヶ原湿原
参加者:荒井寿子、石川敬子、小野武俊、金丸祐司、渡辺直樹、渡辺徹臣、勝俣和子、榑林秀倫、羽田政
人、羽田早衣子、柏木正明、中安正議、鈴木文代、羽田隼人、青木信子、横山秀敏 他一般参加者 81 名、
総勢 97 名
行 程:富士吉田市役所 7:15→8:40 八ヶ岳PA9:10→10:30 車山肩駐車場 10:50→11:35 車山11:50→12:35車山肩駐車場 13:00→13:10 八島ヶ原湿原駐車場14:30→15:55八ヶ岳PA16:25→17:35富士吉田市役所
去年はコロナ禍の影響で秋の開催となったバスハイクも今年は例年通りの 6 月開催となった。
当日の天気は残念ながらの雨模様、本来ならば車山から八島湿原駐車場へ向かうルートを車山肩駐車
場周回ルートへと短縮した。出発してバス車内でアナウンスすると参加者からは残念そうな反応が各バスからあったよう。ビーナスラインを進んで行き、白樺湖周辺で見事なレンゲツツジが見られ、さらにあがって車山肩駐車場へ向かう道中にはゴールデンウェークの山火事の影響で焼かれている木も見られる中でも、緑が青々としていた。

車山肩駐車場ではやはり雨、雨のため車内でカッパを着て傘をさして出発する。雨の降りが強いため山頂
では集合写真を撮って少し休憩して周回ルートへ、車山湿原から車山肩駐車場へ戻る道は川となっていた。
車山肩駐車場から八島湿原駐車場へバスで移動し、1時間半の自由時間、各々昼食・ビジターセンター見
学・八島湿原散策を堪能、帰りに八ヶ岳 PA へ寄りトイレ休憩とお土産を買って市役所へ戻り、無事解散となった。
バス車内では再三忘れ物のないようにとアナウンスしたが、やはり今年も、全てのバスで忘れ物があった。
(バスハイキング担当 渡辺直樹)

2023年06月11日

4月・月例山行 桑留尾川行者返し沢 遡行

実施日:2023 年 4 月 2 日
山 域:御坂山系
目 的:沢登り
参加者:川村高敏、榑林秀倫、中村勇貴
行 程:桑留尾川駐車場 7:00→7:30 二股 7:33→11:04
十二ヶ岳 12:09→13:09 桑留尾川駐車場

今年も月例山行は 4 月を担当することになった。今日の計画の発端は新年会の折、元会長の横山さんか
ら伺った話がきっかけになった。十二ヶ岳山頂の祠の裏にダイレクトに登り詰めるという。その話に端的に魅力を感じた。
しかし桑留尾川というと台風直後でもない限り、涸れ川のイメージである。沢登りなのか、涸れたルンゼ
の遡行なのかよくわからず、ともかく渓流シューズを携行した。水流があったとしてもわずかなものだろう。
いつも十二ヶ岳の岩場で使う駐車場からスタートする。岩場の入口からさらに沢の上流に向かうのは初
めてだ(川村さんは経験ありとのこと)。ネットで調べた情報では、道がわかりにくく、彼らも迷いまくって経路を修正している。実際地形図を見ても沢筋の分岐が複雑で正しい道が分かりにくい。今日は、スマホの GPS を遠慮なく利用した。
水気の無い沢筋を迷わないように気をつけながらぐいぐい登る。やがて 20m滝(水があれば)にぶつか
る。あーだこーだ議論した挙句、榑林が高巻して上からロープを落とし、二人にはトップロープで直登してもらう。大サービスである。しかし、枯葉を落とし、枯れ枝をよけながら登ってくる様子を見るととても楽しそうには見えない。この滝を越した辺りからわずかだが水流が見られ始める。川とは不思議なものである。この水はどこから来て、どこへ消えるのだろうか。各自渓流シューズを装着。この上の滝を川村さんがリード。この人は初老を過ぎ、老齢に差しかかっているが、恐怖感覚が私より高い狂った領域にあるため、非常に便利である。フォローで登ると結構ギョエギョエな難度だ。滝場では服に水がかかって「冷てっ!」て感じる程度には水が流れるようになっていた。さらに上部の分岐では、目的の沢は、狭くて濡れた、「なんでわざわざこんな狭いところを」を思うようなルンゼに入る。しかし、取り付いてみると意外と登りやすく、結構楽しい。両側が切れ立った急なルンゼが頂上ほど近くまで続く。よくこのような地形になったものだと思うし、よく見つけたものだと思う。話に聞いてたとおり、ルートは頂上の祠に登り詰めて終了となった。ま、概ね想定したくらいの時間で、想定したくらいのルートで、想定したくらいの楽しさだった。今回初めての沢登りだったという中村さんにも楽しめてもらえてよかった。楽しかったが、また来るかというと来ることはないであろう。
下山は、桑留尾への登山道を一気に下った。いずみの湯は入浴料が\1,000に値上がりしていた。
(榑林秀倫)

2023年04月02日

3月・月例山行 根子岳&四阿山バックカントリースキー

中安さん発案の全国旅行支援クーポンを利用して の月例山行としては異例のホテル泊。(なんか、、贅
沢だなぁ。。) ところが当の中安さんのご親族に不幸 が発生。中安さんからキャンセルの申し出あり。 「ど うする?」由起子さんに打診すると「私は行きたいです」 との返事。「じゃぁ、二人で行きましょう」根子岳も四阿 山も危険な所は無いし、ルートもはっきりしているから 大丈夫、と思うよ……(行ったのはずい分昔だからあ てにならん? かな?)4 日朝、5 時半に由起子宅へ。私は一人で行くのは 問題ないが、他人を乗せての遠出は年齢的にも辞め ることにしてる)由起子さんに車出してもらい運転もお 任せ。
ナビで出発点の奥ダボススキー場を目指すが、ナ ビの“目的地に到着しました”……? ん? スキー場
なんて無い、別荘地の外れみたいだよ? 少しウロウ ロ走って見るがそれらしきは見当たらない。スキー場
に電話入れてやっと辿り着いた。 1 回券 500 円を買って第一リフトで上へ。 ところが 私がリフトからストックを落としてしまい、登り直すこと に……。何十年とスキーをやって来て、ストック落とす なんて初体験だ!(やっぱ、歳かなぁ、こんなうっかり ミスするなんて)
約 30 分遅れで由起子さんを待たしてしまいやっと 出発。コースはスノーキャットのキャタピラ跡があり、 ゲレンデスキー場並みに圧雪整備されているので迷うことなくゆるゆるとスキーシールで上がって行く。ス ノーキャットで上がった人たちが時々滑り降りてくるが、 二人でせっかくだから天然バーンを滑りたいね~と話 す。由起子さんはスキービンディングが調子悪く遅れ 気味だが、今日は急ぐわけでも無いし、天気も良いの で下山ルートを確認しながらのんびり。(後で分かったがビンディングのストッパーがきちんと収納されてな かったのだ)
しかし、次第に雲が広がり風も出てきて時々ガスに 覆われる。期待していたモンスターは成長が遅いの
か、時期がずれたのか、ちょっと物足りない感じ。スノ ーキャット終点から急な道を 15 分ほど登って祠のあ る根子岳山頂。歩き始めて約3時間。幸いにも晴れて 暖かいので風をよけて昼休憩。 下山は……久しぶりの滑走、大丈夫かなぁーと、ち ょっと不安。木にぶつからないようまばらな所を探しな がら下る。次第にガスに掴まり周りが見えなくなり、 時々立ち止まって一瞬のガスの切れ間で方向や周り を確認、膝、腿コントロール出来なくなって転んでは由 起子さんに助けてもらう。コースを確認しながらリフト乗り場へ。ほとんど見え ないホワイトアウト! 暫く休んでからゲレンデをリフ トに沿って降りて行くが、方向、バランス、平衡感覚、 ほとんど無く足も疲れて転んでばかり。何回も由起子 さんに引っ張って起こしてもらい、介護老人だね、と。 トホホ……です。やっと車へ。 中安さん指定のホテル富士屋へ。思ったより大きな ホテル。板や靴を乾燥室に入れ、受付をして部屋に案内される。大きい部屋で二人では広いね、温泉ではないがお風呂に入り夕食。今日の宿泊者は我々と他に 男性二人の 4 人だけ。土日でこの客では大変だね~。 たったこれだけの客のために光熱費など設備投資、 厳しいね。 「私、今日の調子では明日は行けないかも? 下で待 ってるよ、由起子さん一人でも大丈夫だよ」 「え~~、行けるところまで行きましょうよ」と言いなが ら就寝 zzz・・・
5 日、朝食も品数多くお腹一杯。今日の天気は風も 無く穏やかな晴れ。四阿山登山口の“あずまや高原ホ
テル”駐車場へ。満車状態! こんなにいるの? ほ とんどが登山者のようで板担いでるのはこの時間で
はいない。今は閉鎖中のホテルの横の舗装道路を板 担いで歩く。すぐ上で除雪が終わり雪道になり、私は
シールで歩き、由起子さんはザックに括り付けて担ぐ。 両側別荘地の一本道を緩く上がって行くと、目の前 開けた牧場に出た。由起子さんもシールで歩く。青空 に雪原が眩しい! 先行者が数人見える。草が出ている所もあって例年より雪は少ない感じ? 広い牧場 の景色を見ながらのんびり歩く。白い山並みのアルプ スが広がる。やがて有刺鉄線に沿って牧場脇から山 道へ。帰りのルートを探しながら上がって行く。傾斜が 増してくると私は昨日の疲れもあり遅れ気味、由起子 さんに私は山頂行かないから先に行って良いよ、と言 ってゆっくり後を行く。下山してくる登山者やスキーヤーと度々すれ違う。山頂直下は岩が多く板で登るのも、 下るのも難しそうだし、私も疲れたので下で待つこと にして陽だまり休憩。まもなく由起子さんも戻ってきた。 やはり岩が多く山頂まで行かなかったと言う。 下山は疎林を探しながら、木に激突しないよう注意 深く滑り降りる。昨日とは違って天気も良いし久しぶり の山スキー、ツリーランが楽しく、雪の感触が心地良 い! 時々立ち止まって由起子さんと合流、ルート探 す、を繰り返し牧場に出た。陽だまりでのんびり休憩。車に戻ると満車だった駐車場には我々の車と他に 1 台だけ残ってた。中安さんの予定だった日帰り温泉湯楽里館に寄るが混雑。私はここ何年も経験しなかった “靴擦れ”が皮剝けして痛く、手で押さえて湯に浸かるだけでお終い。帰路は由起子さんにお任せで富士吉田へ。今回は運転も道路も頼りになる由起子さんに全部 お任せで楽させてもらいました。年寄りにお付き合い、お疲れのところありがとうございました。スキーも心配 なく上手です。 帰り、富士吉田は湿った雪が降り始め、瞬く間に道
路も積雪。峠を心配しましたが道志は雨でした。 (石川敬子)

2023年03月04日

2月・月例山行 甲府黒平ドミノ沢アイスクライミング

実施日:2 月 18 日
目 的:月例山行 アイスクライミング
山 域:甲府市北部の山
参加者:中安正議、金丸祐司
月例山行として募集したが、中安さんと2人のみ。中 安さんは前日飲み会だから迎えに来いと言う。中安さ んはいつもこうなんだ。しょうがないなあと心の中で言 いながらも、7 時過ぎに中安宅到着。 最近暖かいので凍っているか心配だが、とりあえず増富大滝に向かう。先日の雪はすっかり解けていて、 増富大滝は部分的に凍っているものの繋がっておら ず、登れる状態ではない。やむをえずドミノ沢に転進することとした。
10 時前に黒平到着。気温は 5℃。凍っているか心 配しつつ出発。道に雪はほとんどない。途中からF1
へ先行したところ、中安さんがF1に気付かず本流を 突き進んでしまい迎えに戻る。通いなれたアプローチ のはずだがあなどれない。 11 時前にF1到着。結氷は甘く、右側は表面が解け 気味だが、登攀可能。来た甲斐があった。まずは左側 から金丸リードでトップロープをセット。2人なので登る かビレーするかで忙しい。すぐに登る順番が回って来 るので疲労回復の時間がない。 水っぽい右側、氷の薄い中央、状態良い左側、岩 混じりで薄氷の最左側を、中安さんが4本、私が8本、 十分氷を堪能し 13 時過ぎ下山する。荒川ダム湖畔に ある大黒屋で遅い昼飯を取る。中安さんは今日もビールを飲んでご機嫌だ。私は運転手、まったく羨ましい。 挙句、「お前、忌中なのに山登っていいだか?」と宣う。さんざんこき使っておいてよく言うよ。
今年は暖かい日が続いており、今シーズンの氷は これで終わりかなあなどと雑談し、15 時に中安さんを
自宅に送り届けて解散した。
(金丸祐司)

 

2023年02月18日

1月・月例山行 三つ峠金ヶ窪沢 アイスクライミング

実施日:2023 年 1 月 14 日
山 域:御坂山系 目 的:
月例山行 参加者:川村高敏、平井芽久美、渡辺直樹
月例山行で毎年恒例の金ヶ窪沢アイスクライミング へ。天気予報で暖かいのは分かっていたが、暖かすぎ
る陽気に不安を感じながらも金ヶ窪沢へ向かう。去年 と同じく林道のゲートが閉まっていたので下から登っていく。
今日の気温は高いが、クリスマスと年始の寒気のお かげか堰堤の上部からしっかり凍っていたのでアイゼ
ンをつけ登っていくと途中から氷がなくなる。行けるか と思ったら行けなかったパターン大滝には先行パーティがおり、下から見ても明らか に岩が露出してるので手前の滝を登ることにする。支度を始めるとぽつぽつと雨が降り始める。気温も高く 雨も降り始めたので川村さんがリードで登り、その後にトップロープで 1 本ずつ登って終わることになった。登っているときには表面を水が流れるという中々ない状 況であった。
登り終わりロープを回収した後に、スクリューの入れ 方を教えてもらい本日は終了となった。帰り支度をして いると大きい音とともに落石が滝から落ちてきた。登っ ている時でなくてよかった。今年は気温が高く雨に降ら れてしまったりと天気に恵まれなかったので、来年に 期待しよう。 (渡辺直樹

2023年01月14日

冬山入門、蓼科山

実施日:2023 年 1 月 4 日
目 的:冬季登山
山 域:八ヶ岳 蓼科山
参加者:勝俣和子、川村高敏、榑林秀倫、青木信子、
羽田隼人
行 程:乙女茶屋駐車場 8:30→9:58 2113m 三角点
10:05→11:30 蓼科山 11:53→12:32 がれ場 13:52→
2113m三角点 14:10→駐車場 15:08
隼人君から「冬山装備を買いましたー」と熱烈アピールがあった。去年は新人会員が 4 名、昨今の山岳会と しては天文学的というべき入会者数であり、旧人の 我々も「まあ、ぼちぼちやっかー」ではすまされなくなっ てきた。そこで、手ごろな山と言えば……、蓼科山がい いと思い、計画した。
山腹にスキー場がある蓼科山は冬でも交通の便が 良い。しかも駐車場が除雪されているという手厚さ。有
り難い限り。その分登山者は多いのだが、正月 4 日目 というのが良かったのか、駐車場は十分空いていた。
このコースは緩傾斜と急斜面が交互に三段ある。今 は二段目の急斜面手前でアイゼンを装着した。天候
は気象観測的には晴れなのだろうが、頂上には雲が かかっていて、このままだと頂上は辛いことになるかも。
やはり頂上は風が吹き、寒く長居はできない。小屋 前の看板で写真撮影をして下山。下山途中、右手に現れたガレ場が丁度いい斜面に なっていて、滑落停止とスタンディングアックスビレイ の訓練を実施。ピッケルの打ち込みが浅く、教える立 場の私が一番下手だったような……。またの機会にし っかりやろう。
蓼科山、手軽ながらいい山でありました。コロナの影 響も続いていますが、そろそろ冬山を盛り上げていき たいところです。 (榑林秀倫)

2023年01月04日

12月・月例山行 羅漢寺山吟行登山

実施日:2022 年 12 月 11 日
参加者:榑林秀倫、中安正議、石川敬子、勝俣和子、鈴木文代、渡邊由起子、渡邊聡、川村高敏
山 域:甲府市北部の山 昇仙峡
目 的:月例山行
行 程:7:00富士吉田→8:30天神森駐車場8:35出発→9:30御岳道分岐→9:50太刀の抜き石→10:50白砂山展望台→11:30八雲神社→12:15弥三郎岳(昼食)12:30出発→12:40 ロープウェイパノラマ台駅→12:50 麦坂道→13:15 車道にでる→13:30 仙娥滝→15:00 天神森駐車場→16:30 富士吉田
最初は八ヶ岳のバリエーションに行きたかったのですが、コロナがまた増えてトレーニングも出来ていないこと、テント泊も問題があると思い、行先を変更しました。
羅漢寺山は思った以上に良い山でした。天気が良かったので南アルプスや奥秩父の山々、富士山も天
辺は雲がかかっていましたが綺麗に見渡せました。 冬枯れの森は明るくて落ち葉の山道を歩くだけで楽
しくなってきました。 今回の反省点
① 花崗岩を見るとつい登ってしまう。
② 遊歩道が長くて山行の後半がだれてしまった。 鈴木文代さんが俳句を詠んだのをきっかけに、皆さ
んが句を発表されたので、以下に記しておきます。 (川村高敏)

2022年12月11日

富士吉田市民スポーツ祭り・バスハイキング 伊豆 達磨山~金冠山

実施日:2022 年 11 月 13 日
山 域:伊豆半島
目 的:市民バスハイキング
参加者:中安正議、金丸祐司、石川敬子、榑林秀倫、 中澤弘雄、勝俣和子、渡辺直樹、流石英一、柏木正明、 羽田早衣子、鈴木文代、横山秀敏、渡邊由起子、他一 般参加者 48 名、総勢 61 名
行 程:
【1号車】7:30 富士吉田市役所→8:20 道の駅伊豆ゲー トウェイ函南 10:00→10:50 戸田駐車場→11:09 達磨山→11:36 あせびヶ原→12:03 小達磨山→12:31 戸田峠駐 車場(昼食)13:00→13:40 だるま山高原レストハウス 13:50→14:37 函南めんたいパーク 15:15→16:30 富士吉 田市役所
【2号車】7:30 富士吉田市役所→8:20 道の駅伊豆ゲー トウェイ函南 9:00→9:40 だるま山高原レストハウス→ 10:00 戸田駐車場→10:20 達磨山→10:45 あせびヶ原→ 11:10 小達磨山→11:35 戸田峠駐車場→12:00 金冠山 (昼食)12:40→13:10 だるま山高原レストハウス 13:20 →14:10 函南めんたいパーク 15:15→16:30 富士吉田市
役所 新型コロナウイルスの感染拡大により開催を見合わ せて参りました富士吉田市民バスハイキングですが、 3年ぶりに開催することができました。コロナ禍の下、 何度も検討を重ねた結果、例年梅雨前の6月に開催し ていたものを秋まで延期し、バスハイキングのための 新型コロナウイルス感染症予防対策ガイドラインを作 成して、感染予防には万全を期して開催に漕ぎ付けま した。
前回までは、富士吉田市の広報のみで参加者を募 集していましたが、今回は募集チラシを市役所、下吉
田中央コミュニティーセンター「富楽時」、市営鐘山体育 館、南都留合同庁舎等に配布し、インターネット上の御 坂山岳会のホームページからも申し込みができるよう にしました。
ところが、広報への掲載が手違いにより10月号へ掲載されず、開催直前の11月号への掲載となってし
まい、参加者が集まるか心配でした。しかし、チラシに よる応募が39名、ホームページからの応募が6名、最 終的には48名の応募があり、これに御坂山岳会会員 13名を入れて総勢61名となり、大型バス2台をチャー ターしての開催が可能となってほっとしました。 さて、バスハイキング当日ですが、前日まで秋晴れ の好天が続いていたのに、なぜかこの日だけ天候は 下り坂、神様は次から次へと試練を与えます。しかし、 ひとりのキャンセルもなく、バスは富士吉田市役所を 定刻に発車しました。 トイレ休憩の道の駅伊豆ゲートウェイ函南でまた試 練が訪れます。発車しようとした1号車のバスのエンジ ンがかからないのです。61名いるので2号車に全員 乗り移ることも不可能です。やむを得ず故障した1号車
を道の駅に置いて、2号車のみ出発しました。50分後、 バス会社の沼津営業所から救援車がブースターケー ブルを持って到着し、無事エンジンがかかりました。原 因はバッテーリー上がりでした。おかげで1号車の参 加者は、道の駅でたっぷりと時間をかけてお買い物を 楽しむことができました。
1号車は1時間遅れで出発したため、1号車と2号車 はまったくの別行動となりました。西伊豆スカイライン は対向車のヘッドライトも見えないほどの濃い霧となり ました。戸田駐車場で下車した時は、雨こそは降っていませんでしたが、強風が吹き荒れていました。「冬山 に比べれば、こんなのそよ風ですよ」とほらを吹いて、 躊躇する参加者に出発を促しました。
白いベールに包まれたクマザサの稜線をひたすら 歩きました。晴れていれば水平に弧を描く駿河湾と富
士山の眺望を楽しめる達磨山山頂も霧の中です。1号 車は休憩時間を短縮して徐々に2号車に追い付いて
行きます。2号車が金冠山で昼食を摂り終えて下山し ている頃、1号車は強風の金冠山を避けて戸田峠で昼 食としました。昼食を終えて金冠山目指して出発しよう としたのを見計らったかのように雨が本降りとなりまし た。そして苦渋の決断で金冠山登頂をあきらめて、だ るま山高原レストハウスへ直行することにしました。だ るま山高原レストハウスに到着すると、1号車のバス がエンジンをかけたまま待っていました。エンジンを止 めると永遠にかからなくなるからです。2号車は10分 前に出発したとのことでした。
函南めんたいパークで1号車と2号車は合流し、そこ から連なって富士吉田市役所に到着しました。今回の バスハイキングはいろいろありましたが、ひとりのコロ ナ感染者も発生せず、結果的に無事終了いたしました。 参加された市民の方々の中には、女性の方や高齢 の方、山登りが好きだけどひとりで登るのはちょっと不 安という方が多くいらっしゃったと思います。また、体の 弱い方、体に障害のある方もいらっしゃったかもしれま せん。でも御坂山岳会と一緒なら大丈夫、と思って 参 加していただいたことを肝に銘じまして、そのような 方々がいらっしゃる限り、このバスハイキングは続けて いかなければならないと思っています。 バスを降りる時の参加者の笑顔を糧に、来年もまた、 多くの方々が参加していただくことを心から願っていま す。
(中安正議)

2022年11月13日

10月・月例山行 鶏冠山

実施日:2022 年 10 月 16 日
目 的:月例山行
山 域:奥秩父
参加者:中澤弘雄、渡辺徹臣、榑林秀倫、青木信子、 羽田隼人
行 程:7:05 西沢渓谷駐車場→ 7:52 鶏冠谷出合→ 9:51 第一岩峰のコル→10:30 第二岩峰→11:50 第三岩 峰→12:22 鶏冠山→14:36 第一岩峰のコル→15:49 鶏冠 谷出合→16:50 駐車場
今年入会した羽田隼人君には野望があった。それは山梨百名山全山完登である。中でも難関と言われる
鋸岳や鶏冠山はまだ登頂できていないという。 隼人君からのアピールがあって幾月かが経ち、気づ けば鶏冠山に丁度良いシーズンになった。10 月の月例山行を鶏冠山に決めたのはその前の月、お月見山行の夜だった。
今回の参加者は 5 名。入会したばかりの青木さんを 含む。彼女はこの日緊張していたと言うが、本当だろう か。前日に雨飾山に登ってきたというのだから。 登山の起点は西沢渓谷の駐車場である。以前の月 例山行で鶏冠山に登ったのは 2007 年 4 月 8 日。山が 雪で白くなっていたのをよく覚えている。今日は曇り気 味で、紅葉の盛りというには少し早い。しばらく西沢渓谷道を進む。そして、靴を脱いで東沢 を渡渉すると、鶏冠尾根の登りとなる。一般登山道で はないが、看板が要所にあり、迷うことはない。鶏冠尾根とはいえ、鶏冠尾根の特徴である岩場に 到達するまではひたすら登る必要がある。ひとしきり登ると左手の尾根にトラバースする。ここでハーネスを 装着。 トラバースを終了すると、そこにはチンネのコルとい
う看板があった。第1岩峰をチンネと呼ぼうっていうわ けだ。ひそかに地元自治体が鶏冠山で盛り上がろうとしている気配がみうけられる。 これからいよいよ、岩場の連続する第2岩峰への登 りとなる。鎖があるので難しくはないが、念のためロー プを使用した。
最後、第3岩峰の前に立ちはだかる岩には鎖はない。 事前に参考のためにネットの動画をみたのだが、そこ で見た岩場はここのことだったようだ。動画ではソロで登っていたが、墜落王の私としてはこの岩のソロはち ょっとあり得ない。メンバーの希望を確認したところ、直 登希望者は榑林、中澤、徹臣さんの3名。榑林リードで この3名が直登し、青木さんと隼人君は巻道を行っても らった。
第3岩峰の頂上は気持ちのよい場所で、山梨百名山の標柱が立っていたところだ。今その標柱はみすぼ
らしくなっている。われわれは、今回、地図上の頂上に きっちり登頂した。登山口から頂上まで、距離は大したことはないが、ずいぶん時間がかかった。 下山では、第3岩峰は全員巻道を通り、第2岩峰の
鎖場ではローブで確保したクライムダウンや懸垂下降 を駆使した。
鶏冠尾根の後半部は岩場がないが、東沢の渡渉は 明るいうちでないと……。ま、それは大丈夫だった。
驚愕の体力派である青木さん、隼人君にはこれまで に経験のないスタイルの歯ごたえのある登山を楽しん
でもらえたと思う。どうもお疲れさまでした。
(榑林秀倫)

2022年10月16日

ハセツネCup参戦記

実施日:2022 年 10 月 9~10 日
山 域:あきる野市 奥多摩
参加者:内山 章、内山道子
 令和4年10月9日、焦らず後ろの方に並び13時スタ ート、道子会員とはそれぞれの作戦で、それぞれのペ ースで。さて、10Km を超えた市道山の登りで早速痙りはじめる。

 今回の患部は両太もも前側、復活してもまた直ぐに襲っ て来る。本格的な発作が来ると 1 ミリも足を動かせない。トレイルから僅かに外れて発作をやり過ごすこと数回、「何としても完走する」という目標も動けなくなったらどう しようもない。雨は降るし風は吹くし、動かなければ身体 はどんどん冷える。「浅間峠でリタイアかな」と考える。浅 間峠は 22Km の第1関門。とにかく休み休みでも浅間峠 に行かないと。待てよ! 浅間峠まで行けば魔法の棒「ストック」が使えるぞ。そう思ったら、やる気が出てきた。

浅間峠から先はストックの使用が解禁になる。腕が痙ってもいいからストック頼りに腕力走法でガンバる。雨の中、先行の千人以上が耕した泥沼のようなトレイルは滑 る滑る、でも転ばない。思考を変えると雪山みたいで面 白いぞ! 荒れ放題のコースがちょっと心配ですが。 第2関門の月夜見第2駐車場を夜中の2時に通過して暗闇の長い下りの泥斜面、イナバウアーが盛んな地点 だ。2本のストックを束ねて果敢にグリセードで攻める強 者がいた。こちらも負けずとスキースタイルで滑り降りる。

  いくつも山を越え、朝を迎え、本当はもう限界を超えた 足の調子をごまかしつつ、どうにかゴール。一度も転ばずにゴール。転ばないということは、かなり無理な踏ん 張りをしていたのでしょう。足が痛いというか動かない。 もはや階段一段下るのもプールに飛び込むような思い でした。 いや~感慨深いレースでした。タイムは一応制限時間 内に 71.5Km 完走ということで。第 30 回日本山岳耐久レ ース(24 時間以内)~長谷川恒男 Cup の参戦結果でした。
記録:内山章 通算 8 回出場 8 回目の完走、内山道子
通算 10 回出場 10 回目の完走
(内山章)

2022年10月09日

八方尾根から唐松岳往復

実施日:2022 年 10 月 2 日
山 域:北アルプス
参加者:榑林秀倫:勝俣和子、中澤弘雄
行 程:8:40 八方池山荘→9:32 第三ケルン→10:35 丸山 →11:32 唐松岳頂上山荘→11:48 唐松岳→13:26 丸山 →14:21 八方池→15:28 八方池山荘

 久しく高い山行ってないなーと思い、日帰り出来そうな 唐松岳を選択し計画しました。榑林さん、和子さんお付き 合いしてくれて長い車での移動も楽しいものとなりました。山は相当混むだろうなと思い早めに富士吉田を出発。7 時 30 分がゴンドラの始発だが 6 時 30 分に駅前の駐車場に止める事ができした。既にゴンドラの始発を待つ列 が出来ていました。 我々は車の中でうだうだと余裕していたら、あっという 間にさらに長い列が出来ていたので、列に並ぶことにし た。約40分程並んでようやくゴンドラへ。少し出発時間 が遅れましたが問題ありません。空はだんだんと青空 が広がり久しぶり北アルプスの景観を楽しみながら、登 ります。

 第一ケルンや八方池を過ぎ、扇ノ雪渓を横目で眺め山ケルンで大休止する。それにしても登山者が多い。すごい数だ。さらに下山してくる人も多いので、結構すれ違いが大変。唐松岳頂上山荘まで上ると剣岳や槍ヶ岳まで見える。 あとひと登りで唐松岳頂上だ、頂上にも大勢登山者で賑 わっている。集合写真を撮り、剣岳を見ながらそれぞれ のお昼ご飯を食べる。たっぷり楽しんで下山する。頂上山荘で榑林さんが名残惜しそうに眺めていました。

 下りは八方池では逆さに映る白馬岳を写真に収める。下りのリフトを待つこともなくリフトへ。そしてゴンドラ駅 へ到着。まったくいい天気に恵まれ、最高の山登りがで きました、私にとってはほぼ 10 ヶ月ぶりの山行でした。 榑林さん、和子さんありがとうございました。
(中澤弘雄)

2022年10月02日

9月・月例山行 ~ 福島の山旅 ~ (一切経山&東吾妻山&安達太良山)

実施日:2022 年 9 月 23~25 日
山 域:東北の山
目 的:9月・月例山行
参加者:中安正議、鈴木文代、羽田隼人、青木信子、羽 田騎士(小5)、渡辺剣岳(小5)

行 程:[9 月 23 日]7:00 富士吉田市→12:30 二本松市(智 恵子記念館~二本松霞ヶ城観光)→17:00 杉妻会館(泊)
[9 月 24 日]8:30 杉妻会館→10:00 浄土平 10:30→11:00 酸 ヶ平避難小屋→12:00 一切経山→12:50  酸ヶ平避難小屋御坂山岳会に入会して始めての山行、それは小学生 2人を含む6人パーティーでの東北は福島の山旅でした。台風15号が押し寄せる中、中安会長の「雨だったらハワ イアンズへ行こう」という提案を聞き流しながら、東北の 名峰、安達太良山、一切経山、東吾妻山を目指しました。

 1 日目は、移動と観光。二本松市に着いて、まずは昼 食、福島と言ったらソースカツ! 便利なグーグルで調 べたお店が「翠々亭」。吉田のうどん屋さんのような素朴 な佇まいに、全員一致のソースカツ丼を注文。福島の三元豚を使った、こんな分厚い肉は初めてとばかりの厚さ でジューシー。明日への活力としました。 その後、智恵子記念館、二本松城を見学。中安会長の 説明もあり、歴史を勉強するよい機会となりました。宿泊は福島市内の杉妻会館でした。

 2 日目も雨、それも福島県には大雨警報が発令されて いましたが、「のちに晴れる!」と確信して出発しました。鈴木さんと私の晴れ女パワーを発揮したいと祈りながら、安達太良山の予定を変更して、一切経山、東吾妻山へと向かいました。浄土平のビジターセンターで天候の回復を待ちましたが一向に良くなりません。半ばあきらめ、意を決して雨 具を装着し、浄土平を後にしました。残念ながら、終日、雨のちガス。楽しみにしていた一切経山からの絶景「魔 女の瞳」を眺めることは出来ませんでした。(泣) 弱い雨でしたが、登山道には雨水が滝のように流れ 込み、まるで沢登りをしているようでした。初めは靴が濡 れないように注意して飛び石伝いに歩きましたが、途中 あきらめ足をドボンと水の中へ……。ジェラシックパーク のようで、アトラクションをみんなで乗り越えたような気 分になりました。なかなかできない体験をしてきました。子供たちの「ハワイアンズへ行くよりおもしろかった」とい う言葉に救われました。 風雨の東吾妻山には私たち以外誰も登っていません でした。羽田さんが先に駆け下って、浄土平まで車を取 りに行ってくれたので、下山口の烏子平から浄土平まで 歩かずに済みました。

 3 日目、ようやく晴れました。久しぶりの山日和で、人 気のあだたら山ロープウエイは、行列。真っ青な空に360度の絶景。雲海に飛行機雲。少し燃え始めた紅葉。智恵子のいうほんとうの空を見ることができた気がしまし た。 緩やかな山稜に乳首のように突き出した山頂で、絶景を眺めながらお昼を摂り、沼の平火口経由でくろがね小屋を目指します。宇宙のような絶景にしばらく見惚れてしまいました。くろがね小屋で休憩を取り、あとは林道歩きです。 ♪森のくまさん♪を子供たちと歌いながら、楽しく無事に 下山しました。駐車場のすぐ近くの「奥岳の湯」には眺めのよい露天風呂があり、疲れを癒しました。 なかなか東北までは来られなかったのですが、御坂山岳会の月例山行のおかげで楽しい想い出となりまし た。ありがとうございました。お疲れ山でした。
(青木信子)

2022年09月23日

八ヶ岳全山日帰り縦走

実施日:2022年9月12日
山 域:八ヶ岳
参加者:羽田隼人、他2名

日帰りで八ヶ岳全山縦走に行ってきました。
23時に観音平に集合し、トレイルランテストセンターのミチコさんにスズラン峠まで送ってもらって、十六夜の満月の月明かりの中、0時過ぎにスタート、天気も良く気温もそこまで冷えることなく、蓼科山の登りで半袖短パンでちょうどいい感じの気温。蓼科山まで1時間30分で登頂、北横岳を4時、縞枯山で幻想的な雲海と朝日が望めました。
麦草峠を6時、高見石で小休憩、天狗岳9時15分。少し疲れてきましたが、この日は天候もよく八ヶ岳の山々が癒してくれます。
根石岳山荘で水の補給とセブンイレブンのおにぎりとパンを食べ休憩、ここから南八ヶ岳核心部、硫黄岳10時50分、横岳11時30分と登頂。いよいよ赤岳、この日は平日ということもあり登山者も少なめなのでガンガン進み12時50分登頂、休憩もそこそこに出発。
ガスも出てきたが、直射日光もつらいのでありがたい。脚が棒になってきた。権現岳までは、ガレ場の下りは他の登山者さんもいて精神的に苦労しました。権現岳14時40分到着。
青年小屋で、CCレモンを補給、長い道のり最後の登りを終え編笠山16時着。1000mダウンの下り最後の力を絞り観音平到着。
次は、逆コースの観音平から蓼科山をやろうと、他の2人は話していましたが、オレはしばらく八ヶ岳は遠慮しようと思いました。
38キロ、累積標高3,800m、16時間40分。天候にも恵まれいい山行でした。
(羽田隼人)

2022年09月12日

春日山 山梨百名山登頂達成記念登山

実施日:2022年9月11日
山 域:御坂山系 春日山
参加者:勝俣和子、羽田政人、羽田早衣子、内山章、内山道子、中安正議、榑林秀倫、中澤弘雄、鈴木文代、石川敬子、平井芽久美、渡辺徹臣、金丸祐司

本当はこっそり登ろうと思っていたが、中安会長の御厚意により記念登山として企画していただいた。
お月見山行宿泊組は、中安シェフの特製ホワイトソースパスタを堪能した後、大石公園へ向かい、当日参加組と合流。雨予報であったが快晴となり、富士山がきれいに見えた。
車を乗合せ黒坂峠へ向かっていると、あきる野市から来る内山さんから事故渋滞で遅くなるとの連絡があり、時間が読めないので到着を待たずに登ることとする。黒坂峠からはわずか10分、10時20分に春日山山頂へ到着。
山頂では、早衣子さんのオカリナ演奏、御坂エコーズの合唱、記念のケーキやブドウなどの御馳走、石川さんが作った横断幕で記念撮影などの後、黒坂峠に下山した。
峠で話をしていると、内山夫妻が遅れて到着。再度記念登山に向かい12時過ぎに山頂へ到着。改めて記念撮影を行った。皆さんの心遣いに感謝。忘れられない記念登山となった。
山梨百名山登頂達成は、15歳、高校1年生の時に甲府南高校山岳部新歓ハイクで登った乾徳山を皮切りに、41年かかったことになる。若い時は沢登りやアイスクライミング、海外登山などを優先し、山梨百名山は後回しにしていたが、48歳の時に左足首を骨折し、早くしないと中安さんのように太って登れなくなるかもしれないと思い、ここ数年集中して登ってきた。
思い出に残る山は、昭和62年に3度目の岩登りで行った北岳バットレス Dガリー奥壁~中央稜~北岳、平成4年に暴風の中テントで泊まった冬の富士山、平成6年に雪崩でテントを飛ばされた黒戸尾根~黄蓮谷右俣~甲斐駒ヶ岳、平成8年に3つの沢をつないで登った丹波川本流~一ノ瀬川~大常木谷~飛竜山、平成13年に沢登りで行った中ノ川(七ツ釜)~鋸岳、平成17年にファミリー沢登りで行ったナメラ沢~破風山、平成21年に母の山梨百名山登頂達成登山で登った鋸岳、平成27年にイグルー泊するために息子たちと登った金峰山、、令和2年に長男と登った笊ヶ岳~笹山~広河内岳、令和3年に通行止めの林道先にある山を繋いだ雨畑~山伏~八紘嶺~七面山~雨畑などである。
今後は、日本百名山や冬期3,000メートル全山登頂などを目指したい。
(金丸祐司)

2022年09月11日

せっかくなので大菩薩嶺へ

実施日:2022 年 9 月 11~12 日
山 域:大菩薩嶺
参加者:石川敬子
 9月11日、金丸さんの春日山百名山登山の後、せっ かく出てきたのだし天気も良さそうなので、近場で、しかも日帰りで行けそうな山を探し、暫く行ってない大菩薩に決めた。最後に行ったのはいつだったか思い出せないく らい昔だ。 皆と分かれて北上、とりあえず温泉探し、昔は裂石温 泉と言っていたが、最近は大菩薩の湯と言う温泉に行く。 入浴後、駐車場でゆっくり時間を過ごし、上日川峠までく ねくね道を上がって行く。第一駐車場にて周りを偵察し た後、お月見残りの中安シェフ特製スープとパンで夕食。 車中泊。

 9月12日、暖かい爽やかな朝だ。結構早くから歩いて いる人がいる。私は明るくなって7時頃出発。丸川峠経由は時間が掛かりそうなので。唐松尾根を 上がって大菩薩嶺を往復し、大菩薩峠から下ることにする。分岐の福ちゃん荘まではゆるゆると樹林の間を上が る。分岐からは傾斜が増しゴロゴロ石が出てくる。日差しが強く夏のようだ。やがて急登になり岩が出てくるように なって稜線へ。右に雷岩のごつごつした岩肌が見えるいったん頂上へ、富士山が目の前に大きく、眼下には大 菩薩湖が青い。岩から降りて北へ樹林の中を進むと間もなくで大菩薩嶺頂上。平日のせいか登山者が一人いるのみ。展望も 無いので写真を撮って雷岩まで引き返す。やがて前後して数人の登山者とすれ違うようになるが若者が多い。 暑いくらいの天気で半ズボンになる、涼しくて気持ち良 い。しばらく休憩し、展望を楽しんだ後峠へ下る。峠までの間にも岩場が点々とあり、その度に上がってはしばし展峠でゆっくり休憩。

 ここから下山予定だったが、時間も早いし天気も良いので石丸峠まで行くことにする。今までとは一転、倒木も多く荒れている感じは否めないが、あまり人の手が入ってない分、原始の趣を残す樹林の中は苔が綺麗だ。熊沢山を過ぎると明るく開けた笹原に 出て下りきったところが石丸峠だ。ポツンと指導標があ るのみ。昼寝でもしたい気分だが、今日の日差しは暑す ぎる。緩やかな灌木帯から唐松林になり傾斜も増して転ばないよう気を遣う。やがて傾斜も緩やかになり飽きてきたころようやく駐車場脇へ出た。石丸峠から長かった。天気の悪い日が続いて山歩きが出来ない日が多かったので、この数日の晴れの天気は嬉しい。良い山歩きが出来た。
(石川敬子)望を楽しむ。賽の河原、避難小屋、峠まで見渡せ、サ サの中の登山道も一つの箱庭のように見える。

2022年09月11日

お月見山行、十二ヶ岳~西湖湖畔キャンプ場

【ハイキングの部】
実施日:2022 年 9 月 10 日
山 域:御坂山系 十二ケ岳
参加者:勝俣和子、中澤弘雄
行 程:文化洞トンネル登山口7:40→9:20 毛無山 →11:15十二ヶ岳→13:20 桑留尾登山口

お月見山行と金丸氏記念登山の山行計画で十二ケ岳へハイキングを担当した。が参加者は2名であった。
和子さんと合同庁舎で待ち合わせして、車2台で出発。和子さんの車を桑留尾登山口へ、私の車を文化洞登山口の駐車場へ。曇り空の中、樹林帯を歩く木々の葉に雨が打ちつける音が聞こえるが、お陰様で雨具着ることもなく、毛無山へ。生憎、富士山は見えず。
しばらく休み十二ヶ岳へ向かう、今日は登山者に会うことのない静かな登山道だ。岩場のアップダウンを繰り返し、梯子を渡り最後の岩場を登り切れば山頂だ。山頂はだいぶ草木が茂り富士山方向も景色が以前と比べてさえぎられたように思う。私自身も登山そのものが十ヶ月ぶりであった。当分の間は低山ハイキングで足腰を慣らして、来年は高い山へ行きたいものだ。
お昼ご飯を食べて桑留尾登山口へ下山する。途中で岩場が見えたので、お月見山行クライミングのグループに聞こえるように、大きな声で叫んでみた。
無事下山しいずみの湯で汗を流し、その後はバーベキューへと長い一日は続く。
(中澤弘雄)
【クライミングの部】
実施日:2022年9月10日
山 域:御坂山系 十二ヶ岳の岩場
参加者:中安正議、川村高敏、榑林秀倫、渡辺徹臣
行 程:9:15〜ショートコース・13:00〜マルチピッチ14:45〜草むしり

クライミングを始めて3年が経つ。以前は、三ッ峠の岩場の脇を通る時、
「この人たちは此処だけで満足できるのかな? よく飽きないな」
と思いながら歩いていた。
クライミングを始めたのは、榑林さんに前穂高岳北尾根に誘われたのがきっかけだった。ハーネスと靴を購入し、初めて雨の太刀岡山に行ったが、離陸すらできず悔しい思いをした。
その後の練習で、この十二ヶ岳の岩場では何とか終了点まで辿り着け、クライミングの楽しさを教えてもらった、私にとって重要な場所である。
待ち合せの駐車場としていた空き地は、管理地として縄張りがしてあるが、なんとか車4台を止めゲレンデに向かう。
岩場に着くと、一番簡単な所にスズメバチの巣があり、蜂が我々の周りを飛んで来る。中安さんの蜂の集団攻撃の話が怖さを煽り、やむを得ずスズメバチの巣のあるルートを諦め、難しい所から登りはじめる。
今までよく墜落し、まだ苦戦をして時間が掛かるが何とか上まで行けるようになって来た。
中安さんに、
「よくあんなに長い時間、岩に貼り付いていられるなぁ」
と言われたが、ただ疲れて休んでいるだけだった。
昼食後、中安さんはお月見山行の支度のため下山、私たちはマルチピッチの場所へ向かう。
川村さん、榑林さんの順にリードをしてもらい登っていくが、脆い岩場のため石を堕とさない事だけ考えて登った。
終了点からは富士山も見え陽が出て涼風が吹く。登るのが簡単でないため余計に気持ちいい。ビレイの時に携帯電話に出てしまう基本的なミスをしてしまう。登山中でも注意が散漫になり事故を引き起こすので行動中は飛行機モードを心掛ける。
マルチピッチ終了後は榑林さんが愛用のノコギリを取出し造園作業、腕のいい庭師だ。
さあ、下山後はお月見山行の本番、バーベキュー大会。みんなの武勇伝を楽しみに十二ヶ岳を後にした。
(渡辺徹臣)

【バーベキューの部】
実施日:2022年9月10~11日
場 所:西湖湖畔キャンプ場 バンガロー
参加者:中安正議、羽田政人、勝俣和子、榑林秀倫、金丸裕司、中澤弘雄、石川敬子、平井芽久美、渡辺徹臣、羽田隼人

最近よく利用する西湖湖畔キャンプ場にて恒例のお月見バーベキューが17時より開催。日中の山行は十二ヶ岳クライミング班、ハイキング班に分かれて実施。
バーベキュー担当は中安会長だ。準備のため15時頃キャンプ場にチェックインと言っていたが、一人では大変だろうな、と思い、自分も15時過ぎに湖畔キャンプ場へ行く。会長は車から荷物おろし準備中だった。
山行に出ていた皆も17時前には集合。テーブルセッテイング、野菜カット、など皆で手分けして準備を手伝う。中安シェフの拘りの食材が並んで「早く食べたい!」
上質な肉など食材購入に3日ほどかかったそうだ! ビール、ワイン、手作りおつまみなどの差し入れも並んで17時過ぎにお月見宴会開始。
会長自ら肉焼き当番、皆は飲んで食べておしゃべり(笑)!
遅れて参加の方々も加わって賑やかになった。中秋の綺麗なまん丸お月様が雲の間から覗いていた。
外でお開きの後はコテージ内へ移動。各自シュラフでおやすみなさい。 
翌朝は清々しい空気の中で、これまたシェフ拘りのホワイトスープスパゲティの朝食。キャンプ場で本格手作り料理を味わえるとは! 美味しかったです!!
良い天気で、楽しい、美味しい、お月見でした。
(石川敬子)

2022年09月10日

天狗岳と本沢温泉

実施日:2022年8月20~21日
山 域:八ヶ岳
参加者:勝俣和子、渡辺徹臣、榑林秀倫
行 程: [8/20]稲子湯8:21→ 9:53ミドリ池→11:26中山峠→12:36東天狗岳→13:55本沢温泉 [8/20]本沢温泉7:42 → 8:43ミドリ池→ 10:32稲子湯

今回、八ヶ岳・天狗岳へと向かうのだが、それはあくまでも世を忍ぶ仮の目的地であり、本当の目的地は本沢温泉の露天風呂なのである。
出発地は有名な稲子湯だが、実際の登山口は徒歩10分くらいの林道わきに車が置けて、そこが出発点になる。
ミドリ池までの道は半ば古い林道であり、たいして苦もなく歩いていくと、しらびそ小屋が現れる。ミドリ池は、その小屋の奥に佇んでいる。その水面には曇り空にもかかわらず天狗岳がくっきりと写り込んでいた。奇跡といってもいい美しさであった。
計画通り、中山峠、天狗岳を経て本沢温泉に向かうコースを採る。中山峠直下の登りは傾斜としては非常に急なのであるが、難なく登り終えることができた。稜線は風が強く、さらに天狗岳への登りで雨が降り出し、雨具を装着する。
頂上付近で一層風が強くなったが、雨具のズボンを履くタイミングを失った。稜線から離れれば風が弱まり、雨の降りも大したことはない。が、服がずぶずぶ。
今日の目的地である本沢温泉は山小屋から3分ほど下ったところにテント場があり、露天風呂は小屋から夏沢峠方面に5分ほど登ったところにある。
テントを張り終えて露天風呂に行こうとすると、徹臣さんが缶ビールを買って風呂で飲もうと提案してきた。悪いことを考える人だ。小屋の人の了解も得られ、私も悪事に手を貸すことにした。
想像よりも歩かされた後、野趣溢れる湯船に浸かる。うっうー、かっ、快ッカーン。
さほど広くはない湯舟に常に4〜5人の男が立ち替わり入っていたが、我らは皆、秘密の快楽の共有者なのである。
夜は雨が相当な降りだった。古いテントならば隅に水溜りができただろう。長い夜だった。
朝、雨は止み、和子さんは1人、露天風呂に入ってきた。これでみな平等。
2日目は、稲子湯にゆっくりと戻るだけ。
八ヶ岳にも、まだ行ったことがない面白い場所がありそうだ。
(榑林秀倫)

2022年08月20日

桂川・道志山系 菜畑山~今倉山

実施日:2022年8月16日
山 域:桂川・道志山系
参加者:金丸祐司

朝7時前に、自転車を積んで菜畑山~今倉山へ向かう。下山予定の道坂トンネルに車をデポし、自転車に乗り換え道志村へ。ずっと下りなので快適だ。
菜畑林道起点付近に自転車を置き、9時過ぎに登山開始。1時間ほど林道を歩き、10時半には菜畑山山頂。富士山には雲がかかり残念。薄曇りの稜線を歩き、12時に今倉山山頂。下山後は自転車を回収し、ペイペイキャンペーン中の大月市でガソリンを入れ、自宅へと戻る。
今回で山梨百名山は99座となった。100座目となる春日山は9月11日(日)登山予定である。
(金丸祐司)

2022年08月16日

風雨の御嶽山

実施日:2022年8月16~17日
山 域:御嶽山
参加者:石川敬子

噴火後の復興も進み、時期によっては剣ヶ峰まで登頂可能と聞いてから、山頂付近はどうなっているのか気になり、行きたいと思っていたが、天気予報は雨ばっかり……。天気予報とずーっとニラメッコしていて唯一8月16日が雨マーク無し、前後はまた雨マークが続く。
「よし、16日に行こう。幸い予定は無い、多少の雨は良し、として」
往復日帰りも良いけど、朝早く出て、夜遅く帰宅もカッタルイな、と思い一泊とし、五ノ池小屋を予約。登山口はたくさんあるが、会で行った「鹿ノ瀬」からが一周するには便利かな?と。
予定コース=ロープウエイ飯森高原駅~八合目女人堂~覚明堂~剣ヶ峰~二ノ池~五ノ池(泊)~三ノ池道~八合目女人堂~高原駅。
16日朝4時半、家を出る。ナビに従い長野道塩尻から国道19号に入り、南下。 鹿ノ瀬駐車場9時着。駐車しているのは10台くらい。なんか、閑散としてる感じ。天気悪いから? 平日だから? だろうか。
乗り場前のお花畑から見える御嶽山はガスに覆われている。飯森高原駅9時半、登山道入口9時50分。木片チップの道が気持ち良い。膝に負担がかからないよう、ゆっくり上がって行く。
時々薄日も差し、今日一日天気が持ってくれると良いな、と願う。が、しかし、八合目手前から雨が降り出す。女人堂までは傘で対応。実が赤くなり始めたゴゼンタチバナが、秋への誘い。
女人堂11時、ここから上は木々が無くなるので合羽上下を着る。そばにいた登山者と「今日だけは雨マークが無かったんだけど、やっぱり駄目だね~」と話をする。 少し上で軽く食事をしていると、前後して登山者が登ってきた。上がるに従い風が強くなり、雨も本降りに近くなってきた。
途中で会ったご夫婦は、これじゃ展望も無いし引き返す、と言っていた。私もちょっと、どうしようか? と迷ったが、とにかく剣ヶ峰まで行って、それから考えようと決める。しかし、次第に雨風共にかなり強くなってきた。
石室山荘の建物が上に見えたので、多分閉まっていると思ったが、小屋陰でちょっと休もう、と上がって行く。途中にはまだ黒焦げの木が、噴火を思い出させるように残っていた。
山荘の入口の札を見ると、中を通り抜けて登山道へ行ける、と書いてある。扉を開けると小屋の人が出てきたので少し話をする。休みたかったが、休んでしまうと外へ出る気が無くなってしまう、と思い「申し訳ありません、休みたいんですけど、この天気で早く先に行きたいので、通り抜けさせてください。」と断って外へ。小屋の方は、気持ち良く「どうぞ」と言ってくれた。次に来た時は中で休んで行こう、と思った。
外に出ると相変わらずだが、すぐ先に九合目の文字が目に入る。12時46分、お、もう少しだ! 覚明堂までは岩陰になっているので、いくらか風が弱い。だが、ここを抜けると、まともに風雨にさらされる。周囲はガスで覆われ展望も無い。とにかく剣ヶ峰まで行こう。
黒沢十字路で剣ヶ峰までの方向指導標と地図をにらみ、道を確認しながら風に逆らって上がって行く。顔を上げると雨粒が顔に当たり、まともに上げられない。上から一人降りてきたのでルートを確信する。二ノ池との分岐13時、ここから先は、足元のごろ石に膝を捻ったりしないよう慎重に進む。奥社への階段手前にはシェルターが3棟設置されて、慰霊碑が設けられている。
銘文を読みながら、(楽しく登山し、昼食など取って寛いでいたところに、突然の災害、どんなに怖かったろう。熱かったろう)と、その惨事を想像し、自分だったら、と思うと涙が溢れた。思わず周りを見、耳を澄まし、足元の地面の変化を暫く観察することだった。
剣ヶ峰・奥社に13時半。目の前の建物もたくさんの立像も、ガスの中に溶け込みそう、勿論周囲も真っ白!  この剣ヶ峰は噴火口から500メートルしか離れていない。たとえこの瞬間噴煙が上がったとしても分からないだろうな、と思うと怖くなった。下りはこのまま下るか、五ノ池まで行くか、思案しながら途中の分岐まで降りる。登山道の所々で白くなっているのは火山灰の残りか? 少し風も弱まり、二ノ池方面に足跡を見たので、やっぱり五ノ池まで行くことにする。地図上では約1時間半の行程だし、ほとんど下りだし、と。早ければ15時半、遅くても16時には着けるかな~。
ところが、この後吹きさらしの稜線は下りだがまともに正面からの風雨を受けるようになり、おまけに突風に体を持って行かれそうになり思わずしゃがみ込む。その後はストック頼りに前かがみ状態でまともに顔も上げられず、時々立ち止まってルートを確認する。サイノ河原辺りは道が分散されていて分かりにくく、少しうろうろ。
避難小屋で少し休むが、出るのを躊躇するような外の天気に「やれやれ、とんだ天気。こんなはずじゃなかったのに……」でも、ここまで来ればもう行くしかないな~
三ノ池経由で行くつもりだったが、分岐には「雨天時は落石等の危険があるので注意!」の看板あり。「あちゃー、どうしよう……? 一人だから、もし何かあったら」と思い乗越経由にする。摩利支天乗越まで登り、あとは下るだけだと思ったが、この稜線もまたとてつもなく風雨まともに受ける。下から吹き上げる風雨にいい加減嫌になり、一瞬弱気になった。
「低体温症により死亡」なんて言葉が一瞬頭をよぎり、ここで死ぬわけには行かないもんね、と。幸い合羽も靴もまだ新しく、衣類も足も全然濡れてないので心配は無かったが、もし全身ずぶぬれ状態だったら、なりかねないな……? と思った。
昔、白馬の稜線で同じような状況だったことを思いだす、あの時は8人だったが、全員風雨の中で低体温症寸前になり、後10分遅かったら危なかった。皆頑張ったな~! なーんてことを思いながら。
そろそろ小屋が見えても良いんだけど・・・・・・。
15時43分、石に書かれた五ノ池小屋の文字がおぼろげに見えて、やっと着いた~! と、一瞬ガスが切れて目の前に小屋が見え安堵した。小屋はリニューアルしてまだ新しく、先着2名の男性がいた。彼等は中の湯から上がってきたとのこと、途中からほとんど同じルートだ。今日の宿泊は私とこの2名のみ。まーこの天気ではね~。
荷物を整理して落ち着いたら、やっぱり「生ビール!」喉が渇いたよ。夕飯時にグラス赤ワインを一杯。屋根や建物に当たる強い雨音にうんざりしながら外を眺める、明日は雨予報なので雨に降られるのは覚悟しているが、風は弱まって欲しいと願いながら眠りについた。
17日、外は一面ガスに覆われ、真っ白、展望無し。風は気持ち、弱まった感じがするけど。
今日は三ノ池道経由で直接女人堂に戻る予定だったが、この道はほとんど谷間を通るし、途中沢を横切らねばならない。会のフミヨさんの百名山達成記念登山で通ったルートだ。小屋の人も一人ではちょっと危ないかも? と言うし、自分も渡渉やがけ崩れなどの心配があったので、このルートは中止にしておとなしく来た道を戻ることにした。男性二人組も往路を戻ると言う。
昨日見送った乗越手前の分岐からのルートを聞いたら、そんなに危険な所は無かった、と言うので、今日は三ノ池をぐるりと回って二ノ池に向かうことにする。
6時55分、相変わらず真っ白なガスの中、ルートを確かめて三ノ池へ。風下になっているので思ったより風の影響は受けず、雨は降り続いているが少し展望も効いて、気持ち良く歩けた。昨日の分岐に出ると、やはり風が強いが、昨日ほどでは無いように思えた。
二ノ池ヒュッテと本館辺りで、「なんだか昨日通った道をなぞってる?」そのうち指導標に「濁河」の文字が、え~? ここでこの文字が出るはず無いよ? とにかくわかる地点まで行って見よう。すると三ノ池への文字!
「え? どこで間違えたかな~」戻ってるよ? やっぱり昨日通った道だと思ったんだよね~。サイノ河原には綿毛のチングルマが雨に濡れながら風に揺れていた。昨日は気に留める余裕も無かったけど。改めて二ノ池方向へ、するとすぐに二ノ池本館が見えた。「やれやれ」
本館の脇を通り、まだ火山灰で覆われて濁っている二ノ池を見ながら進む。覚明堂の岩陰に入ると風も弱まり、谷を埋める雲海が綺麗だ。ガスも少しづつ切れて眼下の展望が利くようになり、緑の山襞の向こうに王滝登山口らしい建物が見えた。一番被害の大きかったルートだ。緑の森を見下ろしながら順調に下る。女人堂10時半。やっとここまで来ました、あとは樹林の中を下るだけ。
この天気、登ってくる人もいないだろうな、と思ったが結構登ってくる人達とすれ違う。
時々薄日も差すようになるが、振り返ると山はまだガスの中だ。5、6人の登山者の中に86歳だと言うおばあちゃんがいて、仲間のサポート受けながら登っているとのこと。とても元気で「私も頑張りますね!」とエールを送る。
飯森駅までの間は雨も降ったり止んだりで、合羽を着たままでロープウエイに乗り込む。車に戻り着替えをして、お風呂を探すも、帰りの高速など帰路も時間かかるので、そのまま帰宅。家でゆっくりお風呂に入り、風呂上りビールで「おつかれさん!!」
天気悪かったが剣ヶ峰まで行けて満足。天気の良い時に再訪したいと思う。
後で分かったが、この鹿ノ瀬からの御嶽ロープウエイは、今年11月で営業終了とのこと。コロナで客足が遠のいたことに加え、施設の老朽化もあり、資金不足に陥って運営が難しくなったらしい。 
(石川敬子)

2022年08月16日

奥秩父 一ノ瀬川支流 水干沢~笠取山

実施日:2022年8月15日
山 域:奥秩父山系
参加者:金丸祐司
まだ登ったことのない笠取山をどう登ろうかとネットを見ていたら、南面に簡単な沢を見つけた。
朝6時前に自宅を出発し一ノ瀬高橋を目指す。登山口となる作業平駐車場は工事中で、臨時駐車場が3ヶ所用意されていた。
7時20分登山開始。登山道をしばらく歩き、水干沢へ入渓する。この沢は歩きやすく、ナメもちらほらあり、滝(2mが3つと6m)は直登も巻くことも可能でロープは不要といたれりつくせり。2時間ほどで笠取山山頂へ着いた。
下山も順調で11時には駐車場へ戻った。今回で山梨百名山は97座となった。
(金丸祐司)

2022年08月15日

会津磐梯山~翁島登山口から~

実施日:2022年7月30日

山 域:東北の山
参加者:内山章、内山道子

会津に旅行の用事があったので、ついでに磐梯山に行ってきました。
磐梯山に登るルートは数多くあるようですが、一般ルートでも比較的アルペン的だという翁島登山口からのルートを選びました。前泊した会津若松から磐越西線で猪苗代駅へ行き、硫黄採掘の軽便鉄道や昭和天皇お手植えの松などお話を聞きながらタクシーで登山口に向かいました。
ここからスキー場の脇を出たり入ったりしながら登っていきます。トチノキのように大きな葉っぱのコシアブラ、クロモジも、葉が大きくオオバクロモジかと、福島県だけど日本海側チックな植生。少しの鎖場もあるけど怖くはない。
やがて植物の背丈も低くなり露岩の登りとなる。でも平衡斜面なのでやはり恐怖感はない。この間、ギボシやセリ科SP、シャジン系、イブキジャコウソウ、コケモモなどなど、見ていて飽きません。そういえば亜高山帯が欠如していて日本海側っぽい。
頂上直下に「岡部小屋」、エアリアマップと位置が違うみたい。頂上は登山者の嵐、100人くらいは居たでしょうか。裏磐梯方面に下ると弘法清水小屋、ここも多くの登山者で賑わっています。ここから先はぐっと人が減りました。どうやらメジャールートではリフトが運行していたようです。
銅沼(あかぬま)から見る「いわゆる裏磐梯」は荒々しく見事でした。裏磐梯高原バス停で一時間半、程よい待ち時間、檜原湖の湖畔で生ビールとラーメン。再び会津若松に戻り別便で来た息子の拡杜と合流してもう一泊。
翌早朝、貸自転車で「鶴ヶ城」を見学して、所期の目的の用事を済ませて帰りました。時間切れで中安会長から勧められた野口英世記念館に行けなかったことは残念ですが、楽しい山旅となりました。「ならぬものはならぬものです(会津藩 什の掟より)」
(内山章)

2022年07月30日

3年ぶり開催、第75回富士登山競走~羽田隼人選手、見事完走!~

実施日:2022年7月29日(金)
山 域:富士山
目 的:登山競走
大会参加選手:羽田隼人
支援スタッフ:中安正議、小林善孝、安藤良宏、渡辺直樹
行 程:6:50五合目駐車場→7:30富士山安全指導センター→8:20七合目トモエ館→9:12東洋館→9:50太子館→10:20白雲荘→11:12本八合目富士山ホテル→11:25下江戸屋→11:26吉田口須走口分岐12:50→13:25七合目トイレ→14:32五合目駐車場

コロナ禍のため2020年と2021年は中止となっていた富士登山競走が、3年ぶりに開催された。御坂山岳会会員の羽田隼人が選手として山頂コースに参加し、また、大会実行委員会の協力要請により、当会からは4名の会員がサポートスタッフとして参加した。スタッフの業務は、八合目の吉田口須走口分岐点での選手の誘導と登下山道のパトロールだ。
中安が運転する軽貨物車に4人が同乗し、五合目を目指してスバルラインを登る。快晴で気温が高い。今日はあまり良いタイムは出ないと思った。大会記録が狙えるのはスタート地点の市役所から曇っている時だ。直射日光は体力を消耗する。
五合目で検温を受けるが、4人とも異常なしだ。検温済みと書かれたストラップをザックに付ける。今年から選手にヘルメットの着用を義務付けているので、我々もヘルメットを装着する。創立72周年記念誌を安藤と渡辺が各人2冊、小林と中安が各人1冊ザックにしまって登る。それぞれ安全指導センター、七合目トモエ館、東洋館、太子館、白雲荘、富士山ホテルに謹呈した。
鳥居荘でトップの選手に追い抜かれる。気が付くとガスに巻かれて視界は効かなくなっていた。次々と霧の中から選手が現れて、そして我々を追い越していく。「選手が来まーす!」と一般登山者に協力を呼び掛けて、選手の走路を確保する。
本八合目富士山ホテルに着くと、関門閉鎖に引っかかった選手でごった返していた。そこから下山道へトラバースして、吉田口須走口分岐点の配置に着く。体力を使い果たし意識朦朧とした選手が時々間違えて須走口へ下りてしまうことがあるので、そうならないように選手を誘導するのが我々の任務だ。やはり数人、そういう選手がいた。
雨が降って来たので雨具を着ける。すると上から我々を見て満面の笑みを浮かべた選手が駆け下りて来るではないか。我が会のホープ、羽田隼人選手だ。制限タイムギリギリの4時間26分32秒で見事完走したという。今回の完走率は44.9パーセント、素晴らしい。その神業的関門通過には恐れ入った。登山道のどこで彼に抜かれたのか気が付かなかった。
彼を見送って暫くし、下って来る選手の姿が見えなくなった頃、山頂に配備していた市役所の職員も下りて来たので、下山を開始する。さて、生理現象には為す術もなく、七合目公衆トイレまで駆け下る。
五合目に下りて来て、小林さんのおごりで食べたメロンパンとアイスコーヒーがとても旨かった。気が付くと、積乱雲を舐めるように夏の日差しが滝のように降り注いでいた。そうだ、富士登山競走が終わらなければ、私の夏は始まらないのだ。
(中安正議)

2022年07月29日

北アルプス裏銀座縦走~仲間と天候に恵まれて~

実施日:2022年7月24~27日
山 域:北アルプス
目 的:縦走
参加者:勝俣和子、(別動隊)内山章、内山道子
行 程:[7月24日]8:45七倉山荘―(タクシー)→9;00高瀬ダム登山口→ブナ立尾根→14:00烏帽子小屋→15:00烏帽子岳→16:00烏帽子小屋(テント泊)[7月25日]4:30烏帽子小屋→三ツ岳→7:30野口五郎岳小屋→8:00野口五郎岳→真砂岳→10:00竹村新道分岐→11:00水晶小屋→ワリモ岳→13:30鷲羽岳→15:30三俣山荘(泊)※(別動隊)竹村新道→湯俣→高瀬ダム→七倉山荘[7月26日]6:00三俣山荘→6:30三俣蓮華岳→双六岳→9:30双六小屋→弓折岳→13:40鏡平山荘(泊)[7月27日]6:00鏡平山荘→小池新道→わさび平小屋→10:00新穂高温泉

朝4時50分、内山さん夫婦があきる野市から富士吉田市の我が家まで迎えに来てくれて出発。七倉山荘に着き、そこからタクシーで高瀬ダム登山口に9時に着く。いよいよ日本三大急登の一つであるブナ立尾根の5時間半の登りが始まる。
登山口から烏帽子小屋までは1から12までの番号が表示されていて、その番号が減ることと、可憐な花と時々吹く涼風に励まされ、14時に烏帽子小屋に着く。小屋の前には一面のイワギキョウとコマクサのお花畑が広がっていて、ここまでの疲れを癒してくれた。そして視線を遠方に向けると赤牛岳とその後方に薬師岳が勇姿を見せる。
小屋でテント泊の受け付けを済ませ、テント場まで5分程下る。テント設営後、荷物を軽くして烏帽子岳へ向かう。烏帽子岳往復の1時間半が思った以上にきつかった。山頂はまさに烏帽子の名のとおり鋭い岩の三角錐で、2~3人がやっと立てる狭さだ。
写真を撮り、クサリ場を慎重に下り、平らな所まで来て一休みして小屋に向かう。小屋に着き、小屋の前のベンチで景色とお花畑を眺めながら、今日一日の健闘を祝い、3人はピールで乾杯した後、17時30分にテント場へ下る。
翌朝3時半に起床。テント撤収後、4時30分に三ツ岳に向けて出発。今日は私も別動隊もロングコースになるため、朝食は歩きながらの行動食とする。前方には、三ツ岳に向かう登山者のヘッドランプの明かりの列が、蛍のように光って見える。
1ピッチで三ツ岳に着き、10分ほど休んで、軽く行動食を摂る。稜線はガスっていて風もある。時々ガスが切れると、眼下にエメラルドグリーンの高瀬ダムの湖面が美しい。この辺りから野口五郎岳までの稜線歩きが素晴らしい。コマクサとイワギキョウが満開だ。コマクサは稜線一面がピンクに染まるほどで、燕岳の比ではなかった。先を急がなければならないと思いつつも、つい足が止まって見惚れてしまう。
出発して3時間で野口五郎小屋に着く。風が強く寒いため小屋の軒下で小休止して、野口五郎岳山頂に向かう。
山頂に着くが相変わらずガスでなかなか山が姿を見せてくれない。写真だけ撮り、真砂岳、竹村新道分岐へ向かう。10時に分岐に到着し、別動隊の内山さん夫婦とはお別れだ。内山さん夫婦は竹村新道を下り湯俣を過ぎ高瀬ダムまでの林道を歩き、ここからさらに8時間近い下山となる。
ここから私は三日間の一人旅となる。三俣山荘まであと5時間の行程だ。水晶小屋への最後のきつい登りを終え、11時に水晶小屋に着き休憩する。ガスがなければここからの眺望は素晴らしいのにな~。でも、時たま、ガスが晴れてこれから歩く稜線やここまで歩いて来た稜線や槍・穂高の稜線も顔を出してくれた。
30分ほど休憩を取り、ワリモ岳分岐を経て鷲羽岳に13時30分に到着する。今日の宿泊予定の三俣山荘は携帯の電波が通じないとのことで、唯一電波が通じる鷲羽岳山頂で、内山さんや自宅に無事到着の連絡を入れる。山頂からは遥か下の緑の中に三俣山荘の赤い屋根がポツンと見える。小屋まで1時間の急な下りである。小屋が見える安心感から、山頂で40分ほどのんびり休む。そして急な砂礫の道を下り、15時30分、三俣山荘に着く。朝4時30分発の11時間の長い一日が終わる。
三俣山荘は快適な山小屋だった。3人は入れるスペースに私一人だけ。ゆっくりくつろぐことができた。夕食後、喫茶室で槍ヶ岳を見ながら飲むサイフォンで淹れたコーヒーは格別の美味しさだった。
3日目は行程も短いし、天気も言うことなしの晴天。ゆっくり小屋を6時に出発。青空と緑の這松と雪渓の白さとお花畑と……、その中を三俣蓮華岳へ向かう。贅沢な時間。振り向けば、昨日歩いて来た鷲羽岳が大きく聳える。三俣蓮華岳山頂からは360度、山、山、山が青空に映える。
三俣蓮華岳を後にして双六岳へ向かう。双六岳に向かう稜線がまた、お花畑の宝庫である。広い双六岳の山頂を過ぎて双六小屋へ下る。9時30分に双六小屋に着く。時間はまだ早いし、このまま稜線からの景色と別れるのも寂しい気がして、1時間ほど小屋前のテラスでのんびりとした時を過ごす。そして10時30分、鏡平山荘に向けて下山する。
13時40分、鏡平山荘に着く。今日は青空のうえ、お花畑に囲まれながらのアルプスの夏山の醍醐味を充分に味わえた一日だった。
4日目、夜半から雨となり、朝起きても雨だった。でも、今日は新穂高まで下るだけだったのであまり気にはならなかった。
6時、鏡平山荘を出発。1時間歩いたら雨が上がったので雨具を脱ぐ。ワサビ平小屋手前でまた雨が降り出し、また雨具を着ける。そんなことをしながら10時に新穂高温泉に到着する。ここで、無事下山の報告を入れ、中崎山荘の温泉で汗を流した後、松本行きのバスに乗る。松本インター前のバス停に主人が迎えに来てくれて、帰路に着いた。16時30分、帰宅。
今秋の山行は途中まで内山さん夫妻が同行してくれたのと、天候にも恵まれたのとで、思い出深い楽しい山行となった。内山章さん、道子さん、ありがとうございました。
(勝俣和子)

2022年07月24日

山岳レインジャー(甲武信ヶ岳~雁坂嶺)

実施日:2022 年 7 月 23~24 日
目的:山岳レインジャー 奥秩父・探索
山 域:奥秩父山系
参加者:榑林秀倫、渡辺直樹
行 程:[7/23]西沢渓谷駐車場7:50→8:36 1300m 地点 → 9:29 1619 地点→10:31 1970 地点→11:23 2240 地点→ 12:10 稜線→12:17 木賊山→12:46 甲武信ヶ岳→13:16 甲 武信小屋[7/24]甲武信小屋 5:25→6:13 破風山避難小屋 →7:05 破風山 7:14→ 8:28 雁坂嶺→9:05 雁坂峠→11:10 林道終点付近→12:07 道の駅
またレインジャーかぁ。今年はレインジャーの戦力が足りず、異例の 3 回目の出動である。 2日間あるので、甲武信ヶ岳から笠取山を繋げたコー スを考えた。途中の雁坂峠までなら日帰りの経験もある。 ただしかし、地形図でコースをたどると相当な距離だ。 1日目、猛暑の夏。甲武信ヶ岳・戸渡尾根の登りは厳し
かった。甲武信ヶ岳の頂上で計画縮小を決意した。予約 していないがテントが張れるか、甲武信小屋で問い合わせたところ設営の許可が得られた。テントの設営場所は 指定されるが、その方がむしろ面倒がない。この日は快 適に眠れた。むしろ寝すぎ。 今日のレインジャーとしての成果は、戸渡尾根上部に ハコネコメツツジ数株。甲武信ヶ岳山頂直下に大群落。おおむね花は満開だった。 翌 24 日、曇り、縦走コースに入る。避難小屋のある木 賊山と破風山との鞍部までどんどん下る。昨日気づいた のだが、甲武信小屋の所在地は埼玉県だった。雁坂小 屋も埼玉県だし、破風山避難小屋も埼玉県管理だ。この辺りの稜線の看板を見ると、埼玉が山梨を圧倒している が、それは必然かもしれない。 破風山への登りでハコネコメツツジ多数発見。それっ ぽい植物があることは知っていたが、今日は花がつい ているので間違いない。 成果にほくほくしながら雁坂峠に到着。この地にはこれまでに数回来たが、いつも天国的な癒されるものを感
じる。笹の斜面、点在するカラマツ、風景になじむように配置されたベンチ。残りの人生のなかで、ここでのんび りする一日があってもいいかもしれない。 笠取山まで縦走するのはとても無理で、峠から緩くジ
グザグをきる道を下る。峠沢の道は一部わかりにくい部 分があるので、慎重に。道を見失うと滝場に入ってしまう ので危険だ。 下るにつれて、酷暑が戻ってきた。道の駅まで降りき ったとき、思わず、ソフトクリームを注文してしまった。(榑林秀倫)

2022年07月23日

奥多摩湖~三頭山~和田峠

実施日:2022年7月18日
山 域:奥秩父山系
参加者:金丸祐司、金丸大祐

今回は長男と、車2台必要なロングコースを選んだ。
朝4時過ぎ自宅を出発。上野原の先、陣馬山登山口となる和田峠へ向かう。6時に到着。駐車場代は一日800円。料金をボックスに入れて奥多摩湖へ向かう。結局3時間のドライブをこなし、7時過ぎに湖畔にある小河内神社の駐車場に車を停める。
神社参拝後7時半に出発。先週に引き続き天気は曇りがち。だらだらとした長い登りの後、10時過ぎに三頭山頂上。その後登ったり下ったりが延々と続き、15時半、生藤山頂上。
長男は一足先に下り陣馬山17時和田峠で合流し、奥多摩湖へと向かった。今回で山梨百名山は96座となった。
(金丸祐司)

2022年07月18日

令和4年7月・月例会

実施日:2022年7月12日(火)20:00~21:30
場 所:下吉田中央コミュニティーセンター「富楽時」
大会議室
参加者:中澤弘雄、中安正議、金丸祐司、渡辺直樹、羽田隼人、小泉めぐ美、その他、入会希望者4名
 山行報告、山行計画、夏山合宿、お月見山行、バスハイク等について協議しました。
 入会希望の方が4名、見学に見えました。

夏山も最盛期の様子ですね!皆さん安全に留意して楽しく、どんどんと山にのぼりましょう。

御坂山岳会では山が好きな人であれば常時入会を受付ております。お気軽にお問い合わせください。

2022年07月12日

山梨百名山完登が見えた

実施日:2022年7月8日
山 域:桂川山系
参加者:金丸祐司

残った山梨百名山10座のうち、短時間で登れる山をできるだけ登ることとした。朝、6時に自宅を出発。空いているので順調に進み湯の沢峠には1時間で着いた。誰もいない登山道を30分ほど歩き、7時半に大蔵高丸山頂着。あいにくガスの中で景色は良くない。
続いて、源次郎岳へ向かう。車で移動に40分、8時半に登りだし、9時に源次郎岳頂上着。曇っており、引き続き展望は良くない。
続いて、笹子雁ヶ腹摺山へ。車で狭い旧道を進み車で移動に40分、10時半旧笹子トンネル発。途中1人の登山者とすれ違う。11時20分笹子雁ヶ腹摺山山頂着。たまに日が差すものの、曇のままで展望は良くない。下山中、以前半月板の手術をした膝が痛くなり、慎重に下る。
続いて、百蔵山へ。途中「矢立ての杉」の散策を含め1時間移動し、13時、百蔵浄水場を出発。1時間ほど登り、14時に百蔵山頂上着。気温が高くなってきたが、富士山方面は相変わらず曇っていて、展望は良くない。
続いて、権現山へ。40分車で移動し、15時半和見登山口を出発。40分ほどで権現山山頂着。東側には東京の都心が見えた。17時40分、和見登山口に到着。何とか膝の痛みに耐え、長い一日が終った。車の移動に時間がかかり、走行距離は200km を越えた。 
今年中の山梨百名山完登が見えてきた。
(金丸祐司)

2022年07月08日

6月の定月例会が行われました。

実施日:2022年6月20日(水)20:00~21:20
場 所:下吉田中央コミュニティーセンター「富楽時」大会議室
参加者:中安正議、榑林秀倫、中澤弘雄、平井芽久美、柏木正明、羽田隼人、渡辺直樹、田中宏一
 山行報告、山行計画などまた創立72周年記念祝賀会やバスハイク等について話し合いました。

2022年06月20日

3週連続、富士山へ

実施日:2022 年 6 月 18 日
参加者:内山章、内山道子
富士宮口から富士山行ってきました。内山章 3 週連続、
内山道子 2 週連続になります。八合目以上雪渓に入れ ばまだ雪あります。6 月 12 日より若干締まってました。
(内山章)

 

2022年06月18日

黒金山の山行報告「6月月例山行」

参加者 : 勝俣和子 CL 内山章 内山道子 榑林秀倫荒井寿子 鈴木文代 渡辺徹臣 内山拡杜(非会員)
行程 黒金山登山口8:55-牛首のタル10:35-11:15黒金山 12:05-牛首のタル 12:25-黒金山登山口着13:35
6 月の月例山行は甲武信ヶ岳(十文字峠~千曲川源流コース)で募集をかけていたが中々参加希望者が集まらない状態だった。創立 72 周年記念行事の二次会でもっと短い行程だったら行きたいとの声があり、どこからか黒金山の案が聞こえてきた。すかさず榑林副会長兼山行推進部長が「黒金山に計画変更!」との情報を流し始めた。酒の席で山の予定が決まるというのはよくある話であるが、普通は酔った勢いで身の丈以上の無謀な計画を立てるものである。今回の計画変更は皆冷静だったようだ。
さて、総勢 8 名とそこそこ集まったメンバーの中で榑林さんが山梨チーム 5 人の集合担当を買って出てくれた。東京チームは内山家族3 人である。「道の駅花かげの郷まきおか」を山梨車、東京車の集合場所としたが、思いのほか道路状況が良くなっていて山梨車はかなり早く着いたようだ。東京車もフルーツラインを利用して順調だったが西関東道を利用した山梨車はもっと早かったということである。
乾徳山林道上の黒金山登山口までは2車のまま向かうこととし、まずは大平高原まで一番新しい20年ほど前の記憶を持っている榑林さんの山梨車が先行する。乾徳山林道へ入ると未舗装でかなり整備されているが腹が摺りそうで慎重な運転になる。黒金山登山口駐車場の先客は2台ほど、十分なスペースがあった。この車の数からすると人気のコースでは無さそうである。
コース序盤は緩やかな登り、動物たちのヌタ場、ちょっとした湿地や小川の端のクリンソウなどを眺めつつ開放感のある尾根に出て小休止。自然にできた隊列は先頭が内山、次に荒井さん、鈴木さん、和子さん、榑林さん、徹臣さん、拡杜、最後尾に道子の順である。アップダウンが少なく尾根の西側を巻くようになると牛首ノタル、ここでもう一度小休止、さわやかな草付きの小さなコル。このあと少しの頑張りで黒金山山頂に到達、樹林の中に標柱のあるつまらない山頂に思えた。が、数メートル進むと遮るものがないほど視界が開け、圧巻の奥秩父、大パノラマであった。眼下にはクロベやコメツガの絨毯、思い思いに大休止をとる。ピストンの帰路には安心感がある。牛首のタルを越え再び尾根に乗った明るい樹林で小休止。このあとは休みを取らずに登山口の駐車場に降り立った。皆で鼓川温泉に立ち寄り解散した。多くの意見でまとまった黒金山、よい山行であった。(内山章)

 

2022年06月18日

小川山(フリークライミング)

施日:5 月29 日(日)参加者:小林善考、川村高敏(記)計2名行程1日目:6:30 富士吉田→8:30 廻り目平駐車場、 9:00 ガマスラブ1p目→10:45 スラブ状 岩壁の頭→11:30 取り付きに戻る11:30→14:30 ガマスラブにてショートルート登攀15:00 撤収→18:30 富士吉田(解散)。昨年10月に小川山に行った際は取り付きで雨に降られて敗退したが、今回は晴天で暑いくらい。3年ぶりのガマルートは何だか難しく2p目でテンションかけてしまう。その後は体が温まってショートルートも5.10cくらいまで登った。今回の反省点セカンドのビレーを行う際、ロープの方向を変えようとしてビレーデバイスを落としてしまった

 

2022年05月29日

令和4年度富士山吉田口登山道周辺清掃活動

実施日:2022年5月22日(日)9:00~12:00

場 所:諏訪の森自然公園 (パインズパーク)~吉田口登山道周辺

主 催:(一財)ふじよしだ観光振興サービス·

参加者:柏木正明、中安正議、内山章、田中宏一

記念祝賀会の翌日で、体調は万全ではありませんでしたが、吉田口登山道周辺のゴミ拾いをいたしました。たばこの投げ捨てゴミが多かったですが、不法投棄の粗大ゴミ等も回収しました。清掃活動後、内山氏はひとりで山へ向かいました。

2022年05月22日

令和4年度 春季市民体育施設周辺清掃

実施日:2022年5月21日(土)9:00~11:30·

場 所:鐘山スポーツセンター·

主 催:公益財団法人富士吉田スポーツ協会·

参加者:柏木正明、中安正議、榑林秀倫
小雨の降る中でしたが、鐘山グラウンドの北側路側の草むしりをしました。作業後、三人で鐘山体育館から歩いてサファイアへ行き、吉田のうどんを食べながら、記念祝賀会の打ち合わせをしました

 

2022年05月21日

創立72周年記念式典が行われました

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開催日:2022年5月21日(土)17:30~19:00

場 所:ハイランドリゾートホテル 白玉蘭

出席者:柏木猛夫、横山秀敏、羽田政人、宮下和男、舟久保元孝、勝又芳弘、柏木正明、中安正議、中澤弘雄、石川敬子、後藤ヨウ子、荒井寿子、勝俣和子、鈴木文代、羽田早衣子、内山章、渡辺徹臣、榑林秀倫、流石英一、金丸祐司、平井芽久美、室野孝義、渡辺 直樹(23名)

御坂山岳会は、昭和25年4月29日の天皇誕生日に、初代会長の伊藤堅吉氏らよって御坂山塊の十二ヶ岳桑留尾のササッパ沢遡行登山が行われ、これを御坂山岳会創立第1回山行として発足し、今年創立72周年を迎えました。本来であれば、創立70周年記念式典を開催すべきところですが、70周年の年に新型コロナウイルス感染症が世界的に急拡大し、記念事業は中止となり、記念式典も2年延期せざるを得ない状況の中で、創立72周年記念祝賀会を開催しました。

今回は、新型コロナウイルス感染予防対策に万全を期して行いました。席の間隔を離しアクリル板で仕切り、来賓は招待せず会員だけの出席とし、開催時間を90分に短縮し、そのため式典は行わず祝賀会のみとしました。60周年の時の半分以下の規模に縮小しての開催となりましたが、盛況のうちに祝賀会は閉会いたしました。

祝賀会は、流石英一理事の司会進行により午後5時30分に開会しました。中安正議第28代会長の挨拶の後、平成15年度から16年度に第19代会長を務めた柏木猛夫氏の乾杯の音頭で祝賀会は始まりました。

歓談の中で、司会から多くの会員からのメッセージの紹介やお祝いを御披露させていただきました。また、スクリーンにはプロジェクターによって御坂山岳会の過去の秘蔵写真が映し出され、出席者から感嘆のどよめきと笑いが起きました。

アトラクションには、フォルクローレユニット3人組の「ピミエンタ」が登場し、ケナー&チャランゴ&サンポーニャで、アンデスに伝わる民俗音楽と日本人の心が融合する風のように透き通った音色を聴かせてくれました。ピミエンタの演奏は、NNS日本ネットワークサービスで放送中の番組「てくてく山梨百名山」のバックに流れていることでもお馴染みかと思います。

宴もたけなわになってきたところで、ピアノ演奏による御坂エコーズが会場に流れてきました。会場の新型コロナウイルス感染症対策により、御坂山岳会恒例の御坂エコーズの合唱は叶いませんでしたが、皆で御坂エコーズのメロディーを脳裏に深く刻みました。

そして、全員で記念撮影を撮った後、最期の締めは、平成19年度から20年度に第21代会長を務めた横山秀敏氏による一本締めでした。いつもの万歳三唱はコロナ禍の下で自粛いたしました。

ささやかな祝賀会ではありましたが、名残り尽きない御坂山岳会の会員たちは、72年間という歴史と伝統を心に強く刻んで二次会へとくり出したのでした。

2022年05月21日

燕岳の山行報告

施日:2022 年5 月18-19 日山域:燕岳
参加者:勝俣和子、石川敬子


ここ数年恒例になった残雪の燕岳へ、イルカ君に会いに。今回は和子さん、荒井さん、私の3人。当初は 17-18 日の予定だったが天候が良くないので一日ずらした。
ところが、、、16 日夕方、中房線が土砂崩れの為通行止め! との情報。。。18 日解除なるか? ギリギリ! 小屋、温泉、土木事務所など電話かけまくっても、、、どうも無理?のよう。燕山荘も中房温泉も宿泊者が帰れないし、キャンセル続出で困ってるらしい?早く何とかして欲しい、と土木事務所に言ってるらしいが、、、?
天気は良さそうだし、折角行く気になった荒井さんもいる し、どうしよう?どこか残雪の山であんまりハードではな く楽しめるとこは、、、? 中の湯一泊で焼岳、西穂山荘泊で独標辺り、乗鞍、、、いろいろ3人で検討するが、こ こ!と言った決め手は無く、とりあえず予定通り18日朝、合庁に5時集合する。しか~~し、、、荒井さんが風邪ひいたとかで辞める、と。「あらー、それじゃ仕方ないね。。。」和子さんと決定的目的の山も無いまま中央道へ。
「こんな中途半端な山行初めてだね~~、行く先も決まってないなんて・・・」
沿道の里は田んぼに水が張られ、田植えの済んでるところも、、春だね~~~
適当な時間を見計らって土木事務所に電話してみる。すると、「10 時から 10 時半の間に片側通行できるようにする。」との返事。10 時に通行できたとして、中房温泉まで約30 分、出発11 時だ。
昨年は約 4 時間半で山荘に着いてる、今年は私のひざ痛もあるので 5 時間を見て、16 時半から 17 時に山荘着予定。「どうする? 頑張って行くか!」遅くなるけど行きます、と山荘に連絡入れて、安曇野インターで降り、中房線の通行止めゲートへ。ひょっとしてたくさん並んでるかも? と思ったが、えっ・・誰もいない? ゲート前に車停めて待機。待ってる間に4 台くらい増えた。きっかり10 時にゲートオープン。パトロール車に先導されてゆっくり進んでいく。有明荘辺りで先導車は離れて、第一駐車場に 10 時40 分入る。車1 台も無い駐車場なんて、、、初めてです。
支度をして予定通り 11 時出発。道路事情もあって、登山者は前後いなくてゆっくり上がって行く。11:30 第一ベンチ。第一から30 分ほどで第二ベンチ。少しづつ残雪があるがアイゼン着けるほどでは無い、 12:44 第三ベンチ。ちょうど中間点だ。樹林の中は雪が少し硬くなり、傾斜もあるので少し上でアイゼン着ける。 13:35 富士見ベンチ。ベンチごとに休憩取る。結構しっかり残雪がある。 ⒕:35 合戦小屋。富士見から約 1 時間、とても長く感じた。岩や土の出てるところもあり、アイゼンでは歩きにくく、膝を捻らないよう慎重に歩いたから? 小屋は営業していないが、休憩所や外のベンチは解放されていて、ゆっくり出来て有難い。 昨年より一週間遅いことも有るが、雪は少ない感じ? 軽く昼休憩をする。前後して登山者が来て上がって行った。
我々も頭へ向かう。ルートは右手のササの中に取られている。昨年はほぼ真っ直ぐに上がったが、今年は雪が少ないとのことで、一部夏道に付けられているとの事前情報だった。途中で山並みの向こうに小さく槍の穂先が見えた。15:27 頭へ。周りはほとんど雪は無いが、見上げると雪の斜面が続いてる。ここから先は北アルプスの山並を右に左に見ながらゆるゆると上がって行く。上がるほどに槍の穂先が大きくなる。正面に燕山荘が一段と高く見えて、遠いね~・・・
16:20 燕山荘到着! 今年も何とか来れました~~ 明るいうちに着いて良かった! あんまり風も無く暖かい。部屋にザックや装備を置いて早速外へ。 パノラマ景色を見ながら乾杯!!
私の足、膝、よう頑張った!お疲れさん! 山荘の周りも雪少ない!
アルバイトの子に聞いたら「今年、ビックリするほど雪少ないですねぇ~~」とのこと。

宿泊客は我々含めて 10 人。少なくて良いんだけど、、、ちょっとねぇ・・・ 経営は大変だな?
部屋は 4 人用を二人で使ってゆったり寛げる。夕食時はビールでお腹一杯、、前に座った二人のおじさんが赤ワインを飲んでたので、私も。。。と、ハーフボトルを購入。和子さんは飲まないと言うので、一人では飲み切らないから、前のおじさんたちにお裾分けする。
5/19
今日も良い天気、昨日より少し風がある。 朝食後、燕岳へ。 でも私は下りの膝が心配だったから、「山頂までは行かないから、行ってきて良いよ。」とカズコさんを見送る。景色をながめたり、写真を撮ったり、ぶらぶらとトラバースの先まで行って引き返す。登山道上はほとんど雪は無い。
戻ってきたカズコさんと山荘でコーヒーを頼み、ゆっくり景色を眺める。記念写真はいつも同じパターンだね・・ 9時、山荘を後にする。雪はかなり緩み、アイゼンも効きが悪い。でも滑ると怖いので、ゆっくり、、、登ってくる人も多い。
合戦小屋 10:10 。第二ベンチでアイゼン外す。段差の大きい所が多く、膝がツライ!13:15 中房登山口にに戻ってきました。
買って間もない青い手袋の片方を失くしたようで、下る途中もずっと探しながらきたが見つからず、ガッカリしてたら、駐車場へ戻る途中の道路脇の柵の上に見つけた時はビックリした。
失くしたのは登山中だと思ってたが、登る前の登山口まで行かないうちに落としてたとは! 暑かったから昨日は一度も手袋を出さなかった、今日になって気が付いたのだ。。。諦めてたから嬉しい。拾って置いといてくれた人に感謝!
駐車場は満車状態だった。有明壮で昼食と入浴を済ませ、帰路へ。
交代で運転しようね、と言ってたのに、往復和子さんが運転した。お疲れのところありがとうございました。おかげで今年も残雪の山に行くことが出来ました。来年は・・・?GW の間、私はずっと仕事だったけど、和子さんはその間3回くらい山歩きしたと言う。だからか、今回は全然平気だって!!
自分は暫く登山らしいことしてなかったので、結構つらかった!「山のトレーニングは山へ行くこと」よく言われるけど、そうだな。。。と実感しました。
(石川敬子)

 

2022年05月18日

穂高連峰の山行報告

実施日:2022 年5 月2 日〜4 日山域:北アルプス 穂高連峰
参加者:榑林秀倫、M 氏(非会員)、K 氏(非会員)、Y 氏(非会員)
行程:
5/2 上高地バスターミナル(6:03)→明神(6:55-7:06)→徳沢(7:49-8:18)→横尾
(9:07-9:27)→本谷橋(10:34-10:52)→涸沢(12:47)
5/3 涸 沢 (6:15)→ 北 穂 高 岳 (9:15-9:37)→ 涸 沢 (11:50-12:28)→本谷橋(13:20-13:28)
→横尾(14:19-14:26)→徳沢(15:37)
5/4 徳沢(5:55)→明神(6:45-6:53)→上高地バスターミナル(7:45)

この度のGWは大学の後輩からの誘いがあって、久しぶりに穂高を訪れる機会が得られ
た。春の穂高なんて何度行ったっていい。
M さん、K さんとは2 日の朝、沢渡で初顔合わせだった。どんな挨拶をしたっけか。と
もかくタクシーに乗り込み、いつものように上高地に入る。そこに現れるのは快晴の
空の下、雪を抱いた穂高連峰。いい山旅が期待できそうだ。
明神、徳沢を経て横尾へと向かう。この次来られるのはいつになるかわからないし、
もしかしたら最後かもしれない。一歩一歩かみしめるように歩こう。
今回、徳沢と横尾の間の道が工事中で、一旦梓川の対岸にわたる迂回路が設けられて
いた。これはこれで新鮮でよかったと思う。
本谷橋でアイゼンを装着。春山の場合、以前は涸沢谷の谷底を歩いたと思うが、今年
は谷底の雪が寸断されていた。小屋の方の尽力によって夏道に沿って雪面がカットさ
れていて、有り難くそこを進む。
朝は晴れていたが、涸沢に着いた時には吹雪に近いほどの雪だった。そうした中、大
手ゼネコン社員 3 名がそれぞれ整地してテントを設営。私は後輩Y 君のテントに入り込
む。涸沢と言えば生ビール。楽しみにしていたのに寒くてそれどころではなく、残念
だ。ちなみに、ビールは\1000 に値上がりしていた。さらにちなむと、テント代一泊
が一泊\2000 だった。(-"-)
雪は一晩続き、風も吹き続けていたが、3 日の朝は、、、晴れーっ!!
穂高連峰が紅色に輝く美しい夜明けを迎えることができた。
予定通り北穂を目指す。すれ違った警察官から、昨日、

北穂沢で表層雪崩に巻き込ま
れたパーティがあったと説明があった(けが人はなし)。実際、奥穂方面の小豆沢に
は雪崩の痕跡があった。ただ、今シーズン、全体に雪は少なく、大規模な雪崩の心配
はなさそうだ。
北穂沢をじわじわと登り、北穂登頂を果たした。その眺めの素晴らしさは、いちいち
表現しきれない。各自ご想像願いたい。
元のルートを涸沢へ降りるが、M さんが足を滑らせてしまった。幸い、下にいたメン
バーが彼を止めて大事にはならなかったが、滑落を停止できないことが分かったの
で、それ以降、用意してきた補助ロープを使用した。
涸沢で私は荷物をまとめ、3 人と別れて上高地へ下山した。その時すでに、なぜかか
なり疲労を感じていた。横尾では休んでも回復せず、徳沢との中間点でまた休みをい
れてしまった。上高地最終バスは5 時半。もうあきらめて徳沢で泊まることを決意し
た。
3 時半過ぎに徳沢着。幕営料を払って指定地にツェルトを設営したが、実態としては
かなり割合の緊急露営で、自販機で買ったアクエリアスを飲んで、直ちに倒れるよう
に眠った。
一方、涸沢の3 人は雪の峰々に囲まれた涸沢ヒュッテのテラスで、生ビールで一杯
やっていたのだった。
翌朝5 月4 日、明るくなった頃に起床して、行動食の残りのピーナッツを少しかじり、
上高地へと下った。
バスを沢渡で降りたのが 8:40。まだ朝だったけど、温泉には入れた。よかった。
(榑林秀倫)

 

2022年05月02日

春山合宿「鳥海山&合宿の様子

実施日:2022年4月29日(金)~5月3日(火)

山 域:東北の山 鳥海山&月山

参加者:中安正議(単独

行 程:[4月29日]5:55甲府→勝沼IC→中央自動車道→八王子JCT→圏央道→久喜白岡JCT→東北自動車道→村田JCT→山形自動車道→山形JCT→東北中央自動車道→新庄北IC→国道13号→国道108号→16:40祓川 [4月30日]6:00祓川→矢島口コース→8:20七ツ釜避難小屋→12:00七高山12:30→13:55七ツ釜避難小屋→14:30祓川ヒュッテ→15:35祓川→国道312号→17:00鳥海温泉あぽん西浜 [5月1日]8:30鳥海温泉あぽん西浜→道の駅鳥海→土門拳記念館(酒田市)→酒田市立資料館→酒田ラーメン三日月軒→藤沢周平記念館(鶴岡市)→16:35道の駅にしかわ・水沢温泉→17:55月山湖展望広場 [5月2日] 6:15月山湖展望広場→6:45姥沢8:00→8:24月山スキー場リフト下駅→8:50リフト上駅→10:00牛首コル→11:10リフト上駅→11:20リフト下駅→11:30姥沢→志津温泉→鶴岡市→新潟市→21:30マリンドリーム能生(新潟県糸魚川市) [5月3日]10:30マリンドリーム能生→12:00長野県白馬村落倉→19:35甲府

私の心には躁状態と鬱状態が突発的に交互に訪れる。躁鬱病という程ではないのだが、精神には大きな波がある。躁の時は、だいたいが山に行っている時である。鬱の時は、図書館に籠って小説を書いている時であろうか。躁の時は何事にも積極的で行動的で、生きて行く上では好ましいようだが、実は散財も激しく、金遣いがやたら荒くなるので困ったものだ。私は鬱状態である方が、周辺の人間にとっては好ましいようだ。

今年の御坂山岳会の春山合宿、はじめて私が企画した。鳥海山と月山へ、五泊六日、予備日を入れて七日間の壮大なものだ。だが、予想どおり賛同者はいなかった。ひとりぼっちの春山合宿となった。しかし、寂しくはない。心は躁状態だからだ。

ゴールデンウェーク初日、待ちかねたように私は愛車の軽貨物車のハンドルを握り、一路鳥海山を目指す。早朝、甲府を出る時は曇天であった空が、圏央道から東北自動車道に入る頃に泣き出した。山形県に入るとフォグランプを点けなければ危険を感じるほどの強い雨となった。鳥海山五合目の祓川へ続く林道に入ると雨がみぞれに変わり、祓川の駐車場に到着するや否や吹雪となり、アスファルトが見る見るうちに白くなった。駐車場から祓川ヒュッテまでは二百メートルほどなのだが、日没前にも拘わらず雪と風が強くて歩けない。やむなく車中泊とする。真冬のような寒さに耐えられず、車中でガスコンロを焚いて暖を取る。

翌朝、晴れた。車の屋根には厚く新雪が積もっている。霜の張った車内から見る朝焼けが幻想的だった。しかし、すでに気圧の谷が西から近付いている。晴天は今日一日しかもたないだろう。春山合宿第一弾、今日が勝負だ。私は車横からスキーを履いて歩き出した。矢島口からの鳥海山は山頂部のみ雲に隠れているがほぼ全容が眺望できる。新雪は三十センチメートルほど積もってはいるが、ラッセルして歩くには支障はない。かえって、シュプールのついていない純白の処女雪が心地よい。

七ツ釜避難小屋に着く頃にはかなり多くの登山者に追い付かれる。ワンピッチ目は無理せずゆっくり歩くのが私の流儀だ。気にしない。雪質はフワフワの新雪からシュカブラとアイスバーンに変わる。スキーアイゼンを装着する。スキーアイゼンは軟雪では効いているのかいないのか不安だが、アイスバーンではしっかりと雪を噛む感触が伝わり確かな存在感がある。雪質には関係なく、付けていても決して邪魔にはならない。スキーアイゼンを装着してからは、今まで抜かれて来た登山者にどんどん追い付いてしまう。スキーアイゼンの効力たるや恐るべし。

大斜面の真中で転倒したが、そこで居直ってランチタイムとする。スキーは付けたままザックを下ろし、大好きなクリームパンを頬張りながら、雄大な裾野の景色を心行くまで鑑賞する。湿って重い新雪には閉口するが、スピードに乗るとスキーが浮き上がって意外とターンしやすい。しかし調子に乗ると後傾となって転倒する。

長い下りの後、祓川ヒュッテに寄って室内を偵察する。居心地は良さそうだ。無料なので次回はここに泊まろうと思う。駐車場に着くとすでに路面の雪は消えていた。一路、吹浦港にある鳥海温泉あぽん西浜を目指す。温泉に隣接する食堂でとんかつ定食のごはん大盛と生ビール大ジョッキを注文する。食後、温泉に入ると湯舟で気を失った。やはり入浴してから飲むべきだった。あぽん西浜の駐車場で快適な一夜を明かす。意識を失えば、ホテルのベッドだろうが車中だろうが関係ない。そして翌朝は予想どおり本降りの雨である。鳥海山鉾立口からの登山を割愛して、月山へと向かう。今日は天候回復待ちと休養ということで一日観光を楽しむことにする。車で五分ほどの道の駅鳥海では、午前八時半から食堂が営業しているのが嬉しいではないか。朝から豪華海鮮丼をいただく。

酒田市内で土門拳記念館と酒田市立資料館を梯子して、三日月軒の酒田ラーメンを堪能する。午後は鶴岡市内の藤沢周平記念館を訪れ、自らの創作意欲を鼓舞する。月山の麓にある道の駅にしかわで温泉に浸かって自分を見詰め直し、月山湖展望広場で夜を明かす。今日中に月山登山口の姥沢まで行けないことはないが、標高の高い箇所での車中泊は寒いので、平地で夜を明かす。数々の車中泊で得た教訓である。</p> <!-- /wp:paragraph --> <!-- wp:paragraph --> <p>翌朝、晴れた。チャンス再来だ。今日は春山合宿第二弾、月山を極めたい。リフト下駅までは、駐車場からスキーを担いで歩いて十五分、雪がべったり付いておりシールを付けて登ればよかった。午前八時から運行するリフトに飛び乗りゲレンデトップへ。シールを付けたままリフトに乗った登山者がリフト下車の時、係の人にシールを外して乗るように注意されていた。

月山山頂はガスに隠れて見えないが、視界は効く。コースは山腹を延々とトラバースしているので、スキーアイゼンを装着する。正解だった。牛首直下は大きなクレバスがあり、慎重にトラバースする。

下山方向がよく分からないので、スキーを担ぎアイゼン歩行でトレースを辿る。視野が晴れたところでスキーに履き替えて、あとはリフト上駅まで、延々と斜滑降で下る。月山スキー場のゲレンデ内に入ると雪質もよくなり、結構スキーを楽しむことができた。しかし、もう一泊して月山に再挑戦する気力は無かった。

月山志津温泉の宿かしわやで入浴する。風呂は貸切り状態で窓からは月山の山腹と眩い新緑が眺望できて、申し分なかった。できれば泊まりたいところだが、私の懐がそれを許さない。要するにお金と気力が無くなったのである。

海が見たかったので、日本海沿いの一般道を行く。それから運転すること九時間、糸魚川市内で力尽き、道の駅マリンドリーム能生の駐車場で四日目の車中泊となる。空いているところに駐車したつもりだったが、朝起きると喧噪の真っただ中で駐車場は満車状態だった。フロントガラスからは黒い海が見える。

ベニズワイガニを土産に買う。二匹買っておまけが三匹、よく分からない商売をしている。午前九時半より食堂が営業しており、性懲りもなくまたしても海鮮丼を食す。そして、一路一般道を山梨へ向かう。どこの道の駅も混んでおり、食堂は長蛇の列だ。仕方なく白馬村落倉の府立大小屋にて、自分でスパゲティーを茹でて喰う。小屋周辺でタラの芽を摘み、これもその場で天ぷらに揚げて食す。自給自足だ。

午後七時三十五分に甲府に帰る。走行距離千四百四十三キロメートル、まだ五日ある休日を残して、ひとり春山合宿の旅が終わった。

私の趣味は、登山やスキーなど体力の消耗を伴うものばかりだ。もっと楽な趣味はないのだろうか。とにかく、暇と金があっても、体力がなければ老後をエンジョイすることができないことをつくづく実感したのであった。

2022年04月29日

ひとり春山合宿 ~鳥海山&月山~

実施日:2022年4月29日(金)~5月3日(火)

山 域:東北の山 鳥海山&月山

参加者:中安正議(単独)

行 程:[4月29日]5:55甲府→勝沼IC→中央自動車道→八王子JCT→圏央道→久喜白岡JCT→東北自動車道→村田JCT→山形自動車道→山形JCT→東北中央自動車道→新庄北IC→国道13号→国道108号→16:40祓川 [4月30日]6:00祓川→矢島口コース→8:20七ツ釜避難小屋→12:00七高山12:30→13:55七ツ釜避難小屋→14:30祓川ヒュッテ→15:35祓川→国道312号→17:00鳥海温泉あぽん西浜 [5月1日]8:30鳥海温泉あぽん西浜→道の駅鳥海→土門拳記念館(酒田市)→酒田市立資料館→酒田ラーメン三日月軒→藤沢周平記念館(鶴岡市)→16:35道の駅にしかわ・水沢温泉→17:55月山湖展望広場 [5月2日] 6:15月山湖展望広場→6:45姥沢8:00→8:24月山スキー場リフト下駅→8:50リフト上駅→10:00牛首コル→11:10リフト上駅→11:20リフト下駅→11:30姥沢→志津温泉→鶴岡市→新潟市→21:30マリンドリーム能生(新潟県糸魚川市) [5月3日]10:30マリンドリーム能生→12:00長野県白馬村落倉→19:35甲府

私の心には躁状態と鬱状態が突発的に交互に訪れる。躁鬱病という程ではないのだが、精神には大きな波がある。躁の時は、だいたいが山に行っている時である。鬱の時は、図書館に籠って小説を書いている時であろうか。躁の時は何事にも積極的で行動的で、生きて行く上では好ましいようだが、実は散財も激しく、金遣いがやたら荒くなるので困ったものだ。私は鬱状態である方が、周辺の人間にとっては好ましいようだ。
今年の御坂山岳会の春山合宿、はじめて私が企画した。鳥海山と月山へ、五泊六日、予備日を入れて七日間の壮大なものだ。だが、予想どおり賛同者はいなかった。ひとりぼっちの春山合宿となった。しかし、寂しくはない。心は躁状態だからだ。
ゴールデンウェーク初日、待ちかねたように私は愛車の軽貨物車のハンドルを握り、一路鳥海山を目指す。早朝、甲府を出る時は曇天であった空が、圏央道から東北自動車道に入る頃に泣き出した。山形県に入るとフォグランプを点けなければ危険を感じるほどの強い雨となった。鳥海山五合目の祓川へ続く林道に入ると雨がみぞれに変わり、祓川の駐車場に到着するや否や吹雪となり、アスファルトが見る見るうちに白くなった。駐車場から祓川ヒュッテまでは二百メートルほどなのだが、日没前にも拘わらず雪と風が強くて歩けない。やむなく車中泊とする。真冬のような寒さに耐えられず、車中でガスコンロを焚いて暖を取る。
翌朝、晴れた。車の屋根には厚く新雪が積もっている。霜の張った車内から見る朝焼けが幻想的だった。しかし、すでに気圧の谷が西から近付いている。晴天は今日一日しかもたないだろう。春山合宿第一弾、今日が勝負だ。私は車横からスキーを履いて歩き出した。矢島口からの鳥海山は山頂部のみ雲に隠れているがほぼ全容が眺望できる。新雪は三十センチメートルほど積もってはいるが、ラッセルして歩くには支障はない。かえって、シュプールのついていない純白の処女雪が心地よい。

七ツ釜避難小屋に着く頃にはかなり多くの登山者に追い付かれる。ワンピッチ目は無理せずゆっくり歩くのが私の流儀だ。気にしない。雪質はフワフワの新雪からシュカブラとアイスバーンに変わる。スキーアイゼンを装着する。スキーアイゼンは軟雪では効いているのかいないのか不安だが、アイスバーンではしっかりと雪を噛む感触が伝わり確かな存在感がある。雪質には関係なく、付けていても決して邪魔にはならない。スキーアイゼンを装着してからは、今まで抜かれて来た登山者にどんどん追い付いてしまう。スキーアイゼンの効力たるや恐るべし。
大斜面の真中で転倒したが、そこで居直ってランチタイムとする。スキーは付けたままザックを下ろし、大好きなクリームパンを頬張りながら、雄大な裾野の景色を心行くまで鑑賞する。湿って重い新雪には閉口するが、スピードに乗るとスキーが浮き上がって意外とターンしやすい。しかし調子に乗ると後傾となって転倒する。
長い下りの後、祓川ヒュッテに寄って室内を偵察する。居心地は良さそうだ。無料なので次回はここに泊まろうと思う。駐車場に着くとすでに路面の雪は消えていた。一路、吹浦港にある鳥海温泉あぽん西浜を目指す。温泉に隣接する食堂でとんかつ定食のごはん大盛と生ビール大ジョッキを注文する。食後、温泉に入ると湯舟で気を失った。やはり入浴してから飲むべきだった。
あぽん西浜の駐車場で快適な一夜を明かす。意識を失えば、ホテルのベッドだろうが車中だろうが関係ない。そして翌朝は予想どおり本降りの雨である。鳥海山鉾立口からの登山を割愛して、月山へと向かう。今日は天候回復待ちと休養ということで一日観光を楽しむことにする。車で五分ほどの道の駅鳥海では、午前八時半から食堂が営業しているのが嬉しいではないか。朝から豪華海鮮丼をいただく。
酒田市内で土門拳記念館と酒田市立資料館を梯子して、三日月軒の酒田ラーメンを堪能する。午後は鶴岡市内の藤沢周平記念館を訪れ、自らの創作意欲を鼓舞する。月山の麓にある道の駅にしかわで温泉に浸かって自分を見詰め直し、月山湖展望広場で夜を明かす。今日中に月山登山口の姥沢まで行けないことはないが、標高の高い箇所での車中泊は寒いので、平地で夜を明かす。数々の車中泊で得た教訓である。

翌朝、晴れた。チャンス再来だ。今日は春山合宿第二弾、月山を極めたい。リフト下駅までは、駐車場からスキーを担いで歩いて十五分、雪がべったり付いておりシールを付けて登ればよかった。午前八時から運行するリフトに飛び乗りゲレンデトップへ。シールを付けたままリフトに乗った登山者がリフト下車の時、係の人にシールを外して乗るように注意されていた。
月山山頂はガスに隠れて見えないが、視界は効く。コースは山腹を延々とトラバースしているので、スキーアイゼンを装着する。正解だった。牛首直下は大きなクレバスがあり、慎重にトラバースする。
下山方向がよく分からないので、スキーを担ぎアイゼン歩行でトレースを辿る。視野が晴れたところでスキーに履き替えて、あとはリフト上駅まで、延々と斜滑降で下る。月山スキー場のゲレンデ内に入ると雪質もよくなり、結構スキーを楽しむことができた。しかし、もう一泊して月山に再挑戦する気力は無かった。
月山志津温泉の宿かしわやで入浴する。風呂は貸切り状態で窓からは月山の山腹と眩い新緑が眺望できて、申し分なかった。できれば泊まりたいところだが、私の懐がそれを許さない。要するにお金と気力が無くなったのである。
海が見たかったので、日本海沿いの一般道を行く。それから運転すること九時間、糸魚川市内で力尽き、道の駅マリンドリーム能生の駐車場で四日目の車中泊となる。空いているところに駐車したつもりだったが、朝起きると喧噪の真っただ中で駐車場は満車状態だった。フロントガラスからは黒い海が見える。

ベニズワイガニを土産に買う。二匹買っておまけが三匹、よく分からない商売をしている。午前九時半より食堂が営業しており、性懲りもなくまたしても海鮮丼を食す。そして、一路一般道を山梨へ向かう。どこの道の駅も混んでおり、食堂は長蛇の列だ。仕方なく白馬村落倉の府立大小屋にて、自分でスパゲティーを茹でて喰う。小屋周辺でタラの芽を摘み、これもその場で天ぷらに揚げて食す。自給自足だ。
午後七時三十五分に甲府に帰る。走行距離千四百四十三キロメートル、まだ五日ある休日を残して、ひとり春山合宿の旅が終わった。
私の趣味は、登山やスキーなど体力の消耗を伴うものばかりだ。もっと楽な趣味はないのだろうか。とにかく、暇と金があっても、体力がなければ老後をエンジョイすることができないことをつくづく実感したのであった。

2022年04月29日

成城尾根で表層雪崩発生天狗原バックカントリースキー

実施日:2022年3月19日(土)

山 域:北アルプス白馬岳天狗原

参加者:中安正議、渡辺直樹

行 程:8:10おびなたの湯→9:15京都府大山小屋(白馬村落倉)→9:30栂池スキー場第2駐車場→9:50栂池ゴンドラリフト乗車→栂池ロープウェイ乗車→10:45栂池自然園駅→成城尾根→12:15天狗原→13:34成城大小屋→15:20京都府大山小屋
白馬山麓滞在四日目、今日は八方尾根の押出沢をスキーで滑る予定だった。今朝富士吉田を出発した直樹君と、おびなたの湯で待ち合せた。ここに私の車を置いて、直樹君の車で八方尾根駐車場へ向かうつもりだったが、天気は雨。二股から八方尾根方面を覗くと低く灰色の雲が垂れ込めている。尾根はおそらく雪だろう。アイスバーンの上に湿った新雪、おまけに雨。こんな時に押出沢へ入れば雪崩の餌食になるだけだ。押出沢はあっさりと諦めて、今日はゲレンデスキーをしようということになった。
八方尾根スキー場はリフトに乗らなければならないので濡れてしまう。栂池高原スキー場ならゴンドラとロープウェイに乗れば濡れないで済む。という訳で私たちは栂池高原スキー場へ向かった。
スキー場の中央駐車場は雨なのに満車で、第二駐車場に車を止める。そこからシャトルバスでゴンドラ乗り場まで行ったが、ゴンドラも混んでいて長蛇の列だ。ゴンドラに乗るが、濃い霧に包まれて景色は見えない。しかし、ロープウェイを乗り継いで栂池自然園に着くと、雨雲の上に出たらしく、晴れた。
「直樹君、晴れたのでやっぱ天狗原へ登ろう!」 と、気まぐれな私の気が変わった。
栂池自然園から天狗原へ至る成城尾根の東斜面はまず雪崩の心配はない。天候さえ良ければ楽勝だ。今日は風もない。楽しい登山になりそうだ。
私は完璧なバックカントリースキー装備だが、直樹君はゲレンデ用のスキーと靴なのでスキーを担いで登らねばならない。膝まで雪に沈んで苦戦している。私よりはるかに体力のある直樹君なのに、スキー登行の私からどんどん遅れていく。天狗原山頂には、私より十五分ほど遅れて到着する。汗だくだ。
「よくツボ足で登って来たね」と私が言うと、「途中で帰ろうかと思いました」と、直樹君は顔をしかめて言った。直樹君、次回はバックカントリースキー履いて来ようね。
天狗原で休憩後、さあ、いよいよお待ちかねのスキー滑降タイムだ。しかし、湿った重い新雪は思いのほか滑り難く、二人ともターンに失敗して転びまくる。結局、斜滑降、キックターンを連発する。

中腹まで下りて来た時だった。成城尾根付近の雪面が不自然にデコボコしている。近付いてみると、表層雪崩のデブリだ。一昨日のアイスバーンの上に三十センチメートルほど積もった新雪が滑り落ちたのだ。雪崩た雪面が光っている。傾斜は二十五度くらいの緩斜面だ。登っていた時には無かったので、発生直後だろう。長年天狗原に登っているが、ここで雪崩たのを見るのは初めてだ。今居るところも雪崩の危険があることに気付き、慌てて成城大小屋まで下る。
成城小屋から林道へ降りると、再び周囲は濃い霧に包まれた。林道のヘアピンカーブは林間をショートカットできるのだが、視界が効かないので林道を忠実に滑る。林道に圧雪車は入っておらず、薄いシュプールを頼りに下る。栂池高原スキー場のゲレンデに出ても霧が濃く、ゲレンデ内でも道に迷う。
下山途中、私の携帯に大町警察署から電話があった。コンパスアプリで登山計画書を提出していたので、それを見たのだろう。「白馬乗鞍岳で雪崩に巻き込まれた人を目撃したという、登山者からの通報があったのですが、今どちらにいらっしゃいますか?」「は? もうすぐ下山しますけど」どうも、雪崩に巻き込まれた登山者の身元確認をしているらしい。すると待てよ、我々は被疑者ではないか。遭難した登山者は足を骨折していたが、翌日、ヘリコプターに無事収容された。奇しくも私と同い年の六十二歳であった。さて、私は体力を使い果たしていたので鐘の鳴る丘ゲレンデからベースの京都府大山小屋へ直行したが、直樹君はリフト一日券を購入していたので、夕方まで滑ってから小屋へ帰ると言う。なんとも元気な若者だ。その日、小屋では、糸魚川で買ってきたベニズワイガニと金丸装備部長から貰った鹿肉のビーフシチューで豪華な晩餐となった。二人でベニズワイガニ五匹はちょっと多かった。直樹君は足、私は甲羅の蟹味噌専門という分業制でたいらげた。
翌朝、若者は、今日の十時から実家で法事があると言って、朝の五時半に小屋を出て行った。

2022年03月19日

ホワイトアウトで横滑り~根子岳バックカントリースキー

実施日:2022年3月6日(日)

山 域:長野県菅平、根子岳

参加者:中安正議(単独)

行 程:5:20甲府→8:20菅平・奥ダボススノーパーク駐車場→8:55第1リフト終点ゲレンデトップ→9:52避難小屋→11:25根子岳山頂12:00→12:40避難小屋→12:48ゲレンデトップ→13:08駐車場→遊楽里館(入浴)→19:15甲府

三月二日の蓼科山登山から中二日で根子岳へ登ろうと思ったが、堆甲板ヘルニアが悪化して右足がしびれて動かない。もう一日様子を見て、中三日で根子岳へバックカントリースキーに行くことにする。痛み止めの薬を飲めば大丈夫だ。甲府の自宅を出てから佐久あたりまでは天気は良かったのだが、徐々に空模様が怪しくなり、長野県菅平の奥ダボススノーパークに着く頃には本格的な雪となっていた。
リフトを一本乗るとそこはゲレンデトップ、根子岳へ続く緩やかな尾根が眼前に展開しているが、根子岳は鼠色の雲が掛かっていて見えない。悪天候のためスノーキャット(雪上車)は運休している。
ここからスキーにシールを貼って登る。私の前方には二人の登山者、後方には七人のバックカントリースキーのパーティーがいた。視界は五十メートルほどで風も強い。手袋をした手がかじかむ。右手霧の向こうに避難小屋をなんとか確認し登り続ける。ガスで視界の効かない尾根は駄々広く、登山ルートがよく分からない。二十メートル間隔で立てられた竹竿や標識を頼りに登る。「ここが頂上ですか?」と、私が訊くと、「もうちょっと先ですけど、頂上行っても風が強いだけなので、ここで下ります」と、答えた。
しかし、私は頂上を目指した。そこから先はシュプールも足跡もない新雪だ。一人でラッセルしてピークに立ってほっとすると、ガスに霞んでいるが標識が見えた。標識は山頂の方向を指していた。根子岳山頂はまだ先だった。山頂には、雪に埋まっていると思っていた祠がちゃんとあった。
風と寒さで早々に山頂を引き上げる。風を避けるためシールを付けたまま樹林帯まで下る。シールを外して滑降態勢を整えると、いつの間にか濃い霧に閉じ込められて登って来た方向が分からない。ホワイトアウトだ。写真なんか撮っていなければよかった。慎重に竹竿や標識を探しながら下る。この広く平坦な尾根は、すぐに支尾根へ迷い込む危険を孕んでいる。入笠山、蓼科山に引き続き、続けて三回も下降ルートを間違えたのでは洒落にならない。
足元も霞むほど濃いガスに巻かれて、方向どころか平衡感覚をも失う。滑っているのか止まっているのかも分からず、本当は止まっているのに滑っていると錯覚して何回も転ぶ。標識の竹竿を発見しても、次の竹竿がガスで見えない。慎重に横滑りで次の竹竿を探す。次の竹竿が視界に入ると、さらに横滑りで竹竿を視界から逃さないようにして下る。下手にターンをすれば竹竿を見失ってしまうので危険だ。
山頂から二百メートルほど標高が下がったところでガスが切れて視界が確保できるようになってきた。周囲の樹木が見えることによって平衡感覚を取り戻す。山頂からはずっと私一人しかいない。あてにしていた後続パーティーは途中で引き返したようだ。
視界が開けたので、あとはスキー場を眼下に望み、ターンを繰り返して新雪の感触を楽しむ。なだらかな尾根を直滑降でゲレンデトップに辿り着く。
スキー場の真ん中に白樺の大木があり、その下でランチタイムとする。今回はホワイトアウトの恐怖感から全く飲食を摂る余裕がなかった。一般スキーヤーの滑りを見ながら、大好きないなりずしと暖かいコーヒーで至福の時を得る。気になる腰の痛みは、帰りに熱い温泉に入れば治るので大丈夫だ。
ホワイトアウトのため、期待した滑りはできなかったが、根子岳頂上を踏んだという充実感は、それはそれなりにあった。

2022年03月06日

雪と風の八ヶ岳県界尾根

実施日:2022年3月5日(土)~6日(日)

目 的:冬期登攀

山 域:八ヶ岳県界尾根

参加者:渡辺徹臣、渡辺直樹、榑林秀倫

行 程:[3月5日]8:00大泉サンメドゥズ駐車場→8:17車道終点→9:17尾根取付地点→11:09小天狗→13:55大天狗→14:03テント場[3月6日]5:55テント場→7:15トラバース開始点→9:402690m地点→11:13テント場→14:58サンメドゥズ駐車場メンバーを変えながら、今季3日目の県界尾根に挑んだ。なにしろ三月だから、雪は多くとも春を感じる山行を楽しめるに違いない。内山さんは風邪症状のために不参加となり、メンバーは徹臣さん、直樹君の3名行。図らずも王岳のキワモノの時のメンバーだ。
しかし、雪の量は想像を超えていた。谷筋の道路からワカンを装着し、小天狗への登りでは膝丈のラッセルになった。キワモノなどという半端な雪山とは規模が違う。小天狗を越えると、本コース随一の展望地がある。赤岳が霞んで見えた。黄砂の影響だと言われる。春らしいと言えば春らしい。それにしても積雪あまりにも多いため、これまでの2回とは違う山に登っているかのようだ。
これまでと同じ場所にテントを設営する。日程的に今日のうちトレースを伸ばしておかないと登頂が難しいが、疲労のためテントに引きこもらざるを得なかった。
二日目、徹臣さんは体調の関係でテントキープ。曇っているせいか、なかなか明るくならず、6時近くになって直樹君と頂上をめざしてラッセルを再開した。毎度のごとく例のトラバース地点でロープをだす。夏なら崖だが、現在は雪の急斜面であり、崖という感じではない。立木を伝って斜上するように右の梯子へと向かう。ガラムシャに雪を突き崩すようにしながら。
トラバースから上はすぐ尾根筋に復帰する、正月とはまた違ったコース取りになった。トラバース起点から3ピッチを登り切ったところで、到底赤岳登頂は望めないので撤退を開始した。標高2690m地点であった。テントを撤収し下山。夜の雪と風のおかげで、登りのトレースは大部分が消失していた。道を間違わないように慎重に下山した。
アイゼンを効かせてサクサク昇れるのはいつのころなのだろう? 四回目も、ありか。

2022年03月05日

蓼科山バックカントリースキーの報告

実施日:2022年3月2日(水)

山 域:蓼科山

参加者:中安正議、勝俣和子、小林善孝

行 程:8:50白樺高原国際スキー場駐車場→9:20ゴンドラ終点ゲレンデトップ→10:10七合目鳥居→12:40将軍平→14:00九合目→14:03将軍平→15:16七合目鳥居→15:45スキー場チケット売り場→16:00白樺高原国際スキー場駐車場

2月26日の尾白川下流域ガンガノ沢錦滝アイスクライミングから四日目、体力は回復した。さあ、次はバックカントリースキーだ。今年に入ってから、アイスクライミングとバックカントリースキーを毎週交互に行っている。いや、今回は中三日だ。たぶん、怪我をするまでスキーとアイスは止めないだろう。
今年は雪が多い。例年なら藪が出ていて滑れないところも滑れるかもしれない。こんなチャンスを逃すわけにはいかない。以前から気になっていた蓼科山を滑ってみようと思った。今回は平日の水曜日だ。だめもとで、LINEで参加者を募ると勝俣和子さんの手が挙がった。さすが、主婦に曜日は関係ない。そして、もう一人、曜日に関係のない人の手が挙がった。小林善孝さんだ。彼も私と同じく定年退職して自由気ままな生活を送っている。
私はバックカントリースキー、勝俣さんはスノーシュー、そして小林さんは古式ゆかしくワカンといういで立ちで参加することとなった。果たして足並みは揃うのだろうか。荷物を下ろしてバックドアを閉めるとき、「頭に気を付けて!」と、声を掛け合う。先週、当会の会員がバックドアに頭をぶつけて五針縫うという怪我をして以来、この言葉が当会の合言葉となった。
リフト券売り場へ行き、ゴンドラリフトの乗車券を買う。ゴンドラリフト1回券は大人600円だが、60歳以上はミドル料金で540円だ。私と小林さんは高齢者となった恩恵を素直に享受する。なになに? 70歳以上はシニア料金で350円! ちょっと離れていた勝俣さんに大声で叫んでしまった。「和子さんは350円でいいんだってさ!」
さて、待ち時間なしのゴンドラであっという間にゲレンデトップに降り立つ。私はスキーにシールを貼って歩く準備をするが、両名はスノーシューとワカンを履く気配がない。「スノーシュー履いた方がいいと思いますよ」と、助言するが、つぼ足で大丈夫だと言う。しかし、10メートルも歩かないうちに、スノーシューを履かねば進めないことを悟ったようだ。

 雪面にはスキーのシュプールはあるが、足跡はない。私はスキーで進むが、スノーシューとワカンは苦戦している。特にワカンの小林さんは雪面を踏み抜いて膝まで雪に潜って悪戦苦闘している。今回は、皮肉にも雪山におけるスキーとスノーシューとワカンの良い性能比較テストとなった。
ワカンの小林さんにペースを合わせてゆっくりと登る。ストックを持って来なかった小林さんは、勝俣さんからストックを一本借りて深雪でバランスを保つ。空は快晴で燦々と太陽の光が降り注ぐ。サングラスを忘れて来た小林さんは、私から借りたゴーグルを掛ける。多少のトラブルは仲間でフォローできる。持つべきものは友である。ときどき立ち止まってパーティーが離れないように注意して登る。パーティーが離れてしまうと、各人がルートファインディングもする羽目となり疲労が倍増する。パーティーをばらけさせないで登るのがパーティー登山のコツだ。「将軍平まで、あと五分!」と言っても誰も信じない。まだかまだかと待ち望んだ将軍平にやっと着き、そこでランチタイム。そして三人で記念撮影。樹林帯の彼方に蓼科山の山頂が垣間見える。仕方なく私一人で頂上へ向かう。スキーなので登頂してからでも追い付くと思った。しかし、将軍平から頂上への道は、予想外に手強かった。すぐにスキー登行が不可能な急斜面となり、スキーをザックに取り付けてつぼ足で登る。暫くするとアイスバーンとなり滑って登れない。ザックを下ろして今度はアイゼンを付ける。そんなこんなで時間を浪費してしまい、樹林帯を抜けたあたりで時計を見るとすでに午後二時を回っていた。時間切れだ。登頂を諦めてもと来たルートを下る。
将軍平で再びスキーを付けるが、狭い登山道ではスキーがうまく回せない。思い切って左手の樹林帯を突き抜けると、無立木斜面に出た。素晴らしい一枚バーンに私一人のシュプールを刻み、スキー場まで見える絶景を見下ろしながらパラレルターンで滑り降りる。しかし、快適なスキー滑降は一瞬で終わり、また樹林帯に突っ込む。密生した灌木が進行を拒む。まるで、スキーを履いた藪漕ぎだ。やっと登山道に出たが、ターンできるほどの隙間がない。ひたすら横滑りで登山道を辿る。これでは埒が明かないので、登山道を外れて林間を滑ると、また藪漕ぎだ。馬返しあたりからやっと登山道が広くなりターンができるようになった。七合目鳥居に着いてやっと一息ついた。そこから林道を滑り、やがてカラマツ林に入ってスキー場を目指す。林間にはシュプールがあり、それを辿って滑る。ぐんぐんと標高を下げて行くが、あれ? 登って来た時と地形が違う。やがて、そのシュプールは登り始めるではないか。先行者も下降ルートを間違えていることに気が付いたのだ。本来の下降ルートよりかなり東へ逸れたらしい。先月の入笠山に引き続き今回も下降ルートを間違えた。一尾根越えて延々と林間をトラバースしてやっとスキー場に出た。ゴンドラリフトの駅が遥か上に見える。整備されたゲレンデを快適に下って行くとリフト券売り場で小林さんが出迎えてくれた。四十分ほど私を待っていてくれた。
帰途は、つたの湯で疲れを癒しドライブイン国界でとんかつ定食を食べる。私はそこでうっかり生ビールを注文してしまったので、そこから小林さんが私の車を運転する。やはり、持つべきものは友なのである。

2022年03月02日

南アルプス 尾白川ガンガノ沢 錦滝(アイスクライミング)

実施日:2月26日(土)

参加者:金丸祐司、中安正議、榑林秀倫、渡辺直樹、岩間修(雪稜クラブ)

今シーズンは氷の状態が良い。予定が空いたので22日火曜日にアイスクライミングの声掛けをした。すると、先週の滝沢大滝のメンバーが賛同し、そこにさらに榑林さんが加わって5人で行くことになった。場所は複数のエリアがある尾白川下流域にした。本命はガンガノ沢錦滝。だめならガンガノ沢F2か、平田ルンゼあたりか。尾白川下流域は私にとっては17年ぶりである。
7時半に甲府エルクに集合。中安車、榑林車に分乗し出発。登山口までの林道には雪の轍があり、時々車の腹をする音がした。
9時前に登山口のゲート前着。既に4台の車があった。中安車から装備を取り出し、バックドアを力強く閉めた。その時、ゴンと鈍い音がして、私の頭とバックドアがぶつかった。痛いな、と思い頭を触ったら妙にへこんでおり、手を見ると血がついていた。顔に血が流れてきたのでハンカチで抑え様子を見ていた。出血が治まったようなのでこのまま登ることにしたら、中安さんが消毒液とガーゼで応急処置をしてくれた。登攀以外では頼りになる男である。9時過ぎにゲート前出発。轍をトレースする。今日は暖かく、途中でアウターを脱ぐ。晴天で甲斐駒ヶ岳が綺麗に見える。約1時間で錦滝に到着。東屋の前にはテントが1張あった。先客の5人パーティーが右側をトップロープで登っている。我々は左側を登ることとし、金丸がトップロープをセットしに登山道脇から滝上へ登った。10時半頃から登り始める。今回の滝は最近の会山行で行った、金ヶ窪沢、ドミノ沢、醤油タルの滝、滝沢大滝などよりも急で、1グレード難しい。金丸、岩間、中安、榑林、直樹くんの順で登る。中安さんは新調したアイゼンやバイルに助けられ、なんとか登った。私と岩間さんは2回目、難しい左端ルートをカウンターバランスで登った。榑林さんは縦走用平爪アイゼンで、1回目は苦戦していたが、さすがフリークライマー、2回目はスムーズに登っていた。直樹くんも2回目は比較的スムーズに登った。各自2回登ったところで昼食。
私が病院に行きたいので、ちょっと早いが13時過ぎに下山。中安さん待望の温泉も割愛させていただき、15時半エルク着。その後病院に行くと、比較的深く切っていたようで五針縫うことになった。中安さんが、山に登るときには常にヘルメットを被るように言っていたが、そうすれば良かったと思った。あれ、でも、まだ山に登る前だったのでは……。

2022年02月26日

2月例山行/丹波川 滝沢大滝(アイスクライミング)

実施日:2月19日(土)

参加者:金丸祐司、中安正議、渡辺直樹、岩間修(雪稜クラブ)

アイスクライミングでどこか新しい場所はないかネットで検索していたところ、丹波川滝沢大滝の記事があったので、雪稜クラブの岩間さんに状況を聞いてみた。良さそうだったので今回計画した。
7時半に山梨市の万力公園駐車場に集合。直樹くんが着いてそうそう登山靴を忘れたことに気がついた。登山靴を吉田に持ちに帰り、現地で合流することにして出発。登山口付近の国道には既に1台車があった。雪は10センチ程度。トレースがあったので分かりやすいが、滝までは意外と時間がかかった。10時に大滝到着。若者2人が既に難しい右側のラインにトップロープをセットしていた。我々は左側から金丸トップで登る。トップロープをセットしたところで直樹くんが到着。
中安さんは今シーズンにバイル1本とアイゼンを新調しており、バイルをもう1本先週購入すると豪語していたが、結局スキーを購入することにしたそうだ。直樹くんにバイル1本を借りて、重たそうな体で2回登った。岩間さんは歳はとっていても山岳ガイド、滑らかに登っていた。直樹君は岩間さんにレクチャーを受け、2回目はスムーズに登った。若者パーティーが終わらないので、各自2~3回左側を登ったところで終了。
私と岩間さんは温泉セットを用意していなかったので、中安さんが温泉に行きたいと訴えていたのを無視しそのまま帰った。中安さん、私は今シーズンアイスクライミング3回目。もう1回くらい行きたいと思っている。

2022年02月19日

絶好のスキー日和 天狗原バックカントリースキー

実施日:2022年2月14日(月)

山 域:北アルプス白馬岳天狗原

参加者:中安正議(単独)

行 程:8:30京都府立大学山小屋(白馬村落倉)→9:00栂池ゴンドラリフト→9:40栂の森リフト下車→9:50林道→10:22早大小屋→11:05成城大小屋→13:10天狗原→13:54成城大小屋→15:10栂池スキー場駐車場→15:40京都府立大学山小屋
2月11日から13日までは、白馬村落倉にある京都府立大学山小屋を借り切って、御坂山岳会メンバー六人で合宿を行っていた。12日には全員でゴンドラリフトに乗って栂池自然園までスノーハイクを行った。快晴無風の絶好のコンディションの下、白銀の白馬三山が我々を祝福するかのように見下ろしていた。夜は飲んで喋って歌って飲んで、とても楽しい三日間であった。そして13日には、私を除いて他のメンバーは帰っていった。
静まり返った山小屋にひとり、私は余った食糧をじっと見詰めていた。だが、決して寂しくはない。私は元来大勢で騒ぐのが大好きな社交的性格ではあるが、独りでも全然平気で遊んでいることができる。自分でもこの二面性は不思議に思う。16日までひとり残留することになったが、好きなだけスキーができると思うと胸がわくわくしてくる。それに、メンバーが残していった食糧で、あと三日間は食い繋ぐことができるのも嬉しかった。
林道を栂池自然園目指して登る。私の遥か後ろに単独の登山者が登って来るのが見える。林道はピステで圧雪されており快適だ。純白の白馬三山は今日も妖艶な姿を見せている。
成城大小屋を見下ろす台地で、単独の登山者に追い付かれる。スキーかと思ったらスプリットボードだった。お互い単独なので、同業のよしみでシャッターを交代で押し合う。いい写真が撮れた。
成城尾根に取り付く。硬く締まった雪の上に五センチメートルほど粉雪が積もっている。ラッセルがないのでとても楽に足が動き、いつもよりペースが速い。今回は尾根の西側の樹林帯を登る。こちらの方が傾斜が緩くキックターンなしで登れる。
天狗原に到着すると、先行した三人の登山者がいた。二人はスノーボードだ。最近、スノーボードのバックカントリーが多いな、と思いながらシールを外すが、シールが風になびいてうまくたためない。
さあ、ビンディングのヒールを固定し、ブーツを歩行モードから滑降モードに切り替えて、スキー滑降のお楽しみタイムの始まりだ。天狗原からの下り斜面には、二本のシュプールしかついていない。私のシュプールを刻める余地は十分にある。大きなパラレルターンで新雪にシュプールをしるす。五、六回ターンすると立ち止まって、自らのシュプールを画像に収める。完全に自己満足の世界である。
成城大小屋が見下ろせる地点でスキーを履いたまま雪上に腰を下ろしランチタイム。素晴らしい景色を眺めながら、今朝淹れてきたコーヒーを味わう。このひととき、最高だ。
あとは林道を経由してゲレンデを下るだけだ。一時間もかからない滑降なのだが、これが意外と肉体へのダメージが大きい。両太ももの筋肉はパンパンとなり、何回もゲレンデの真ん中で立ち止まる。
駐車場に着いてスキーブーツを脱ごうとするが腰が痛くてバックルに手が届かない。しかし、時間はたっぷりある。焦る必要はない。頭上に輝くお天道様を仰いで、今日一日の幸運に感謝する。
翌日は体にダメージが残っていたので、バックカントリースキーは自重して、御坂山岳会のメンバーが残していったリフト券でゲレンデスキーを楽しむ。白馬の山小屋に来ていただいたメンバーにも深く感謝申し上げる。
(中安正議)

2022年02月14日

白馬山麓スノーハイキング

実施日:2022年2月11日(金)~13日(日)

山 域:北アルプス・白馬栂池

参加者:宮下祥道、横山秀敏、小泉益男、勝俣和子、羽田政人、中安正議

御坂ニュース12月号「白馬山麓でスキー&スノーシューハイク(府大山小屋ベースであんこう鍋)」という山行計画の記事があり、参加者を募集していた。1月15日、今年の新年会の席で、担当の中安会長に「メンバーの空きがあれば参加したい」旨話してみると快諾を得た。その時すでに勝俣和子さんからは参加の意思表示を受けていた。
後日、小泉益男さんから会費を預かりに行った時に「栂池でスノーシューハイクに参加してみないか」と誘ったところ、「いいね!」と、即答があった。
その足で、羽田政人さんの会社に行き事務所で都合を伺うと、やはり奥さんが「行って来たら」と勧めてくれて、「じゃあ行こう」と参加が決まった。
このことを和子さんに連絡しようと携帯に電話をするが繋がらない。和子さん宅へ行ってみると、丁度ご主人の晴正さんが外出から戻って来た。「和子は今、不動湯を手伝っていていないけんど、不動湯は山の中なので携帯が繋がらない。本人には俺から話しておくよ」とのことだった。その夜和子さんから電話があり、「お父さんも行って来なさいと言っているから参加します」との返事。かくして「ブレーメンの音楽隊」状態で五人の参加が集まった。早速中安会長に電話する。「五名参加します」中安会長大感激。
羽田さんが会社の11人乗りのワゴン車を出してくれることになった。まさに運転手付きのレンタカー、そして3密の解除。羽田さんにすべてお任せすることとなった。
出発前日、富士吉田は大雪で、一日中道路の除雪作業で、出発当日も肩や腰に痛みを感じる。
当日は、朝七時に和子さんを迎えに行き、羽田さんの会社へ向かう。前夜までの降雪で富士河口湖町は38センチメートルの積雪。中央自動車道の心配もあったが、白馬方面は降雪量は少ないらしい。
羽田さんは既に早朝三時からひと仕事終えていた。聞くところによると、新聞配達の車が都留市内でスリップ、脱輪のため動けなくなり、羽田さんの会社にレッカー要請があったそうだ。
宮下さんを迎えに行き富士河口湖町の小泉さん宅に着くと七時三十分だった。中安さんに富士河口湖町を出発した旨を連絡し、中央自動車道諏訪SAで合流することとした。九時四十五分頃合流し、打ち合わせ後、中安さんの車の先導で一路白馬山麓へ向かう。安曇野ICを降り、十一時三十分、道の駅はくばで若干の食料等を買い入れ、そして酵母パンニッキで二日分の朝食用パンを購入し、隣接するそば屋で昼食を済ます。そば屋の窓の真正面には、白馬村のラージヒルとノーマルヒルのジャンプ台が見える。
入口の三メートルの高さの階段は雪で埋まっており、さらに羽田さんが踏み固めてくれたので、小屋へは入り易くなっていた。しかし、小屋の屋根には二メートル以上の雪庇が張り出しており、ビクビクしながら入室する。
和子さんは早速小屋の掃除、宮下さんは荷物整理、小泉さんは凍結しているトイレの復旧作業、羽田さんと私は雨戸が開くように小屋のベランダの除雪をした。中安さんが荷物の搬入を終えたところでやっと一段落、中安さんが挽き立てのコーヒーを淹れてくれてひと息つく。中安シェフは早速夕食の準備に取り掛かる。その間、皆でビールで乾杯、本日の労を労いながら明日の好天を祈る。小泉さんの差し入れてくれた赤と白の手作りワインで、同じく手作りの燻製をつまみに食す。一人一個ずつパックに入れられた中味は、サーモン、シシャモ、ホタテ、レバー、ハム、チーズ等、それぞれ二個。一種類ずつ食べて丁度二泊分だ。一度に食べるのがもったいなくて、半分残した。そして今夜は鍋料理だ。当初あんこう鍋を予定していたが、大雪のため日本海への買い出しを見送ったため、あんこうを入手できず、ベイシアで仕入れた食材でブリの味噌バター鍋となった。味噌、バター、ニンニク、ショウガ、豆板醤、ブリ、ワタリガニ、長ネギ、白菜、しいたけ、ブナシメジ、豆腐等が入った栄養タップリの豪華版だ。その晩は、ビール、赤白ワイン、焼酎、ウイスキー、日本酒と、飲み物も豊富だった。和子さんが不動湯のおばさんたちと作ったというモツ煮も美味しかった。
夜の十一時まで、若かりし頃の山の四方山話にふける。若干年の若いメンバーが二階のロフトに寝て、年寄メンバーは一階の電熱マットの上でシュラフにくるまって寝る。
翌朝、夜明け前、五時十一分だったのを憶えている。ズシン、ドンという大音響で目が覚めた。屋根の上に積もった雪が、暖房で小屋の上部が暖まったためか、屋根から滑り落ちたのだ。跳ね返った雪が壁に当たり、大地震のようだった。皆気付いていたようだったが誰も起きない。
七時過ぎに起床、中安シェフは料理の最中だった。朝食は、モーニングコーヒーの後、昨日買った酵母パンといちごジャム、きゅうりとレタスのコーンサラダ、それに特性のスープパスタ、ミルクで作ったホワイトソースだ。本当に自宅では味わえない、豪華な手の込んだ朝食だ。食器の片付けの後、和子さんが昼食用のおにぎりを握ってくれた。
府大小屋を後に栂池スキー場へ向かう。中央駐車場も第二駐車場もすでに満車。駐車場を探すこと十五分、やっと第三無料駐車場に車を止める。ゴンドラリフト乗り場まで五百メートルほど歩き、順番待ちの列に並ぶ。四十分待って乗車し二十分で栂の森の山上駅に着く。すでに十一時を廻っていた。ロープウェイが動いていないので、栂の森第二ペアリフトに乗って高度を稼ぐ。リフトを降りたところで私の腹の調子が悪くなり、尾根を少し越し廻りこんで雪の中で大キジを打つ。十分間皆を待たせてしまった。中安さんはスキーを付けてスイ―と林道まで滑走して見えなくなった。我々は林道までつぼ足で歩いてからスノーシューを付ける。
早大小屋を過ぎ、林道のヘアピンカーブになった所からの白馬三山の眺めが素晴らしいという。そこまで急な斜面を頑張って登る。時計を見ると十二時だ。林道に出たところの平坦地で昼食とする。
朝握ってきたおにぎりを頬張る。大変美味。宮下さんが持って来てくれた干芋が、これがまた甘くて美味しい。皮が剥けないミカンを皮ごと食べるが、これもまた美味しい。
約一時間、記念写真を撮りながら、白馬三山と後立山、妙高戸隠の小谷村方面、さらに松本市方面を一望する。空は飽くまでも蒼く、雲ひとつない晴天、絶景を満喫する。
我々五人は林道の途中から林間の開けた所をショートカットし、ゴンドラリフト駅まで下る。かなりの急斜面だ。新雪の中、短い距離だったが転げながらスノーシューの醍醐味を味わった。
府大小屋に着いたのが十五時三十分だった。中安さんは一時間以上前に到着し、ストーブを点けて部屋を暖め、コーヒーを淹れて待っていてくれた。
十六時、買い物と入浴に出掛ける。宮下氏と小泉氏は疲れたので寝ると言って小屋番として残る。国道一四八号に出ると大渋滞、近場のベイシア白馬店で買い物を終え、白馬駅まで行かずに引き返し、倉下の湯へ行くと、ここも大混雑。中に入ると大声で意味の分からない会話をする団体(外国人?)に巻き込まれ、赤さび色の露天の湯舟の中には躰を沈みきれない。一分も湯舟に浸かっていられなかった。でも流石中安さんは、目を閉じて悠然と首まで湯に浸かっている。府大小屋に着く頃にはすっかり日が暮れていた。ヘッドランプと雪明りを頼りにトレースを外さないように注意して小屋に戻ると、中は暖かかった。中安さんは早速シェフに変身し、料理に取り掛かる。
今夜は、中安シェフ曰く、特性スパイシーチキンカレーだ。十四種の香辛料がミックスされたネパール風カレーだ。部屋中に香辛料の香りが充満する。この間、我々はビールで乾杯。シェフも料理を中断して一緒に乾杯。昨日残しておいた燻製をつまみに焼酎とウイスキー、料理用のワインまで飲む。前夜に引き続き山の四方山話に盛り上がっていると、カレーライスが出来上がる。辛いけれど美味しい。どんどん飲み物も進む。中安シェフが片づけを終えて「さあ、飲むぞ」と言って日本酒の瓶を見るともう空。中安さんは私の差し入れた日本酒を楽しみにしていたようだ。日本酒はどこにこぼしたのか。すみません。横山の腹の中です。中安さん、がっがり。私が差し入れた日本酒は、結局私が全部飲んでしまった。時の経つのも忘れて話に夢中になっているといつしか午前零時を回っていた。和子さんと中安さんは白河夜船でうとうとしていた。中安さんがギターを持って来ているのを思い出し、眠っている中安さんを強引にお越しギター演奏をお願いする。初めの曲は「小さな日記」、中安さんの奏でるギターと歌声に聞き入り、リクエストを重ねるうちに小泉さんが持参した御坂山岳会編集の歌集「山の歌」を取り出す。そして皆で大合唱。とうとう二十四曲すべて歌い終わったのは午前二時を過ぎていた。
昨今の山小屋やテント場ではとても味わえない、山の中の一軒家でしか出来得ない、まるで五十年前にタイムスリップしたような一夜であった。
結びに、車の提供を快く応じてくださったばかりか、仕事が多忙の中、早朝からの睡眠不足で疲れているところを往復の長距離運転かつ安全運転に努めていただいた羽田さんと、府大小屋でのすべての料理と食料の買い出しを引き受け、登山ガイドと接待をしてくださった中安チーフリーダーに、心から深く感謝申し上げます。
(横山秀敏)

2022年02月11日

和名倉山の山行報告(月例山行)

和名倉山(奥秩父 2036m 200名山)

CL内山(章) 榑林秀倫 内山(道) 中澤
2021.11.13 日帰り
民宿みはらし駐車場05:51~山ノ神土07:27~東仙波09:01~和名倉山10:29~東仙波12:30~山ノ神土13:31~将監峠14:08~将監小屋14:15~民宿みはらし駐車場15:22
アプローチは一ノ瀬林道通行止め(来年4月には開通するとのことです)のため落合橋から一ノ瀬方面へ向かいました。「作場平(さくばだいら)5時半集合で中澤さんを乗せた榑林さんの車と合流、榑林車を残置して、内山車で「民宿みはらし」に6時前に着きました。庭の駐車場は満車に近く5台目にしてギリギリセーフ、周辺にも駐車指定場所は散在しているようですが暗くて分からず少し焦りました。まだ早いので料金500円は後払いとさせていただきました。
足元がまだ暗い中出発し民宿前の坂を50m下ると左側に登山道入口(ロープで車道を閉鎖)があります。大荷物でゆっくり進む学生山岳部(たぶん)を軽快に追い越して「牛王院下(ごおういんした)」、車道から離れて左の七ツ石尾根に入りました。すぐに薄明るくなり結局ヘッ電は使いませんでした。やがて樹林越しに日が出てきました。
「牛王院平」付近はシカ柵のある広い笹原状で富士山が見えてきます。
「山ノ神土(やまのかんど)」の分岐から和名倉山に向けて右に進路をとると急に笹が濃くなり、ちょっとした不安を感じます。左の笠取山方面はいい道ですが。
笹は深いのですが、これより展望がよくなってきます。「西仙波」を通り越して小休止。やがて「東仙波」、この辺りは笹が低く好展望が続きます。東仙波からは尾根通しに直進でなく左の木々の中へ直角に曲がって下ります。先行の登山者が正面の尾根から戻ってきて「間違えた」と言っていたので分かりましたが、誰もいなければ間違えそうです。
古い集材線(ワイヤーロープ)があちこちに残っています。今となればゴミですが、その昔、ダイナミックな林産活動があったのだろうなぁと感慨深くもあります。
「川又分岐」の標識は、右方向へ、「八百平(はっぴゃくだいら)」付近は地形の特徴が少なく迷いやすかもしれません。「二瀬(ふたせ)分岐」は右へ、一部カラマツの幼樹が密生しています。どうしてこんなに生えているのでしょう?念願の和名倉山は樹林の中ですが大休止とします。
帰路は元来た道を戻ります。よく見ると気付かないくらいの雪が少しだけありました。日陰は寒いと言えば「寒い」という感じです。赤っぽい石は赤色チャート、付近には褶曲した露岩があります。
東仙波で小休止、続いて山ノ神土で小休止、牛王院平からは将監峠(しょうげんとうげ)へコースをとることにしました。峠へはシカ柵横の防火帯を進みました。将監峠から笹原の中の登山道を下ると、あっと言う間に将監小屋、テント数張あり、水が豊富でトイレはバイオ、谷間ではありますが明るいテン場です。ここからは意外と長い林道歩きで「民宿みはらし」に到着しました。おばちゃんに駐車料金500円払って、お茶と花豆と漬物と楽しいお話しをいただいて、お疲れさま!です。素晴らしい好天に恵まれ、笹原、コメツガ林、カラマツ林など変化に富んでいて、アップダウンが少なく、しかも道中は抜群の展望でした。

2021年11月13日

お月見山行/栂池自然園&八方尾根

実施日:2021年10月23日(土)~24日(日)

山 域:北アルプス、栂池自然園&八方尾根

参加者:中安、石川、後藤、荒井、勝俣(和)

行 程:[10月23日]6:00富士吉田市→9:30八方の湯駐車場→10:00京都府立大学山岳会山小屋(白馬村落倉)→11:20栂池スキー場第2駐車場→11:30栂池ゴンドラリフト→ロープウェイ→12:09栂池自然園駅→12:15ビジターセンター→栂池自然園→13:40浮島湿原→14:27ビジターセンター→15:40ロープウェイ→ゴンドラリフト→16:20栂池スキー場第2駐車場→倉下の湯→17:30府大小屋 [10月24日]9:10府大小屋→9:25八方の湯駐車場→9:50八方ゴンドラリフト→アルペンクワッドリフト→グラードクワッドリフト→10:25八方池山荘→11:13第2ケルン→11:23八方ケルン→11:30八方池→12:15第3ケルン→12:40第2ケルン→13:30八方池山荘→グラードクワッドリフト→アルペンクワッドリフト→14:00八方ゴンドラリフト→14:25八方の湯駐車場→17:20諏訪SA→20:30富士吉田市

【10月23日、栂池自然園】
朝6時に富士吉田を出て、白馬の八方の湯駐車場に9時半に到着。今夜の宿、京都府立大学山岳会の山小屋に前泊していた中安さんと合流する。中安さんは今夜の食材を仕入れるために、前日に山小屋に入り新潟県糸魚川市の能生漁港まで海産物の買い出しに行ってくれたとのこと。
当初の計画では今日は八方尾根、明日は栂池自然園へ行く予定だったが、まだ小雨が降っており天気があまり良くない。天気予報では今日の午後から晴れるらしいが、八方尾根からはどうしても後立山連峰の雄大な景色を見たいため、予定を変更して八方尾根は明日登ることにする。今日天気が良くなるようだったら栂池自然園を散策して、明日は青空の下、白馬三山、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳の雄姿を見たいと……。
そこで取り敢えず今夜泊まる山小屋に行き、天気の回復を待つことにする。山小屋は白馬村落倉の森林の中に可愛くちょこんと建っていた。室内はコンパクトに小さくまとまっていて、なんとなく落ち着く良い感じの山小屋だった。小屋の中でお喋りをしていると、11時過ぎに天候が回復してきた。そこで栂池自然園に出掛けることにする。もし雨が止まなかったとしても、栂池自然園のビジターセンターで時間を潰すこともできる。ゴンドラリフトとロープウェイを乗り継いで、栂池自然園の駅に着いたら、雨は止んでいたが一面の銀世界、20センチメートルほどの積雪にびっくり! それに風が強くて雪も舞っている。所謂吹雪だ。紅葉を楽しもうかと思ってきたのに、一気に冬山に来てしまった。栂池山荘の休憩スペースで持参の昼食を摂り、吹雪が止むのを待つが一向に止まない。あきらめて出発する。雪の栂池自然園には木道の上に一応トレースがあった。トレースを外すと雪を踏み抜き、膝まで湿原に没する。油断はできない。楠川を渡り、浮島湿原の直前でトレースが消える。他の登山者は皆ここで引き返しているようだ。白馬連峰を臨める展望湿原まではあと1時間、残念ながら引き返す。ビジターセンターに戻っても天候は回復しなかった。そこで上映中の栂池自然園の四季の映像を楽しんでから下山する。16時半に栂池スキー場の駐車場に戻る。寒かったので、倉下の湯に直行し温泉で温まってから山小屋に帰ることにする。風呂から出た時には外はもう暗かった。中安さんは「夕食の準備をする」と言って、ひと足先に山小屋へ帰って行った。私たちはその後暫くして暗い道を少々迷いながら小屋に近付くと、漆黒の森の中に山小屋の外灯がほんのりと暖かく私たちを迎えてくれた。山小屋に入るとキッチンで中安さんは調理の真最中である。私たちには「のんびりしていていいよ」と言ってくれたけど、中安さん一人にお任せでは、主婦の端くれとしては何となく落ち着かない……。
石川さんの「中安さんはそれが楽しみなんだから甘えればいいの!」のひと言で安心してお喋りに花を咲かせる。そして、宴会が始まる。美味しいワインと料理、それを何もしないでいただく。最高の贅沢である。ベニズワイガニが一人一匹ずつ出てきて、まずびっくり。そして、石川さんの突然のリクエストにより玉葱のリング揚げが。さらに、能生で仕入れた助惣鱈一匹をさばいた味噌バター風味のお鍋、秋の味覚しめじ御飯、他……。いや、本当に美味しかった。皆で会うのも久し振りだったのでお喋りは尽きない。宴もたけなわになると「そうだ、今回はお月見山行なので、月を見なくっちゃ~」と言って、皆で外に出る。樹林の隙間から空を見上げると、雲の切れ間から奇麗なお月様が輝いていた。「明日は天気が良さそうね」「八方尾根が楽しみだわ」と、囁き合った。
寒いので山小屋の中に戻り、中安さんが丁寧に挽いてくれた豆で美味しいコーヒーを味わう。暫くして気付くと、中安さんは大きなクッションに横たわって鼾を搔いている。「私たちを楽しませてくれるために疲れたんだろ~な」って思って、感謝!そこで、私たちもロフトに上がり寝ることにする。時計は既に12時を差していた。楽しい時間に余韻を残しながら眠りについた。
翌朝、目覚めると、キッチンで中安さんは朝食の準備にかかっていた。朝食はホワイトソースのスープパスタとサラダとパンと挽き立てのコーヒー。里で味わえない贅沢なモーニングセットだ。
そして、荷造りして外に出ると、空は青く澄んでいて、高原のピリッとした冷気が清々しく、私たちを出迎えた。
(勝俣和子)

2021年10月23日